ナイフとライフとランプとニンフ


こうも頭痛が持続するのは珍しい。動けなくなりそうだと思ったし、現にほとんど動けていない。横たわって意識を朦朧とさせている、頭が痛いんだ、許してくれ、と訴えたってどうにもならない。

身体が重くてこんなにだるいのにしっかりきっちり平熱だ。動ける、全然動ける。そして少し動いたらまたすぐ朦朧とするがゆえ、実にあそびの少ない生活。身体を起こしているだけで精一杯で、この間まで継続していた運動もできない。まあ、同居人の引越しの荷物で場所が取れないというのもある。

頭痛の原因はなんとなくわかっている。おそらくは心気症的な部分も多分にあるのだろう、そうなると心身共に不調が長引く。突破口を見失いがちになるからだ、からだ、身体。でもわたしはそう、しっかりきっちり平熱だから、全部気のせいだから、楽しく過ごせば全部よくなる。うずくまらないで、外に出て。出たところで寒くて少し辛いけれど。

東京の従業員が3日休みを取る病気をした、というのはそれなりに話題になっていたらしい。あははと返事をする自分の声の抑揚のなさがよく観察できてうんざりした。周りのひとに負担をかけているのも肌で感じるけれどそこまで回収する術がわからない。でも少しはよくなっているはずだ。

 

安定と不安定を繰り返している辺りが不安定だが、振り返るまでもなく、自分が安定していると思ったことなどほとんどなかった。わたしがいま苦しいと泣き喚いたところでここまで来てくれるひとは誰ひとりとしていないんだよなあという、当たり前のことを折に触れて実感するたびに少し虚しくなるが、でもそれはそうだ、わたしに付き合っていたら身が持たない。ひとりでやるしかないんだよ、と言い聞かせて10年以上が経って、成長のなさにもまた虚しくなる。

 

簡易プラネタリウムをつけた部屋でキスをして甘いカクテルを口移しする。いつまでもそんな箱庭のなかにいる、箱庭を膝ごと抱きかかえて布団の奥深くで丸くなっている。

 

綺麗な文章なんてひとつも滑り落ちてこない。嗄れた喉、腫れた眼、それでも絶対に剣は捨てない。自分の番がいつまでも来ないし、きっとこれからもずっと来ない。だけれど逃げたらもっと納得できない。とどのつまりは自分が強欲だからいけない、でも欲しがらないと何も与えられないって聞いたよ。慎まやかな顔をして欲望を握り潰そうとするのも、もういい加減やめなよって思うもん。だけど、欲しがることで剥ぎ取ってしまって、相手が風邪を引いてしまったら?

 

Q.どうしてこんなにばかなんだろう
A.(笑)

 

 

いつか罰が当たるんだろうな、こんな風にしか生きていない罰。恥ずかしい、哀しい、自分の感情にしか気が向かない不具の痴れ者。それでも、欲しいものが欲しいのだもの。欲しがれとか欲しがるなとかみんな違って難しいし、わたしがばかだってことだけが身に染みてわかる。

天元突破グレンラガンの「お前が信じる俺が信じるお前を信じろ」という言葉を久し振りに見かけた。お前が信じる俺、が、信じるお前、を信じろ。イエッサー。

 

横になったら本当にすぐ深く眠りに落ちてしまう、眠りに逃げているのかもしれないし、本当に具合が悪いのかもしれない。重力を少しいじられたせいで何をするにも力を使うためにじわじわとHPを削られているような心地で、毎日打鍵しているキーボードさえ重たく感じている。

 


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中高の頃、毎朝礼拝があった。わたしは特定の神を持たないが、礼拝自体は好きだった。講堂のパイプオルガン、聖書と讃美歌の重み、パート分けせずとも自然と重なる歌声、誰かしらの何かしらの話、それを聞き流しながら適当に繰る聖書の薄いページ、両手を結んで唱えるふりをしたアーメン。

その中で癖として残ったものは鼻歌に讃美歌を選ぶことと、時折聖書を撫でたくなることくらいだったが、最近はしょっちゅう両手を結んでいる。正確に言うなら親指にしている指輪(のかたちをしたお守り)を撫でたり握り込むようにしていたりするだけなのだけれど、ふと、これが祈りのかたちに似ていることに気づいて面喰った。


でもそうだ、確かにこれは祈りだ。これも癖になって身体に残ったりするのだろうか。

 

過去に縋らないととても生きていけない自分を惨めだと、自分で思うときがある。そのくせ、今までどうやっていたのかもうまく思い出せないし、どうやるべきなのか思いつかない。でもイッツオールライト、わたしの肉体はまだ死に絶えたことがない。

 

 

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「僕はずるをしてもう一回生きてしまって」
「許せないよだから、

 

 わたしのいのちを、君にあげる
 パンケーキみたいに切り分けて、あげる」