「ずっと一緒だよ」って一瞬のために言うにんげんも普通にいると教わった

 

自分がそうだもん、と彼女は笑う。口にした瞬間に相手が喜んで場の空気がよくなれば、その言葉には役割を果たしたことになるのだと。だから口約束は守る必要がないのだと。自分と全然違う思考に唖然とした。

 

 

今日は朝から頭の痛い雨が降っていたので動けないまま午前中を過ごした。「初対面が雨なんて思い出に残りそうですね」というロマンティックな言葉を笑って受け流す作法が常に求められているわたくしだから、ベッドから抜け出して豆腐を食べた。

あなたに初めて会った翌日も雨で、わたしは熱くて仕方がない肩甲骨を抱いたまま、じっとベッドのなかで横たわっていた。「こめかみ痛めてそう」という連絡が来て図星だと思っていた。しゃめしゃんのことはもう長らく抱いていない、なんだかどうしていいのかもうわからない、しゃめしゃんもわたしに掛ける言葉がない。

天使にね、天使になったと思ったの。熱い肩甲骨の内側では変態が起きていて、身体はどろどろになって、いよいよ翼が生えるんだって思ったの。二段ベッドなら上の段、少しでも空に近いほうで眠って過ごしてきたの。
背中は今日も淋しい。

 

 

 

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君はひとに「大切」「特別」をあげられないひとなのではないか、という指摘が耳に痛い。大切な友人に言われてしまったから尚のこと痛い。一生懸命に好きを示してきたつもりで、そう思われていなかったらと思うとぞっとする。

海になりたいとか大地になりたいとかこの世の全生物を産みたかったと思うことがある、正確に言うと孕みたかった。全部ぜんぶ自分の身体のなかにいれて愛せたらいいのに、と。そういった感情がひとりに向いてしまったことは、剥いてしまったことには。
こんな大それた欲望を抱いても、神になりたいと思ったことはない、わたしにとって神は、いつだって惨殺する対象だ。

 


Q.わたしが死んでも泣かないんだろうな
A.わたしが死んでも苦しんでも生きても喜んでも全部正解になっちゃうのかもしれないな


別れ際に淋しいと言って泣いてみたかったな、いつも笑って指切りを。
「なぜに体と気持ちを競わす? そういう自虐的な趣味なの?」って中学生のときから何回も聴いてきたじゃん。友人にも言われた、「意地を張らなくていいところで意地を張って、さらっと流せばいいところで立ち止まっていて」。

でも泣いたからってきっとどうにもならないし、後味が悪くなるだけじゃん。それは嫌。迷惑をかけたくない。そう、ただ迷惑をかけたくないだけなのだ、「君って我慢強いんだね」、苦しむのが趣味だと思われても仕方がないのかもしれない。
あなたの支え方なんてわからない、と言われて、ああ「そういう自虐的な趣味なの」かしらね。

 

 

わたしは誰かと生活をするのには土台向いていないにんげんで、誰かのために祈り続けたり、生贄になったり、そういうのが天性なんじゃないかって思う。誰にも知られないまま、誰ものことを愛し続けて、見返りは要らなくて、今日の世界が美しければそれでよくて。

 

「好きだと思ったひとに好きだって言われて両思いになるのって、それは奇跡みたいなことで、一生に一度あるかないかのことだから」

 

 

 

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リンクの2番サビの歌詞について、ここ数年はずっと考えている。

「もう僕らは騙されることはないって信じてる 悲しみも醜さもたくさん知って許してきたんだ」

そのとおり、騙されたわけじゃないんだ、わたしは騙されたわけではない。

 

<余談>
「騙されたわけではない」といえば、自分に価値がないと嘆くならマッチングアプリでもしてみろ、上手く使えば自己肯定感が上がるツールだからセラピーになるぞと叱咤されてひとを利用するのは失礼だなと思いつつも始めてみたのですが、ほとんど唯一の話が続いた相手が巧みに外部サイトに誘導してくるタイプの詐欺をしてきて、あ、これ胡散臭いなと思ったからセーフなわけなんだけれども、やっぱりわたしはこういう場所でも需要がないんだな、もう一個人として徹底的にダメなんだなあとそれなりに落ち込むなど。騙されてはないし。別にいいんだけど。ううんよくない、傷ついてるじゃん。
</余談>

