シュガーの代わりにクリームを


祝いごとの日には、ということでケーキを食べに出かけた。こういった行為が自己満足であることは重々承知しているけれど、伝わらないもどかしさをどこかで晴らさなくてはいけない。わたしにとって今日は嬉しい日、大切な日。おめでとう。

 

言いたいことがあるような、少ないような。こうやって毎日文章を書くことは毒にも薬にもならなくて、ただただ習慣というか、惰性というか。

できればひとを傷つけたくなくて、追い詰めたくなくて、でも結果的に自分の首を絞めていましたよ、お蔭で周囲にも迷惑をかけていますよ、というよくある話。
誰にも評価されないところで行う葛藤が多い、それは秘すれば花といったことでもなくて、知れたところで「そんなところでエネルギー使ってどうするの?」と言われるだけのことだ。自分でもわからない、ただすごく不器用なんだと思う。

 

いつか誰かが気づいてくれる、なんてことは訪れないってさすがにわかっている。それでも褒めて欲しくてやっているわけじゃないからアピールをする必要はないし、第一アピールしたところで決して褒められる類のものではなくて、「どうしてそんなことを?」と言われるのが関の山だろう。

自分を苦しく追い詰めるこの作業は本当に自分のためなのか、と思いながら自分の矜恃の立ち姿を調整している。決して美しくなるわけでもない、なんのために? わからない、潔癖症に近いものだと認識している。
だけど、誰にも認められなくとも、救われたいし報われたいとは考える。何が救いで何が報いなのかは判然としない。


わたしはあなたをとても大切に思っている、ということだけを伝え続ければいいのかもしれないな、と思う。あるいは、自分の考える「大切にする」を実行し続けたいのかもしれない。そういう意味では自分のことなど全く後回しにしていることになるのかもね。
昔から要求を口にするのが苦手だった、欲しいものを言えた試しがないし、ものを渡そうとしているひとに「申し訳ないから」といって断るような子どもだった。きっと今でもあんまり変わっていない。わたしね、ダイヤになりたい。炭素の結合がどうとかなんでしょ、今すぐこの身体を分子レベルに分解してしまいたい。それでね、懐刀になりたいな。

 

感情はおのれの内側から湧いてくるものであるのだけれど、それとは別にどこから絡みついてくるものといった感じもあって、とても制御ができる代物ではないなあと思っている。
感触としては泥濘の中を歩いているのに近い、でもこれがわたくしの基本フォーム。過去も感情も全部この身体に乗っていきなよ、スピードは出ないけど遠くまで連れてゆく、今のわたしが見ている景色のその先まで。悪いふうにはしない、約束するよ。

 

不器用なんだけど、どうか最後まで誠実でいたいとは思っている。君もあなたもお前もわたしも遠くないうちに死ぬし、生きてるってすごい短い時間の話なんだけど、生まれたことに必ずしも意味があるなんて思っちゃないけど、でも超有り得ない現象が起きてるなってことは足りない頭でもわかるんだ。命に大した意味などないからこそ、どうか、命の限りに。

 


それからこれは、めちゃくちゃいけすかない「ハッピーバースデー」です。

 

初恋のパパからまだ手紙来るの?

ゲイの恋人と家を出てから

余計なお世話だけど返事は出したほうがいい

今でも愛してるって書けばいい

それがキミの恋でしょう