叫びそうになる日がある。頬の周りが固くなって動かない、叫び出したいのに声が出ない、身体は震えてひどく汗ばみ、指先の隅々まで不安が鋭く走って、肌を裂けばようやく叫びになるような、そんな日。
息を呑んでひとつも漏らしたくない日がある。肺に侵入してきた空気を取りこぼしたくない。身体はひどく寛いでいるのだが力の入っている瞬間もあり、そんなことより内側で感情が、景色が、熱が、ぐらぐらと、言葉が入ってくることが嫌でなくて、詩が煮えて愛おしくて苦しい、押し殺して震える吐息を漏らす。
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先日滝本晃司の弾き語りを見てきた。彼の持つふるえるようなロマンチシズムと平常ではないまなざしがとても好き。
「初めてのキミを見つめ落下」
「今日は夏の前日 ひどい夏の予感がする こわくて眠れない 赤い夜が続いてる」
「君はこっちを向いたから横顔はどこかへ消える」
「終わりの向こう側の窓辺で目を閉じているのは新しい遊び方? それとも新しいロマンス?」
「笑うより簡単だから泣くよ」
「ねぇ暑くないの? 寒くないの? 悲しくならないの? ざわめきにふるえが止まらなくて こわくないの?」
噎せ返るほどの詩情、焦点の合わない視点の動き。ああ、本当に好きだと思ったのでした。曲先だという話も、歌うことを稼業にできて幸せと話す姿も、とてもよかった。発声に不安になるときもあるけれど声も本当に良くて、あと彼はギターの音のまろやかな湿度の高さがとても素敵、いい音をしているなと思います。ピアノも気持ちよかったな。
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仕事のあと、勤務地から住宅地を30分ほど歩いて商店街に出た。知っている範囲では過去に行ったことのない商店街で、焼き立てのパンを買って食べた。そこから更に1時間ほど歩いて新宿に出て、電車に乗って帰った。なんてことない平日の小さな贅沢だと思った。
本を歩きながら読む癖は小学生の頃に身についた、明るいうちに出歩くことが減ったので最近は頻度が随分減ったが、久し振りに本を開いてみたら妙に安心した。不思議なのだけれど、歩きスマホよりきちんと周りが見える。そのことに気づいたとき歩きスマホのこととっても怖くなっちゃったんだよね。
歩きながら、たまの「レインコート」を聴いていた。今まで何度も聴いたし、なんなら先日も滝本晃司が目の前で歌った。聴き始めた頃は特別熱心に聴いた記憶はないのだけれど、ここ数年になってこの曲のことがどんどん好きになっている。元々三拍子が好きなのもあるし、マンドリンの音の気持ちよさもあるだろう。でも。
何度目かの再生を聴きながら、はっとした。
ぼくは雨の中にいるよ
傘をさしてじっとみつめているよ
6月の水たまりの上で
「じっとみつめている」、その緊張感。雨の中、水たまりの上、傘をさす、みつめている。ここだ、このまなざしの強さだ。
ずっと彼のまなざしのあり方が好きだと言っていた。「こっちを向いたから横顔はどこかへ消える」、そういう視点でまなざすことがとても美しいと思った。奇をてらっている風でもなく、彼からしたら世界は本当にそのように捉えられているのだと思えるような自然体で、美しい眼だと。
でもそれだけではないのだと今更気が付いた。シンプルに見つめるときの強さ、それは集中力や緊張感、深度といったものだけれど、「じっとみつめている」、ただ見ているだけ。押し切るほどの視線、結ばれた口、彼はとても、いい。
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もっと詩に触れたい。抽象に触れたい、気が触れるまで。できればそのように。