 


好きって言ったら好きって返ってくる相手と、一緒に寝て、隣で起きて。何をして一日過ごしたっていいけど、またおやすみって言って一日が終わって。たまに喧嘩して、たまに一緒に夜コンビニに行って。月が出てるねとか三ツ矢サイダー飲みたいとか、少し前まで当たり前に思い描いていた未来は、どこに行ってしまったんだろうね。
それをしたいと思っている相手の、それをしたい相手は、きっとわたしじゃないから、したいって言うのもさ、きっとわがままなんじゃんね。

お互いに意地っ張りだね。こういうとこほんといい友だちになれそうだなと心底思って、笑ってしまった。身体に障りがありませんように、幸せに近いところにいますように。

 

かなしみも、みにくさも、たくさんしってゆるしてきたんだ

自分の思想で自分を感動させられるか

 

昼食の選択肢としてガレットを提示されたのって初めてだったかもしれない。彼女とわたしは全然違うにんげんだ。感情を言語として口から溢す間は食事の手も水も止まる。下手だから考える、取り留めのないいつものこと。いつも重ならなくて感動する、互いにとっての世界はどうやら本当に全く違うものなのだ。

 

 

自由にしか生きられないとしても、それでもわたしは厚かましいから、自由にしてあげたい。誰だってみんなわがままだ。わたしだって、あなただって。
わたしはいつだって余裕、痛みも必ず全部わたしに還元されてしまう。わたしは永遠に美しい、立ち止まっているのはみんなによく見せて差し上げるためでしかない。

好きな言葉は「来た、見た、勝った」です、宜しくお願いします。

胸に留める水銀はブローチにはならない

 

ごめんね、乱暴だったね。嫌だった? お茶飲む? まだ痛い? 大丈夫? あんなにざりざり吐いちゃって、もう取り返しがつかないね、でもそんなときに使える呪文を貰ったよね。

 

 

 

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そういえば長らくiPodClassicを使っているひとを見ていない、と思って調べてみたら生産終了したのって2014年、もう7年も前のことらしい。その段階でさえもう使っているひとはだいぶ少なかった記憶がある。
わたくしは今でもiPodClassicユーザーだけれど「どうやって使うの」「それは何の道具」と聞かれることさえ増えました。最初に持ったのは第3世代のiPod。思い入れがあるのは文章を書いて貰ったお金で買ったiPod。今回の子はどうせサポート対象外だしっていろいろ改造してあります。

そんなiPodClassicのホイールをくるくる回しながら、今日は図書館の机でピチカートファイブのアルバムを3枚聴いた。「東京は夜の七時」が自分のiTunesに入っていないことに今更気がついた。「都さんは美しい星という曲のイメージです」と言われたことがあって、たまにそれを思い出す。
反芻してゆくなかで、そらちゃんの相槌の定石は「そうだよな」で語尾が上がると気づいた、だからか少しだけ気分が良い昼だった。

 

わたくしは水であるので滞ると濁る、濁ると腐る、腐ると死ぬ。そういった事情で撹拌し続けて水面をきらめかせ続けないと生命を維持できない構造なので仕方がない。濁らせても少し静かにすると澄むでしょう、あれが近い。またしばらくは保つ、まだ大丈夫。

胸が苦しくて、感情さえ上手く吐けなくてどうにかなりそうだと思っていたの。それでさ、きらきら光って見えたからいつも通りの水面だと思って気づかなかったんだけれど、胸に残留しているこれは、どうやら水銀だったみたい。みずがね。

 


自分は口を開くのがとても下手だ、何度となく繰り返し書いていることなのだけれど、何度も書くほど、つまり何度も心が折れそうになるほど下手だ。

お願いだから時間が欲しい、そうでないなら指を口に差し込んで欲しい。変質して総て水銀になってしまったのを、こうやって頭を毒に浸しながら吐いていて、何かしらの中毒ではある。でもとりあえず吐いた、吐いたら飲めると千鳥足で踊り続けている。

