夏に祈ってもきらきらしちゃって、これは散り散りの乱反射じゃないの?

遅れてきた梅雨の蒸し暑さにくらっとしていたら「ア」という間に8月も第1週が終わろうとしている。「ア」の間抜けな口のまま、わたしはゆっくり気を違え始めている。夏の宿命だ。

今日までの、この夏の話を少し。

 

 

・団地ばかりの古いニュータウンで眠る

最寄駅を出た瞬間から団地に次ぐ団地。団地を抜けて、20分歩いたところにある団地群の団地に1泊した。そこまでは終電の終わった夜道を歩いた、木がざわめいたり下水がさあっと流れたり、歩くごとに音が違う。まるで横スクロールゲームの世界みたいだった。歩くごとに、曲がるたびに、まえと連続した雰囲気だけれど少し違う景色がまたしばらく続く。思えばニュータウンに来たのは初めてだったかもしれない。

明けて翌日は快晴、団地のなかを4-5時間散歩。夜はつくねハンバーグとおくらの煮物、アクセントに山葵を添えたパスタを作って食べて帰宅。

 

ART-SCHOOLばかりを聴いて過ごす

もう日記なので非常に恥ずかしいけれども正直に書く。7月はどうしてかART-SCHOOLばかり聴いていて、さすがにこんなにARTばかり聴く時期は人生になかったので少し驚いている。木下理樹、元気にしているだろうか。たくさん動いていたバンドがふいに見えなくなると、何かすっぽり抜け落ちているのではないか不安になる。人生で初めて木下理樹の健康を祈った。ARTのことは恥ずかしいバンドだと思っている、でも、木下理樹さあ、みっともなく生き恥を晒しながら醜く生きながらえてよ、ポップソングライティング能力をひきずって這っていって。

 

・浴衣を着て花火を見る

「明日地元で花火がある」、気づいたのは前日だった。浴衣を着ようと思った。「浴衣を着ない?」、連絡をした。「持ってない」「貸す」「じゃあ明日」、当日息を切らして帰宅したら先に友人が訪れており、わたしが十代の頃に買ったお気に入りの浴衣を着ていた。連れだって歩いた、どーん。たーまや。薄いさっくりとした三日月が浮かんでいて、たまに花火に内包される。そのうち煙で弱く、見えなくなってった。おしまいに大きく眩しく、ぱらぱら光が落ちて、拍手が起きて、そうして背中を向けた頃、きっと三日月は帰ってきたのだと思う。

 

アベフトシ展に行く

知ったときにはtmgeは解散していた、なんならROSSOも解散していたくらいの時期だと思う。アベくんの存在は認識したことがなかった。存在していたんだな、とツマミの薄れた文字を見て思った。尾藤さんとお話ができた、あのとき買いたいと思わなかったムック本を、いつでも手に入るかたちにしてくださったこと、いつかとても嬉しく思うのかもしれない。そう思ったのも初めてだった。18時に閉館になると聞いていたけれど、場内で流れていたDVDの間がすこぶる悪かった、本編が終わりアンコールが始まったところ。ここで切られたくない/切りたくないの充満。結果として、ダブルアンコールの『世界の終わり』まで流れることに。途中で音量をガツンとあげてくださって、その心意気でなんだか泣けてしまった。見始めたら映像が格好良すぎて、結局クローズまでいてしまったことに拍手してから気づく。月光荘で文房具を買って帰った。

 

・ピアスを開ける

自分はピアスを開けないだろうと長らく思っていたけれど、10年弱前にある女の子が左耳たぶをぶち抜いていった。そうだ、2010年の2月上旬の話だったと思う。そこから少しずつ、右の耳たぶに、左の耳たぶに、右のトラガスに。そして左の耳たぶのひとつを裂いたのが……そうだ、あれも夏だった。2014年8月25日の新宿、覚えてる。

ピアスを開けないだろうと思っていた時分からかわいいと思っていた箇所が2ヶ所あって、トラガスとネイプ。美しい友人の誕生日にネイプ、つまりうなじにピアスを開けた。特に理由はないけれど、やってみてもいいかなと思ったのだ。そんなわけで、ボディーピアスデビューをしたのでした。憧れの場所2ヶ所で金属が輝いている。

 

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そのほか、BUMPのライブに行ったり(前ツアーについで2度目、たくさんのたくさんのたくさんの光!)、誰かの決断力不足のせいで初動が遅れ、まったく分野外の引継作業を現在進行形で猛然と進めていたりもした。美しい友人の誕生日が来て一日嬉しい気持ちで過ごしたりもした。久々に生家以外に連泊する予定がある。

 

昨日、夏の夕暮れを30分ほど歩いていたら、急にきらきらした思い出がたくさん溢れてきてびっくりしたんだ。忘れてしまっていたものとか些細などうでもいいものごとなんかもあった。でも確かにきらきらしていたことが、溢れかえるその瞬間、夏の光線が反射して、ああそうだ、あれはきらめきだったんだと適当な道路の上で急に理解した。さみしくて、せつなくて、うれしくて、いとしい。

 

ラララ、総てに祝福を。愛を。気にくわないやつにも愛を。全部が嫌でやっていられないときには震えてろくにものも言えない唇から呪詛の雰囲気を。でも概ね、やっぱり愛を。こんな風にしか生きられないんだろうとは思う。いつも祈っている、誰の何をどんなものに祈っているのかはわからないけれど、この静かに澄んでいる満ちた思いは、やっぱり祈りなのだと思う。受取人はいなくても、わたしは確かにここにいる。