何のための肌

 

聞いてくれたことなんてなかった、聞きたいから聞いているらしいのだった。聞きたくないと思われたのだとしたら、したら。

 

今日は晴れたから散歩をして、知らないパン屋に入って白い粉に卵を落として掻き混ぜて焼くなどした。

 

そこで生きているあなたのことがとても大切、大切な一生を尊重します。ねえ、いまここで生きているわたしは? わたしは、下に伸び続けるあなたの見るわたしは、わたしにとって生年月日や血液型のように揺らぎのないあなたは。

わたしは今でも迷っていない、感情はひとつも迷いがない。戸惑いと動揺が少しある、未だに現状を理解できていない。

 

AIR聴きたいなと思いながらiPodを取り出したらAJICOのすぐ上だったのでラッキーな気分になった。

 

あなたは感情が強すぎる、という指摘等の話。感情が強すぎると言われても、他のひとになったことがないからわからない。 感情にも筋があって論理があるという話なのはわかるのだけれど、でもわたしはやっぱりこれに論理を見いだせない。

感情はいつも荒れ狂う水で暴力だ、これがなければどれだけよかったかと思うことも、ゼロってわけではないのだけれども、でもきっとこれがないと生きている感じもしないんだろうな。

 

小学生のとき受けたテストで、一度だけ国語の成績が全国上位5位に入ったことがある。そのときのテーマが「詩」だった。それはただの偶然で時の運だったのだろうけれど、ああそうか、と思った。生まれて初めて詩を意識したのは小2、書いたものがクラス代表に選ばれたとき。そのときぶりに詩と自分の距離を考えた出来事だった。
いちばん最初に文学作品を読んで感動したのは、国語の問題を解き終えて、問題集の飛ばした箇所を読んでいたときだと思う。たまたま読んだ作品で授業中に訳もわからないまま涙が垂れてきたのが最初、そしてそれもやっぱり詩だった。
どうしてこのひとわたしが感じていたことを、でも言葉にしようと思ったこともなかった、そんな言葉にする前の感覚を、なかった感覚を、それでも言葉にしているんだろう、どうして知っているの、どうしてわかるの、あなたもそうなの? 魔法のようだと思った。

詩に近い性質の言葉を交わすなんて、脳に触れる、体液を交換するにも近しいことで。誰とでもできることじゃない、誰とでもしたいことじゃない。

通じてみたい、という気持ちについて。どうせ魔法は簡単に架かるというのなら、いうのなら。

 

ところで4月の青空にはPoeple In The Boxの完璧な庭がよく似合うと思う。そのことに気づいたあの4月の精神状態もひどかったな、イリーガルな薬物の中毒なのではないかという噂の生じた日々。チュッパチャップスを舐め続けて震えを逃して過ごす。体重は人生の最低値を叩き出していて今より10kg以上、下手すると15kgほども軽く、文字通り風が吹くたび倒れていた日々。最低な気分を引きずって下った坂道の先には線路があって、簡単に侵入できる高さの柵で、自分の代わりに何度も何度も神様を惨殺した。

記憶が抜け落ちている時期の話、でもあの感じは薄ぼうやり覚えている。

 

 

「過去なんてない、未来も知らない、過去も未来も見たことがない。現在しか知らない。過去ばかり見ているように見えるって言うけどさ、いつだってそうやって過去を手にとっているのは現在の自分だ。だから過去なんて知らない、今見ているものしか知らない、再現度がいかほどかなんてわからない、これは本当に過去なの?」

粉と水と卵を混ぜたものが焼けるのを待ちながら、そう言った。