午前4時、嚥下する前に気づいて美しい眠りを吐き出した

 

夜通し歩いた、去年もそうしたように夜通し歩いた。
去年は夜通し歩いたのち、新宿の安くて破廉恥なレンタルルームで鏡に囲まれながら仮眠をとって、彼岸花を見に行ったのだった。彼岸花を見に行ったということは同じ季節かと気づいたのは夜通し歩き終わったあとで、それなら今年も見に行こうかと思ったら彼岸花畑の公開は中止になっていた。満開になる前に刈り取るとまで書いてあって、「想像の余地すらない」と君が言うまでわたしは、ないはずの余地の余白の部分でぼうっと彼岸花を見ていた。切り落とされた余りのパイ生地を焼いて砂糖をまぶした菓子は甘くておいしくて好きです。

お風呂に入って、髪を乾かして、時間帯で言うなら終電もすっかり終わったあとの地元を、ただ一晩歩いた。知らない住宅地の道に入ってみたり、どこに繋がっているのか知らない大きい道路をまっすぐ歩いてみたり、丑三つ時の神社で肌寒さを感じてみたり。暑すぎず寒すぎず、夜通し歩くにはよい季節だ。

「絶対に嫌だけど、嫌だからそうなったらいちばんに言ってよ」とぼやく彼女の横顔を見られない。秋はなんだか憂鬱なひとが多い気がしているけれど、わたしはル・コルビュジェの建物をコツコツ歩いて見て回って、牡蠣を食べてビールを飲んでいた。

 

 

 

「同じ誕生日のひとで格好いいひといないからさ、じゃあ命日はどうかと思って調べてみたんだ。ゼルダフィッツジェラルドが自殺した日だったよ」
「ほう」
「まあゼルダフィッツジェラルド別に自殺してなかったと思うし、でたらめなんだけどね」
「実際はどうだったの」
「特にパッとしなかったんだ……まあでも命日ってあんまり覚えてないでしょう、だから適当言ってもバレないような気もするし」

そういえば、出会った頃の君と今のわたしは同い年くらいになるのだね、その頃撮った君の写真を一枚あげた、「喜ぶかと思って胡散臭い格好してきたけど、どう?」。

 

 

 

「もしもし、久し振り。起こしちゃった? ああごめん、でも大事な話があるから3分くらい、うん、軽度の精神疾患と依存症の治療で入院することになった。自己破産とかいろいろあるからさ、復帰には時間がかかりそうなんだけど、したらまた連絡するから。で、そっちは元気にしてる?」

携帯電話料金もいろいろあるから解約したんだよね、と非通知(病院の公衆電話からだったらしい)でかかってきた電話を取ったのは勤務先のお手洗いのなかだった。なんかあったら病院に直接かけて、と言ったくせに病院の名前は告げられなかった。
起きてたよ、っていうかそういえば一応フルタイムで働いてるんだよね、うん。ちょっといま離席してるのに反射で電話とっちゃって、でも仕事に戻りたいから都合悪いって言ったんだけど、まあ3分ならいいか。数年ぶりに声聞いたし、なんか大事っぽいし。努めて寝起きのようなくぐもって曖昧な、柔らかい声で相槌を返していた。少しでも深く意識が朦朧としている風に聞こえたらよいと思いながら、うん、と繰り返し繰り返し。

だけど君は、わざわざわたしに、ずっと連絡も取っていないわたしに、そのことを電話で伝えようとしたのか。

 

 

 

久し振りにライブに行った。3月に平沢進を見て以来、半年以上ぶり。それでは生活も忘れてしまうよね、軸足が宙ぶらりんのせいで揺らぐ地面の変化にも気づけないでいる、「星と月の歌だけを歌います」。生まれ変わったら湿度になりたいと言ったことのあるらしい彼の弾くギターの音は湿っていてうっとりしてしまう。きちんと楽器を鳴らしている空間に入ったら身体ごと気持ちよくて驚く。
いつかもし聴覚を失ってもライブに行きたいと思う音を鳴らすひとがいて、それは情報の塊としての音圧が心地よすぎるからなのだけれど、それとは違う心地よさ。「弾いていない弦の共振?」と尋ねたら「それもあるけれど、空間に残る音響がいちばんですよ」と手首を痛めた少年は言った。
満を持しての星を食べるは圧巻で、最後のラララは歌えていなかったけれど、それこそ残っていて、空間だけじゃなくて、いやこの脳のしびれている余白の部分、余ったパイ生地の部分も空間と呼ぶのならその空間にも残っていて、熱を持ったロマンス。いつか彼は「ラブソングです」とあの曲を紹介したらしい、「化石のとれそうな場所で 星空がきれいで ぼくは君の首をそっとしめたくなる」。

 

 

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今年の君の誕生日はとても満月に近かったね。今更だけど望月って書いてモチヅキって読むのはなんだか不思議な感じがしない?