哀しみは塩蔵される


新宿伊勢丹のワコールには身体をスキャンしてくれるサービスがある。試着室みたいなブースに入って計測すると自分の3Dデータみたいなものが出てきて、身体中のサイズや肉の付き方など、数字だけではわからない部分を加味して下着をサジェストしてくれる。
諸々の細かい数値は忘れたけれど、タブレットに「胸の容量:1」と映されていたことだけはよく覚えている。容量が小さいからすぐ胸がいっぱいになるんだ、と白けた気持ちになった。

「溢れやすいから生じているだけで、お前の感動にはさしたる価値がない」

 

 

▼浸透圧の話
手を繋ぐのもうまくできなかった、触るだけでとてつもない情報量が一瞬にして身体に流れ込んできて、心臓がふたつに増えたみたいで、とてもどきどきしてしまうため。
歩く途中で手がほんの少しぶつかっただけで稲妻が走るように身体がびりっとした。細胞があなたの細胞に触れることを喜んで、それはすぐに優しく馴染んだ。このまま溶けてゆくんだろうなと思うほどには。

 

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「迷惑をかけたくないとかひとに気を遣いすぎる節のある君が、迷惑だってわかっていながら動けないでいるっていうのは、もう初めてのこと、異常事態なんだよ。それだけ好きで、自分でどうにもできないほどのことで、君の未熟さにだけ非があるわけではないんだ」

 

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眠たい自分というのは未知の恥ずかしいいきものなので、できればひとにお見せしたくない。
でも頭の回転が失速して、話している内容にピントが合わなくて、ああ噛み合ってないなと思いながら何度も返事を、それは寝ぼけと言われるたぐいのものを、そうとわかっていながら返した。意識が落ちる直前までずっと、意識トバして逃げるよXXX。

しょっちゅう聴くナンバーが「火の鳥」や「ワンダーキス」から「売春」や「CRY」に変わって、概ね「空中線」みたいな気持ち。
こうやって話しながら、だけど本当はね、終わってないって心のどこかで穏やかにずっと当たり前のように思い続けていて、だから身体はおかしなまでに他人を弾く。胸の容量が1だから。
容量を超えた分は塩水として流れてゆく。塩蔵した海藻がもう生に戻れないように、こんなに塩に浸ったわたしもまた不可逆なのかもしれないね。君がいなけりゃ地獄もないけど。

 

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「いろいろな考え方があるけれど、君に対してその言葉を発するということにどんな意味があるのか、どう受け取るのか受け取っているのか、きっとわかっていたはずなんだ。だからね、君相手にそれをいうことはね、それなりの重さがあることなんだよ。わかっていながらにして、知らんぷりをするべきではないんだ」

 

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▼直したものを戻したという秘密の記録
古い日記の誤字や脱字なんかは直さないのだけれど、去年実は1ヶ所だけ直したのがあって、でも結局さっき元の誤字の通りに戻した。

 


甘えてはいけない、困らせてはいけない、迷惑もいけない、掛けるなら最小限に。自分で全部やらなくてはだめだよ。わたしはとても甘えるのが下手だ。いつも言葉がうまく出ない、でも言葉数が多いから深追いされない。
漠然としたことしか言えないからみんな結果的に困ると思う、大丈夫だって思いたい、安心したい。いつもそんな抽象ばかり。でも大体のひとは大なり小なりそう思いたくて、だからそんなことは口にするべきではない。

 

 

▼キスをする前に聞いた話
二度目に会ったとき、あなたは昔話をした。それはとても珍しいことだ。過去に恋人を信じきれなかったことがあるといった内容。
意味はのちに理解した、つまるところ、自分と同じ思いをして欲しくないのだと心底思っていたのだろう。実際そうだと恥ずかしがりながら認めていた。信じても大丈夫だと何度も何度も粘り強く口にして、黒くこびりついた不安を少しずつ着実にふやかして。

だからわたしも珍しく、ここで安心してもよいのだ、と思った、思ったんだ。これは本当にすごいことなんだよ、偉業だよ。オキシトシンのシャワーが降り注ぐ、きずがというきずが癒えてゆく日々。

過去を持たないあなたが、現在このしゅんかん、必要だと思って口にした過去。

 


あなたも甘えるのがとても苦手なにんげんだった、元より甘えるという発想を持たないような。自分は孤独であると何度も口にした。
甘えてもらえないたび、わたしが至らないからなのだと歯痒く哀しく思っていた。わたしもずっとこんな気持ちを与えていたのだろうか。

でも、まあ、元気があれば余裕があれば、きっと何かを作るんだろうし、軽口ぐらい叩きに来るはずだ。それも32ビートでね。

 

 

▼日記
あのバンドが4人揃うのを見るのは今日が最後だった。次見ることがあるのなら、そのときは3人になっている。最後の最後に見た4人の姿は、ドラム台に残りの3人が向かうかたちだった。何度も見た景色だった、何も当たり前でない日常が、では日常なんて概念自体がそもそも間違いなのかもね。