やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は

わたしはただ安心がしたいのだ、とぐらぐらの情緒をゆらゆら渡りながら思いついた。もちろん比喩で、現実の行為としてはコピー機を何時間も連続稼働させ、吐き出された紙を数枚まとめて左上にホチキスを打ちこんでいた。

 

 

ずっと自分は自分の感情がよくわかっていないのだと思っていた。どんな感情も「わからない」。

谷川俊太郎は『春に』という詩を「この気もちはなんだろう」ではじめ同じ言葉で締めている。常にそんな感じだ。「この気もちはなんだろう」。

 

彼女は言った「認めないだけで反応はしているじゃないか」、目からうろこだった。

他者に直接感情を向けるのが苦手らしいことはわかっていた。わたしは基本的に怒らない、その感情がぽっかりと抜けてしまっているかのようにない。代わりに哀しむ。哀しみは自分に向かう。「ああもうわたしが死ぬかあちらが死ぬかしかないのだ」そんな極論もたびたび頭をよぎるが、殺意にならない。つまり「わたしが死ぬしかない」こういう寸法だ。

 

でもきっと、知覚できないだけなのだ。相手を好ましいと思っているのか嫌悪しているのか、そういうことさえわからない。

なんでも話せるくせに何にも話した気がしないのは自分の外側のアクセサリーの話ばかりしているからで、そういう話は誰にも障らない。

 

彼は言った「どういう意味かわからないからもうちょっと話して」、わたしは七面倒くさい前置きをしたあげく、話せなかった。

自分の面倒くささを自覚している、ここで言えない面倒くささもわかっている、彼はそういう面倒くささを受け流せるので話してと言ったのに、結局わたしは自意識に負けた。素直になれなかった。口にしたら身体がほどけてしまいそうな恐怖に近いのかもしれない。

 

たぶん、口にした内容そのものが否定されることが怖いのではなかった。口にするという行為を否定されたら、あるいは自分が強く否定していて、それが怖かった。

なんでも話せるのに、口に出せない言葉があまりにも多い。言葉はひどく、ひどく怖い。

 

 

「こういう前置きをする面倒くささを許して、そうしないととても口にできなくて、なぜならこれは傲慢であるということがわかっていて、傲慢なことは口にしたくなくて、でも抗いようもなく心ははだしで走って飛び回っていて、だから口にしようと思うがでも本来なら口にすることはしない、なぜならこれを口にするような自分はとても面倒であり好きじゃないのだ、だから今から口にする言葉はとてつもなく面倒くさいかと思うけれど、でも、ここまで前置きをした以上その面倒くささは目をつむって欲しい、あのね」、そして舌はもつれ沈黙。ああもう、どうあがいても面倒くさい。

 

わたしは自分の面倒くささを憎んでいる。ちっとも許せない。自分が自分を許さないと意味がないのに、わかっているのに。

 

でも、面倒くささをまったく隠さずに、躊躇なく吐露してしまう相手がいる。たったひとり。絶対の信頼を置いている。あなたが地球のかたちは丸くないと言えば、たぶんわたしはそれを信じる。誠実な友人だ。

 これまで面倒くささを忌避しないでくれる友人がゼロだったわけではない。でもわたし含めみな歳を取ったし、なんなら生きていない者もいる。許された経験がないわけではない。でも、許せない。そう大声で叫ぶのは自分で、自意識で、はあ。糞くらえのファッキンだ。

 

 自律しなければならないと言語で認識したのは12のときで、それ以来ずっと心に留めている。自律が必要だ、愚かしいことをしているし格好悪い感情を抱いている、もっと律せよ、己を律せよ。

 きっとわたしは待っている、張り詰めたこんな心に当たり前のように触れて、「どうして服を脱がないの」、恥じらうほうが恥ずかしいくらい、当たり前に触れてくる誰かを、何かを。

 

 

例えばこんな引用で記事を結んでみよう、太宰治の『待つ』。

 

「毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。」

  

見掛けたら手を伸ばして、わたしはここにいる。ひとつも問題はない、愛している。

夢も希望も砂まみれ 綺麗に汚れて輝いて

 

散々話して別れた帰り道、「欲しい物は欲しがらないと」と聡明な彼女からのメッセージ。

そしてわたしはバグを起こす。自分の欲しいものがわからないといって暴れまわる始末。

 

