定間隔で路駐する車がどれも白くてそれが怖くて

 

小沢くんを見たくてつけた昨日の音楽番組だったけれど、RADWIMPSの新曲も「新世界」かという感想が先立った。わたしのiTunesには既に5曲、「新世界」という曲が入っている。その他にもドヴォルザークだっているしね。新世界フェスに呼ばなければならないバンドがまた増えた。

 

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記憶力が悪いよね、と友人に指摘されることがままあるし、自覚もある。特に視覚や聴覚の記憶が薄い、つまりひとの顔や声が全然思い出せない。会ったことがあったとて、間が空くと対面してもピンとこない。酷く失礼な話である。友人はその逆で、探偵が転職なのではないかと自称するくらいひとの顔を忘れない。さっきの店でたまたま隣に座っていたひと、くらいのレベルでも次の週に見かけるとわかるそうだ。


顔や声が思い出せないわたしであるが、では何を覚えているのだろうか。記憶の佇まいを分析しようとしても自分の中にはそういう記憶しかないから比べようがない。姿かたちはぼうやりしているが、例えば写真を持っていて、それを眺めていれば一緒に表情も再生することができる。
仕草の雰囲気や輪郭線の印象は覚えている気がする。どういうスピードで動いていたのか、その気配、震える指先とか外れかけていた付け睫毛とか、何かを言いかけて開こうとした途端結んだ唇とか、でもそのかたちは思い出せない。緊張しがちなだとか物憂げなだとかの形容する言葉の類を手繰れば、散らばっている灰を握りしめたくらいの脆弱な像なら形成できる。
だから、手繰る際は実像から離れないようにいつも気をつけているし、次に会ったとき記憶のなかにあった動作が伺えると心からほっとする。ああ、わたしはあなたを歪めてはいなかった。


もし唖になったら、失語症になったら、言語機能に障害が出たら、本当に言語という概念を喪失したら、わたしの記憶はどのようになるのだろう。言葉を留めておけなくなったわたしにはもはや記憶を脳に留める仕組みがないかもしれない。そのときに見える自分はどんな人格をしているのだろうか、誰かに歩み寄れるだろうか、歩み寄ってもらえるだろうか。
言語の外側の話をしたいなら言語ではないものを学ぶ必要がある。そういうわけで非常に強度のない話。

同一性はどこまで保持されるのか。なにも言語機能に限った話ではない、信じる神を持ったら、身体の一部を欠損したら、顔面がぐちゃぐちゃになったら、脳の病気でまるで別人のようになったら。どこまでわたしは見限られずにいられるだろう。できればそのときにも自分を見失わずにいたいけれど、こうやってタイピングしているこの瞬間にすら掴めていない自分などというものに対して、つべこべ言いたくはないな。

 

以前、君のそういうところが嫌いだと言われた、「昔に言った言葉を覚えているのが嫌だ、変わったことを咎められている気がする」と。以前の自分はどのように設定していただろうか、などと回想していた際にひょいっと以前の発言を引用した挙句、本人の発言の出典まで一瞬で出してしまったものだから強く警戒され咎められた。

もちろん咎める文脈で引っ張ったわけではなかったし、ましてや嫌がらせがしたいわけじゃなかった。ただわたしはこれが自分なりの愛情であり、ひとに相対する上での自分なりの誠意だと思っていた。あなたの言ったことを覚えている、忘れずにいる、あなたが忘れてしまっても覚えている、だからあなたは前を向いていて。取りこぼしたと思ったら声をかけてくれれば、一緒に探す手伝いならできるかもしれないよ、と。
新たに構築するのに邪魔だから忘れてくれ、記憶しているなど疎ましいと言われたところで忘れられるはずがない。丁寧に覚えた……というよりも、何度もなぞって破綻のないように今日まで組み立て続けてきたあなたの一部である、そんな都合よくあなたを作り変えられない。
迷惑な愛情はやがて拒否される。わざわざ掘り起こしたつもりもなかったが、無意識がゆえに折に触れて掘り起こされていたのであろうあなたには、このような性分はひどく苦痛だったことだろう。あんなに仲が良かったのにね。仲が良くて、気も合ったのに、たくさん共鳴したのに、そういう小さい致命的な構造が細かく噛み合わなかった。薬を飲んで眠る生活を咎められたときは哀しかったな、それがあなたの当時の恋人の見解だったというところも含めて哀しかった。


わたしはとにかく無粋だ、このように何年も前に咎められた言葉を何度も思い出して、数年越しに言語化を試みるくらいには執念い。だけどショックだったのだ、あのときまでわたしは知らなかった、記憶でひとを傷つけることがあると。

いまでもあなたとの口約束を忘れられないでいる、でもきっとそんな口約束を掘り起こしたらいよいよ疎ましく思うのでしょう。きっかけを失い続けているから、わたしはいまでも毎日あなたを失い続けている。

「忘れ去られた記憶のなかで、わたしはあなたを忘れないから」とかつて書きつけた覚えがある。忘れていない文句であることにはつまり、未だにブレていない部分なのだろう。それを拒否されて遠ざかることになったのなら、それもまた、誠意なのかもしれませんね。

 

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前置きが長くなったけれど今日書くべきことはひとつだ。

本日付で4年ぶりにトクマルシューゴの新曲がリリースされた。ほくほく顔で購入、Spotifyなどでも配信されていることを確認。トクマルさんやっぱり好き、イントロでもう、ああ、と。堪らない! これを今日の日付で貼りたかったのだ、嬉しい。

とはいえ、いちばんの驚きは4年も新曲が出ていなかったということで、確かにTOSSのリリースからもう4年らしい。来月頭のトノフォンフェスもとても楽しみにしていたのだけれど残念。配信楽しみにしています。