暗いならスマートフォンの懐中電灯機能を使えば?

 

余計なことを言わせたらわたしのほうが大分うわてだから、謙遜しないで頂きたいし、それより何が余分かわからないわたしを許して欲しいと思う。そもそも生まれてきたことやいま生きてることが余分だって説もたぶんにあってそれは誰にも否定できない、でも証明もできない。
自分が楽になりたくてひとを使ってしまった、という心地がある。よくない。本当によくない。申し訳ない。

 

また食が細くなりかけている、そういえば去年の4月は意味がわからないままにほとんど食事ができない1ヶ月間を送っていた。原因は未だによくわかっていない。
とはいえ大まかにはまだ食べられている、今日は新潟にいたので少し張り切った。あちらは桜がちょうど満開だった、ぬるい川がたくさんあって心地よかった。

 

中高の講堂によく似た構造の場所で、これは罪悪感なのだという気づきを得ていた。落ち着いて考えればよい、何も起きていない、わたしは楽しくやりたいし楽しくやっている、今だってワンカップを2杯飲んだし。片方はワンカップのくせに660円もするちょっといいお酒だし。しんじょと塩辛をつまみながらハイスピードで帰ってくる。


へなへなと力が抜ける気のするのは、自分の想定しうるどのルートを辿ろうとも、わたしは自分が納得する自分を遂行できないのではないか、と思い至ったからだ。もっと自分を信じていたい、いつも間違う自分に腹が立つ。それが本当に間違いかどうかなんてわからないくせにさ、どう歩いても格好良くならない。
そう、わたしが格好良くなくてへなちょこなのが全部悪い。

自分が歩いてきた道こそが唯一のトゥルー、遠回りでも美しい旅路だと思うのは難しい。でもわたしはこうしか歩けなかった。きちんと、そのときどきで手前の足りない頭で、氾濫する感情で、目一杯考えて選んでいる。つまりさ、結局のところ自分を過大評価しているだけ、もっとやれるなんて思い上がりで、わたし以外誰もわたしに期待していないって話。それはそれで癪。

 


「もっとひとりでやらなくちゃ」と「もっとひとに頼らなきゃ」が混在している。本当はひとりでやりたいのに、頼ってよい相手などいないのに。

こうやって考えるから追い詰まるのはわかっている。もっと追い込まなきゃ、という気持ちもどこかにある。常に二律背反の世界でぎゅうぎゅうと挟まれて引っ張り合われている心地。両サイドに自分が立っている。わけがわからない。ワンカップを2本も飲んだからじゃない? ううん、ワンカップ2本じゃそうそう酔わないよ。

 

意識を逸らし続けよう、みんなでもっと踊っていようよ。それがだめならキスとかセックスとかしよう、お酒飲んで笑ってようよ。笑ってるほうがみんな素敵だってば、ね?

 

 


この曲のジャンプしながらくるくる回りたくなるような開放感が好き、3拍子と5拍子が交互に挟まる浮遊感も好き。PV見たの初めてなんだけれどいろいろ語りが入ってたりするんだね。冒頭、「夢を見てた」で膨らんでゆくさまがいつも鮮やかで光がふわっと入ってくる心地がする。いつだって音楽だけを聴いていた。

そういえば、「涙が枯れるまで泣いていた」といった歌詞を聞く度に、涙が枯れたことはあっただろうかと思う。わたくしの涙腺は随分とタフネス、持久戦に強いよ。何時間だって泣いていられる、迷惑な話だよね。こりこりして美味しいと思うから食べて欲しい。ふたつあるからいっこあげるね。