happy birthday


4年前の今ごろ、ゴールデン街にいた。知久寿焼のライブを見ていた、覚えている。14日から15日になる瞬間には「月がみていた」を聴いていた、覚えている。奇妙な夜だった、覚えている。
あの頃のことはあまり覚えてないけれど、あの日のことはそれなりに覚えている。
そのとき隣で「月がみていた」を聴きながら20歳になった彼は、ということはさっき24歳になったか。
「そっちはどうだい うまくやってるかい こっちはこうさ どうにもならんよ 今んとこはまあ そんな感じなんだ」



4年前の3月末には大阪に行った、初めての大阪だった。そして来月、大阪に行くよ。4年振りに彼女に会えるかもしれない。みんなはてなダイアリーにいたね、そういえば。もう使っているひとはほとんどいないようだけれど。かくいうわたしも先日までろくに使っていなかったけれども。
彼女とは不思議な縁だ。恋人だの友人だのと立場の違いはあれど、ふたりの男の子を通じて知り合ったり話したりした。今でも続いていると思うと、ふっと感慨深くなる。大切なひとだ。とても。絶対に失ってはいけない女の子だ。


当時17、18だったわたしたちは、その歳のまま止まってしまったり、22歳になったりして、そうか、4年か。この4年間何をしていたっけ。大学に行って、やめて、2年間飲み屋のねーちゃんやって、また大学に行って、飲食店のねーちゃんやっている。この4年間何をしていたっけ。どうしたんだろう、きちんと思い出せない。


思い出した。
19歳の夏、薦められて聴いた曲にギュッとなって、また音楽を聴くようになったんだ。



そうだ、そしてライブに行くようになって、そうだそうだ、音楽を聴いていたんだ。音楽を。
大好きなたまの石川浩司氏とオーケンが一緒にユニットみたいなものを組んだときには嬉しかったな。
いつも音楽を聴いている、聴いていた、音楽ばかり。どうしたって音楽ばかり。



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BLANKEY JET CITYドキュメンタリー映画「VANISHING POINT」を見てきた。



大きい音でBLANKEY JET CITYを聴けたことがまず嬉しかった。
とにかく赤いライトのなかで演奏しているのが印象的だ、他の照明もあったのだろうけれど赤が強く残っている。
演奏中の3人の後ろに回りこんでいった構図も素敵だった。手前には上半身裸になった中村達也の綺麗な背中を中心に、照井さんにベンジーが演奏している画。
ライブ後楽屋に戻ったらすぐ服を脱いでしまって、狭いところでほとんど裸の入れ墨だらけの男が三人、嬉しそうにしていたり不満そうにしていたりする様子はなんだか不思議だった。
BLANKEY JET CITYのようなバンドのラストツアーでも、あんな風にすれ違ったりするのか、という驚きもあった。でも、そんな新鮮な気持ちでずっと接してきたからこそ解散をしたのかもしれない、年月はあまり関係なくて。ううん、これだと語弊があるような気がする。


中村達也が「名古屋初日の夜に風邪引いた猫に風邪移されて、やばいと思いつつ名古屋2日目朝まで打ち上げして、いよいよやばいと東京戻ったら出所祝いされに友人が押しかけてきて朝まで飲んだ結果、壊れちまいました」って言っていたのが、前後の監督のテロップも相まってとても面白かった。だけど客席誰も笑ってなかったなあ。