君との符号はとても早い速度で僕を包むから

 

動悸もひどいし呼吸も浅いしで散々な夜だった。もう軽度のトラウマといって差し支えないかもしれない、命の前に跪くばかりの脳をしていて、膝は痣にまみれて黒く変色している。そしてまた痣が身体に残りやすい体質だものだから、ずっと黒い膝で生きてゆくほかないだろう。転んだ記録も跪いた記録も、総てこの身体に残る。代謝しても拭い去れない痣を抱えて、膝を抱えて、激しく打つ心臓を全身に感じて、引きつったリズムで空気を肺に差しながら過ごした。

誰にも言えないSOSを宥める言葉も歌もよぎらなくて、ただ身を焼く。誰も悪くない、これはわたしの悪癖なのだ。迷惑を掛けるくらいなら死んでしまいたいとも思う。でもそんなことを言い始めたら既に死んでおくべきだったことに気づいてしまうから、それでも生きると言い切るしかない、それはこれまで死なずに生きてきた自分のため。そうでないと惨めでとてもいられない。

頭がずっと真っ白で困る。今まで何回書いてきたんだよっていう饐えた臭いのするこんな文章、美しくも目新しくもなんともない、を吐き散らかして、何か少しでも楽にならないかって思うのだけど、たくさんの眼がこっちを向いていて、暗くて鈍い眼は重たく刺さるから、お願いこっちを見ないでくれと、誰に哀願しているというのか。死にたいのではない、死ぬべきなのだ、とかいって思考の軸を歪めているのは誰なんだ、もちろん自分なのだけれど。だけどお前はいったい誰なんだよ、頼むから消えてくれ。

わたしに保守の価値がないのならもうそれでもよいのだ。「身を焼く」が比喩なのがもどかしい、本当に身体から出火してしまえばよかった、わたしごと燃えてしまえば遺るものもいくらか少なく済むだろう。わたしはとかく持ち物が多い。


こんなもの誰にも読まれないで済めばよい。だけれど書かずにいられない。朝からずっと頬がじゅくじゅくしている。堪えて座っているのが精いっぱいで、何ひとつ手につかない。座っているために、一行でも長く続けようってひとりでラリーをしていてこれはその記録。昔からそうだった。不安定になるとなんでもいいから吐き散らかしていた。紙とペンだと不自然な単語や知っている文をなぞるに留まることが多いが、キーボードがあると一気に指が喋り出す。そういえば、わたしの特にどうでもいい特技のひとつに「風船を割る」というものがあって(かつて必要に駆られて身に着けた)、これはパーティーの片付けのときくらいにしか使い道はないしそもそもそんなパーティーも滅多にないけれど、とにかく連続でいくらだって割って過ごせる。あの感じ。あの感じで頭を通さないものが次々に、このように。

たぶん、自分が生きていることについて、ずっと後ろめたさがあって、それをどうやったら払拭できるのかを考え続けているのだけれど、なかなかうまくはいかないな。大槻ケンヂは「ハッピーアイスクリーム」のなかで「闇に、帰るだけだろ」と書いた。ああだめだ、レティクル座妄想のことを考えているようでは、挙句書き付けるなんて。あれは胸にずっと留めおくものだ。記憶が逆流してしまう。

 

 

書き始めるときに頭をよぎっていたのは、もっと優しい曲だった。そこに着地したくってこうやって喉を痛めて吐いているのに、優しさは暖かくて柔らかいから無視してもなくならない気がして、つい蔑ろにしてしまう。それが有限であることを忘れている瞬間があって始末が悪い、甘えているのだ、でも傷つけていいはずがない。傷つく姿を見ると思い出すけれど、でもまた繰り返してもう。まったくもう。

 


「君の悲しいその想いは何も否定しないから 僕は先にヴァルハラで君の事待っているよ」

 

わたしも本当は何も否定したくない。でも呼吸が苦しいよ。どうせ苦しいなら走ったほうがよい、ヴァルハラで待っているほうがよい。と、ここまで書いたところで離席してすぐ潰れてしまった。死んだほうがよいのではない、生まれた以上は。生まれたことが間違いならば悪魔として生きるしかないだろうね。生きてきた自分のために。そう、わたし、生きてきました、そしていまここで息をしています。あなたはどうですか?