こうやって踊ってると不思議と少し勝ち気が生じてきて、わかる、わたしって強大だよね。今日は新月。地球と太陽と月が一列に並んでいる。壊すことも壊れることも本意じゃない、当たり前のことを指差し確認した勢いで振り下ろした右手を背中に回してファックサイン作りながらキスをする。いいよ、したいなら、いいよ。

 

 

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解像度の高い夢が、現実になると繰り返されたものたちが、今はこうやって見えなくて、そのくせ具体的であるがゆえに解像度が下がらないままだから目を細めてしまう。

提示されてきたそのどれもが鮮やかで、わたしが願うには不相応な明るい未来で、でも本当は酷くそれに憧れていて、眩しくて眩しくて、肉が透かされて精神が露わになるから身が竦む、それでも、そのまま腕を伸ばしていいんだよって優しく教えてくれたのがとても嬉しかった。毎日、寝ても覚めてもいつも嬉しかった。

そうやってふやけた警戒心の前を通過したギロチンで、伸ばした腕を切り落とされたような心地なのだから、痛くてのたうち回るのも無理はない。ただでさえ身体がちぎれたように思っていたのにね。満身創痍だ、いい、わたしはそれでも裸足で走るしかない。いつだって水が足を洗ってくれるから。
気づいてるかな、血だって水だよ。

変なところで記憶力がよい、いつかしようと話した約束も100くらいは列挙できるんじゃないだろうか、大丈夫、でもちゃんとわたしはこれを持って生きてゆけるはずだから。スピッツ、アリーナツアーやるんだってさ、ニュースで見た。

 

見えなくなった明るさがそんなに身体に障るなら目を潰してしまえよ、神経を抜け、感情を喪失しろ。それでも思考し続けろ、脳を諦めるな、どうせ論理的じゃない、ろくな思想は生まれない、だけどさ絶対にお前はさ、それでもやれよ。死ぬまでやれよ。

大丈夫、どうやったって世界は美しいところがある。ビューティフル・ワールド、詩人や画家が真に真に絶えた時代があっただろうか、戦場も楽園も自分の心のなかに。明るい未来は目指したところで叶わないかもしれないけれどさ、今日唇を慰める歌があれば、その数分は生き延びられるはずだから。

「僕らの未来は全然暗くないと信じてみる」って、象の背は口ずさむのに向いてない曲だな。

 

わたしはどうも哀しくなりやすいにんげんだから、だからこそ客観的に見て可哀相だと思われるエピソードはどうにか差し控えたいのだ。
可哀相よりも、可愛いって言われたいじゃん。わたしは可愛くないんだけれど、でもだけどさ可愛いって言われたことが一度もなかったわけではないじゃん。

 

 


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口約束がいつも破られることが、大袈裟じゃなくて生きている限りずっと哀しい。だからこそ毎回願う、「これが口約束でありませんように、実行を持って果たされますように」。

できることなら叶えたい、自分が口にした約束を。そうやって叶えたところで自分の望みが叶えられるわけではないのだけれど、だって反故にされると哀しいしさ、叶うと嬉しいじゃん。
全部覚えていられるわけでもないけど、忘れてることもたくさんあるんだけど、だからそれは申し訳ないんだけれど、諦めたことはないんだ。諦めたくもない、わたしはそうやって戦う。満身創痍でも、自分で守るよ。

投影機

 

女の肩を軽く押しながらキスをする、初めてのキスで舌を差し込んだ。決して女をどうでもいいと思っていたわけではないし、どちらかといえば大切にしたいと思い始めてもいたが、それはそれとして身体を繋げてみたいとは思った。


いたいよ、やめて、やさしくして、ってお願いして、言葉通りにしてもらえることってどれくらいあるんだろう。そんなふうに乱暴しないで、もっと丁寧に扱って。壊してもいいよってわたしが言っても、それでもしばらくは壊れもののように扱って、傷つかないようにそっと触れてよ。引っ掻いたってそうそう傷はつかないけれど、それでも。
だめだ、帰ります、もう帰りますから、唾液を潤滑剤の代わりにしないで、そんなふうに吐きかけないで、痛い、痛いから、きいて、やさしくして。身体をひっくり返さないで、立たせないで、わかったごめんね、手はどこについたらいい? うごけないから、もうよして。やめよう、やめようよ、したくない。こわいよ、ゆるして。