自分が何を欲しいのかがわからない、だからどうでもいいし、なんにもいらない。いっそのこと何も持たずに死んでしまいたいとすら思う。でも惨めなことには手放せない生命があり、そもそも死を欲しているわけでもない。どうでもいいし、なんにもいらない、だから生きてもいい。何にも持たないまま生きたって構わない。ああ、そんなの空虚だ、とても耐えられない、もう死にたい。でもどうでもいい。強いて言うなら手入れもせずに日々連綿と生命を続けて、こんな風になっていることが醜いと思う。嫌悪感、でもそんなものに執着をする根気もない。ただ、全部がめちゃくちゃになったらいいとは思う。きっとそれは愉快だ。

 

とまあ、こんな十代のようなことをぐるぐると考えている。息が苦しくなる。

だけど、「全部どうでもいいんでしょ?」と自分に問いかけると総ての加速が止まる、つかの間の沈黙。その代わり肋骨の内側が潰れそうになるのだけれど。

 

自分のご機嫌を取るのも上手になってきて、それとなく宜しくやってこれていた。それも、きちんと自分を拾い上げることが自然とできていたからだ。それはこんなことで混乱するわたしが身につけなければならない技能でもあって、習熟度もなかなかに深まっていたと思っていた。

 

だめなんだ、自分が考えていることがてんでわからなくなってしまった。こんな風になるのは随分と久方ぶりだ(と、こんな風になるときはきっといつも思っている)。

自分が何を考えているかわからないのはいつものことだけれど、そのことで取り乱しているのは少しおかしいのかもしれない。いや、いつもこうだった気がする(こんな風になってしまえば、これが日常だった気がするものだ)。

 

 

処理できていない感情がたくさんあるようで、でもそういうものをぎゅっと抑圧するのは苦手ではない、「自分で自分を律しなさい」もちろんそうしている。

でも思いがけず負荷が大きかったのかな、それでヒューズが飛んじゃって破綻してるのかな、そんなことを経験則から予測してみたけれど、まあ実際どうであるかはどうでもいい。

自分に興味が持てない、総てが他人事のように感じられる。最も身近な他人だね、誰だお前は。いや、まあ誰でもいい、どうでもいい、「わたし」と呼べば勝手に定義され切り分けられた「わたし」が生まれる。でも、お前は誰なんだよ。

 

 

嘘だね、「興味が持てない」? だったらこんなに言葉を尽くすわけがないだろう。お前はそいつを誰だか知りたがっている、波に乗るようにそいつに上手く乗っかれば、それが自分になると考えているんじゃないの。

 

わからない、どうでもいい。

 

 

離人感というとしっくりこない。でも、お前は誰だよ、お前は誰なんだよと、いまいちばん大きい声で叫んでいる、お前こそ誰なんだよって話なのかもしれないね。

でも大丈夫、平気だ。今日も血を吐いて愚かで愛らしい。

そして君は、それでもきちんとひとを愛することができる。愛することに依存をせずにいることもできる。

 

 

靴紐を結ぶのって大変なんだよ、でも待たなくていい。結べたらすぐに走り出すから、だから君にもすぐに追いつくよ。

 

 


やけのはら+ドリアン:DAY DREAMING

誰に対して拗ねているのだ

 

どうにも息苦しさがついて回る、息苦しい。生き苦しい。

わたしはとうに退屈しきっているのだろうと想像はつくのだが、何に退屈したのかって具体に退屈した。どうしてこんなに抽象で息をしようとしてしまうのだろう。

 

先日、10年前の自分の日記を読む機会があった。

当時の記憶はほとんどないが、読み返して思い出すものもない日記なのは知っていた。抽象的な言葉が並び、今日何をしただとかそういうことはほとんど綴られていない。寝言を束ねているノートに近い。

でも、読み返したとき、理解できてしまったんだよね。ああ、わかる。

 

 

ここのところのわたしはまるでダメ。自分の諦念が重たくて持ちきれなくなり、心身がちぎれつぶされそうになっていた。

日記を読み返した理由は覚えていないけれど、日記でわたしは何度も何度も強い諦念を訴えていた。いまと寸分も違わない。そこで、ようやく自分の不調に気が付いた。

諦念は突然眼前に突き付けられたものでもなければ、昨日今日生じたものではなかった。ずっとそこにあったものを、受容あるいは知らんぷりをして過ごすことができていただけだ。できていたことができなくなったのだから、やはりこれは不調なのだろう。

 

 

