完全無血の為すままに

 

携帯端末の振動で目を覚まして、雨の激しく降る音でもう一度目を覚ました。窓の向こうは晴れていて、狐の嫁入り、青空を見ながら強い雨音を聴くのは寝起きの朧に愉悦。

常にカフェには困っているので新しく出来たというのを視察しに行ってみたら、この10年何度も使ったチェーン居酒屋の跡地だった。同じ間取りの店でアイスロイヤルミルクティーを飲む。冷房を効かすのは早いと思ったしせめて温かいお茶を頼めばよかった。公園を散歩してみたらそのへんの草木から白っちょろい新芽が伸びていてすこぶる5月っぽい。

 

過去に浸るというよりは過去がわたしに会いに来るという感覚が近いのかもしれない、この身体に折り重なったいくつもの時間帯や季節が手を替え品を替え一瞬だけ変なところにリンクしたがる。

この身体に全部積もった、そしてこの身体から全部抜けた。どの瞬間のわたしだっていまのわたしでなくて、そのいま一瞬のわたしは即座に永遠となってあとの何者にも関与されない。
時系列じゃない、中央にわたしがいてそこから放射状に置かれている。でも寝相が悪いからたまに誤って触れてしまいそうになるだけ。

 

楽しくないのはどうやったって離人感だ。躁だの鬱だのさえ遠くにおいて感情も感覚も総て鈍麻する。正確に言えば鋭角でぶっ刺さっているのを眺めることしかできなくなる。血が流れているなあと思う。無痛ではないから痛いのだろうとも思う。

現在の自分さえ放射状に並んで見えて、ここに誰もいなくなって、誰が一人称で綴っているのか見失う。世界が二人称になる。二人称小説といえば「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」と「爪と目」くらいしか知らないな、一回書いてみたけどてんで上手くいかなかった。

自分がどんな声で話すにんげんなのか忘れている、そんな声じゃないだろと野次を飛ばされて、思わぬ言い草につい吃音を起こしていれば、この程度でへこたれないよう自信を持てと叱咤される。
愛が免罪符になるのなら誰もかれもとっくに獄から出ているだろう。あるいは無痛のにんげんになれるなら愛を免罪符にしたっていいのかもしれない、血管も神経も通わぬ愛で。

ふざけんなよ、ちゃんとわかってる、声門が振動しないだけだ、唇が痙攣して舌が硬直しているだけ。相変わらず水分が足りないからぱっさぱさに乾いていて、せめて口移しで水を飲ませてみたらどうって思うけど、別にコップを傾けることくらいひとりでできるしね。飲んだところで消化器が引き攣って上手く吸収してくれないから身体が参っている訳なんですが。

 

とにかくわたしはまだひとりでやらなくちゃいけない、こんなところにいて堪るかよ、どうか安心したい。安定じゃない、安心したい。そもそもずっと息が苦しい、呼吸で精一杯で上手く話せない、酸素の絶えた脳に何を期待されても冷たく縮むばかり。深呼吸をさせてくれ、待てないというならせめて背中をさすってくれ、でもまあ踏みつけられても芽が出るタイプのアレなんですけどね。そう思い込めてるから今日まで永遠を続けている。

簡単に絶望なんてできない、でもそれは希望が潰えないからじゃない、未来は性質として混沌で、生まれる前もいまも死んだあとも一度たりとも掴めないから。だから未来を追い抜いてみるしかない、いい、御託はあとでいい、走って。