書き終わった瞬間結果を知らせるメールがきた

 

悪路をかなり行ったところ、具体的にはタイヤを半分くらいまで水没させながら数十分か数時間か行ったところで立ち行かなくなって近くに会った家に助けを求めた。最初に呼び鈴を鳴らして出てきたのは30代くらいの男性で、結局その家にお世話になることになった。

ふと二人で話している途中でいきなり抱き締められて、「でも嫌がるならこれ以上のことはしない、女性には大切に触れたい、傷つけたくない」と言う。でも少し息が荒いので心底うんざりした、大切にしたいなら最初からそんな触れ方をするなよ。抱き締めるだけならいいみたいな、むしろここまでは「大切にする」行為の一環だよ、みたいな捉え方やめな? 「無理なことは頼まない、安心して」ってそれ美徳でもなんでもない、普通だから。その普通。普通にできないひとも多いだけで別にすごくないから。

眼差しが肌に刺さるのが薄気味悪く、ほどなくして頭を下げて慌ただしくその家を出た。車はもうダメになっていたから置いてきて、歩き初めて30分弱、荒れているけれど既視感のある場所に出た。古くからあるパーマ屋さん、自宅から歩いて5分程度の場所。どうしてここに、じゃあいま歩いてきた道は? 頭の中の地図が融解してひどく困惑していたけれど知っているところに出た安堵感もあって、でもそこで疲労感がきつくて動けなくなってしゃがみこんだ。立ち上がって歩きだしてもやっと数メートル歩いてはまたしゃがんでしまう体たらく。

世界を見違えるほどの曇天。知らない男。狂った地図。どうなっているんだろう、と思っていたら目が覚めた。

 

 

最近寝て起きると右目が痛む。まつげでも刺さっているのか、こする癖があってゴミが入るのか。唾液を採取してサンプルを郵送する、自分の唾液もサンプルになるのだと思うとなんだか小気味よい。そういえば陰性と陽性ってどっちがどっちなのかずっと覚えられないでいた、どうして陰と陽なんだろう。どうでもいいけど血が潜むと書いて潜血って読むのは格好いいと思う。


行動を信じるということについて考えている。行動が伴わないものは無だと捉えるのは少し極端な気がして違和感がある、ゆえにわたしは積極的には採択しない考え方なのだけれど、でも精神と理想だけで信じられるだろうか。思考と行動。

胸に輝く事実が欲しい、このままじゃ背骨が曲がり切ってしまうよ、毒でくたびれきった袖と襟、自家中毒キメるくらいならカチ込めばいいのにその体力がない。とどのつまり内側か外側かくらいの違いしかなくて大差ない。


夜は涼しくて好き、ずっと綿の長袖の下着とパーカー着て散歩していたい。どう歩いてもふらつく。さっきは薄い階段を登ろうとして上の段に乗せていた足が滑った。一歩ごとに片足首に全体重乗せて歩いているっていうのは正気じゃないよね。
西のほうは梅雨入りとの報。屋外で眠るのならいちばん気持ちの良い季節、ここが夢じゃない自信は持てない。誰にも見えない場所に刺青をいれたい、虫垂とかいいと思う。街中のあらゆるところで眠りたい、ベンチについてるいけすかない金属を溶かして眠る猛獣になりたい。あみんかよ。人工川が涸れて長いから目を瞑ってももう靴は濡れないのでした。