いつからこんなに諦めが強くなったんだろうと考えてみようとするけれど、悪い扉をいたずらにノックするだけになりそうだからしないでおく。

誰かに強い好意を差し向けられたりすることもなく、誰かの感情を強く揺さぶることも、とっておきに穏やかにすることもできず、要するに誰にも求められずに存在をすることを既に認めている。そんな他者の出現を期待することを諦めている。

もちろんわたしは自分に対しても期待をしていない、とっくに諦めている。

 

そんなことないよ、とかすかに燃える炎があって、くすぶっているそれを胸に秘めている気もする。自分だけは自分に対して期待してもいいんだよ、そういう声を掛ける炎だ。それを消してしまうべきかどうか、まだ決めあぐねている。

 

幸せになれないのなら生きたくない。でも幸せになれる気がしない。

別に大きな不満はないし、不幸という不幸でもない。でも、幸せになれないのなら生きたくない。

 

こんなことを憚らず口にしてしまった時点でわたしは微塵も美しくない。わたしはこんなつまらないことを考え、あげく言葉にするような浅はかなにんげんである自分にげんなりしている。だったら喋らなきゃいいのに、話さなければ露呈しないのに。

 

 

それでもこうやって露呈させているのは、いつかこんな文章が否定される日が来ることを夢見てしまっているからかもしれない。諦めが強いくせに往生際が悪いのだ。

 

 

 

わたしは美しい。

だから当然愛されるべきなのだ、愛さないあなたはひどく損をしている。

 

でもねえたぶん、こんな風に書くのは、期待ではなく最後の虚勢なのだと思う。

本当はきちんとわかっている。わたしは美しくもなければ頭も悪く、普通のことを普通にこなすことさえできない。文章を書くことだけはそれでも好きだったのに最近ではその気持ちも忘れてしまっているみたいだ。

 

 

わたしが他者に強い感情をひとしれず寄せているように、どこかでまたひとしれずわたしに強い感情を寄せるひとがいるのかもしれない。でもその可能性は限りなくゼロに近い。

 

こういう抽象的なことを考える。無論なんの解決にもならない。だから生活に向けて具体性をあげてきたのに、今になって抽象の目を開くなよ。生活がぐにゃりとして見える。

総てが余生だとわりきっていたはずだ、引退した選手のように過ごしていたはずだ。なのに、同時にわかっている。まだ現役プレーヤーを求められる歳であること。また単純に、余生を送るための資金もなく、現役でどうにかしなくてはならないこと。

 

 

ここまで全部文章が汚い。文章までも汚くなってしまったわたしは、もうどうやって。

わたしを愛する覚悟が決まっているのならここに来るといい。わたしは大きな愛を必ず。

 

それでもひとつだけ、これは本当に自分にとってあまりにも確かなことなのだけれど、あのね、わたしの聴く音楽は、どれもこれも本当に最高なんだ。

君の誇りを汚すものから君を守っていたい

日付が変わってしまったが、25日は友人の誕生日だった。生きていれば28歳。2月の頭、自分の誕生日の前に亡くなった、あれは2016年だったから丸3年以上になったのか。

 

君の誕生日だなあと思って、そのあと祝えなかった2016年の誕生日のことを思った。四半世紀をギリギリ生きなかった君。喪失感には、慣れないけど、嘘だ少しずつ慣れてしまった。わたしは生きているので、生きてゆく以上は最適化を図らなくてはならない。

過剰な淋しがり屋で面倒なくらいのときもたくさんあった、でも一方的に話すことは少なかったように思う。わたしが口を開けばまずは聞いてくれたし、似たような倫理観だったのでなんだって話した。「今から君の家に行ってもいい?うん10分後くらい」みたいな連絡を好んでいて、ゆるい空気がお互いにしっくりきていた、と思っている。

 

知り合ってから仲良くし続けた期間は短くはなかったと思うのだが、長くもなかった。密度が濃くて、とにかく高頻度で長時間を一緒にした。1週間という単位で泊まり込むこともたびたびだった。

 

大して何もやっていなかった今日、ふと「 年 月 日」と書かれた欄に日付を書き込みながら、今が2019年であることを実感した。君に来なかった今日という日をボールペンで書いて、急に強い浮遊感に駆られた。

君不在の誕生日の数ばかりが増えてゆく、これから生きれば生きるだけ。おめでとうと祝った回数よりも増えてゆく。

 

「今すぐここで歳をとるのをやめたい」と THE NOVEMBERSの歌詞がよぎって、いやいやわたしは生きることを選択しちゃってるんだよなあ、それが消極的な理由にしたってそうなんだよなあ、と冷静に不穏を却下する。