 

いいよ、そんな風に指を濡らさなくても、いまたぶん大丈夫だから。ううん違う、どんな味がするのかと思って。自分に味があることを知った瞬間、身体が煮えた。液体がどちらからどちらに移動しているのかも判然としない時間と感覚の頼りなさ。
わたくしの精神は水なんだけれど、それが身体に滲んでしまって含水率がじりじりあがる。一滴も漏らすまいと含みきっている、潰されて一斉に溢れだす。クリームだとかアボカドみたいな肌をしているね、と言われたことがある。汗をあまりかかない代わりに湿度の高い肌なのだと思う。

 

鏡の前に行ってみよう? 抱き上げて? キスしよう? ねえ、次は何する? 血でも流してみる?
「わざと傷口をあけて、血を奴らにみせてやらなくちゃならなかったんだ」


身体から水が抜けてゆくのを眺めていた、色には頓着していない。期間限定のLINEスタンプだって滑り落ちてゆく、まるで経血みたいでしょ?

いつもの2-3倍、下手すると20倍だとかでした

 

目が覚めなきゃいいのにと思いながら寝て割と早い時間に目が覚めて絶望していたら知らない番号03からの着信。検察から「性犯罪者が釈放されました」、朝から心臓を吐いた。

 

 

10年以上の付き合いの友人から「もしかして自分は初めて君の困っている場面に遭遇しているのではないか」と言われたり「こんなのは10代のときに見たことがあったかどうかの落ち込みではないか」と言われたりして過ごしている。わたしも概ねそう思う。

 

自分の好きなものにしか興味がない、自分を好きなものには興味がないと言っていた。そう、わたしに割く時間も言葉も心もないのかな。あるいはわたしは嗜好品や装飾品の類で、別に嫌いになったわけではないけど手放すかーって感じだろうか。

わたしがこんなに壊れることをあなたは知らなかった。壊れていることを、ここまでこないと声を上げられないことを。

 

大槻ケンヂは優しい、「何よりもうこれ以上君の周りに不幸の存在を俺は認めない」。でもわたしはもう17じゃないから、幼い瞳かもしれないけれど、それは幼稚という意味だから、誰もいない。自分でやらないといけない。

 

これだけ書いていて信じてもらえないかもしれないけれど、本当に幸せに過ごしていたらいいと思う。そこにわたしが必要ないとしても。ううん、本来いなかった。いらなかったものだってわかってる。だから、幸せに過ごしてるならそうだって教えて欲しいだけ。わたしは喜ぶ。幸せに過ごしていないならそうだって教えて欲しい。わたしは哀しむ。

この期に及んでわたしのことをまだナメている、あるいは過信しているね。

 

わたしなんかにんげんでなければよかったと何度も何度も願って恨んで自分と神様を惨殺している。にんげんらしく扱って欲しいなんて厚かましいことをどうして考えたんだろう、所詮嗜好品、お気に入りのパーツに過ぎない。ものだ、わたしはものだから、そんな傲慢を望んだが運の尽きなんだよ。

自分をもっと粗末に落とし込みたいという欲望が湧いてくる、これはなんなんだろう。殴られたり手慰みにされたり気分で扱われたり、最初からそれだけを望んでいればよかった。押し潰せば日本語で何か喋る生き物。手乗りのインコ(いやインコはものじゃないし可愛いけど)。

この感じはとてもよくないと聞くからきっとよくないのだと思う。こう感じているときは何もわかっていないのだ。

 

そんなことを言ってお酒を飲んで数日ぶりに炭水化物を二口以上飲み込んだ。総てを吐き出すセックスを。

あとどうしてこんなにアクセス数が伸びたんだろと思ったら昨日のブログタイトルのせいですか? みんな好きね。どうぞここに出していって、何も起きない、文字はいつでも何かを待っている、少なくとも生殖細胞以外の何かを。