 

THE NOVEMBERSを初めて聴いたとき(わたしが死んだかもしれない未来がまだ身近だった頃だ)、清潔で美しい感性に打ちのめされた。小林は長生きできないのではないかと心配にさえなった。柔らかい肉が裂けているのを、傷と思わず無垢な顔でさらけ出しているような姿は、剥き身で生きていた手負いの自分には直視するのが難しいくらいに、だけど美しかった。

あれからざっと10年以上の年月は経って、THE NOVEMBERSは誰ひとり欠けることなく前線で音楽をやっている。細く美しい糸を絡ませて作った鋭い線で、空気を切り裂き叫ぶ獣のような強さを見せている。ちょうど今度アルバムも出るしね。

 

わたしも10年でそういう強さ美しさを多少は身につけられていたらいいなと思うけれど、それでもやっぱりふとした瞬間にあの心持ちが立ち上ってくることはあるよ。まるで自己同一性のようだ、あるいは自己統一性なのか?

 

今後の人生、君に軽口を叩いてゲラゲラ笑ったりあのゴミ屋敷のような家で小さくなって眠ったりすることができない、ということを実はまだ良くわかっていないのかもしれない。

最近随分と生活が変わった。何時でも電話にでるよねと明け方誰も起きていない時間によく電話をしたよね、でもわたし、最近その時間眠っているんだ。どう思う?

 

君はわたしをたびたび「美しい」と形容した。心の有り様や生き方を好いてくれた。わたしが傲慢に、はたから見れば滑稽でしかない言葉で自らを鼓舞するとき、君は当然のように「その通りだ」と頷いた。

どうだい、わたしは醜い変質をしていないかい。こんな漠然とした明け透けな問いを投げかけられる相手はそう多くないから自分に問う。正直わからない、わからないけど、「All right いつだって最高にイカしてるよ」、そんな風に即答して、何秒か考えてからしっかり頷く。

 

 

最近わたしの暮らしはこうだ。そんな風に回答を書き連ねてみたら、「MIND CIRCUS / 中谷美紀」が胸の奥のほうから聴こえてきたよ。ハッピーバースデイ。

今日もまたビールを

Number Girlが再結成するという。

今日この話題を口にするひとが一体どれだけの人数いるのだろうと思いながら、口を開かずにいられない。

 

第一報はニュースサイトで見た。

理解ができなかったが涙が出てきて、叫びそうになりながら昼を過ごしていた。

 

初めてNumber Girlを聴いたのは16歳になるかならないかの頃だった*1

彼らはとっくに解散していて、2枚組のベスト盤から借りた。

確か初夏で、透明少女の季節だった。透明少女は初めてドラムで泣くという体験をした曲だ。

瞬く間に夢中になって、ポイントが10倍のときを見計らってはボックスなどを買い揃えた。当時まだ音符マークを集めてゆく方式だったタワレコのポイントカードはすぐいっぱいになった。♪♪♪。

大概の場合は買って満足する映像作品も本当によく見たね、ライブ音源もよく聴いた。

 

17歳になる誕生日のとき、日付をまたぐ瞬間にTRAMPOLINE GIRLを聴いていた。そこから長らくずっと自分が歳を取る瞬間にはこの曲を聴くようになった。去年、思い立って違う曲にしたのだけれど。

 

あとは初めて大阪に行ったとき、なぜかDVDをトランクに入れた。インターネッツで事前にたぶらかしておいた女の子と、いや当時わたしも少女と言って差し支えのない年齢だったはずなのだけれど、ふたりでちょっと高いラブホテルに泊まって、大きなスクリーンでそのDVDを再生した。その写真は古い携帯に、というかたぶんきっと今すぐここに引っ張り出すことができるだろう。

 

ああ、どうしたらいいのだろう。

このバンドだけは、天地がひっくり返っても再結成をしないのではないかと思っていた。再結成の類に一切の望みを持っていないバンド第2位の座を長いこと守っている。

 

曲に重ねて吸った空気の体積だとか……思いというよりはそういった性質のものが、どうにも大きい。

 

どうしたらいいのだろう。

 

きっとこんなブログは今日はたくさん書かれるはずだ。でもみんななんていないからね、全部全部、音楽聴いたときに生じたいろいろは、君だけの、わたしだけのものだ。

*1:できれば初めてビールを飲むのも初めてNumber Girlを聴くのも17歳がよかった