しょうじょのにおい

 

既に令和史に刻む勢いのジュテーム、黒いダイヤの柄のロリータ、何度も立ち上がる姿、ドヴォルザークのユモレスク。

いろいろなひとがいますというのを犬に例えようとして「ボルゾイから秋田犬まで……ボルゾイ、シェパードにブルドッグ」と言ったひとは真っ黄色の髪で、比喩に犬を用いるわりには幅が狭いし、まずボルゾイが出てくるのが大胆だと思った。

 

嘘も本当もない、言葉は言葉でしかない。誰がいつどこでどんな風に言ったかで全部変わる。フィクションとノンフィクションを泳いで口に運ぶアメリカンチェリーの肉厚さ。去年ウイスキーに漬けた気がするのを忘れてまた漬けたいと思っている。

相性の良さなんて不明確、それに疑いがないとしても軸足置いて頼り切ってはいけない、悪くても自分たちでよくしてゆける。相手が自分ををよくするのでもなく、自分が相手をよくするのでもなく、ふたりがふたりをよくしてゆく。

でも確かに最高に似合えるって思った瞬間は何度もあったし、混ざりあってゆきたいとも思ったけど。タイミング。大事だよねタイミング。

 

自分の足でもっときちんと立ってからじゃないと何もお話にならない。すっかり思考力も判断力も落ちてしまった。

わたしにもいいところが多少なりあるはずで、あったはずで、それを全部見失っていたらなんにもならない。ただ卑屈で、間違って謝って壊れて、繰り返してまた卑屈になって。とにかく自信をごっそり失った、そうやってあったかもしれない魅力さえ欠損して、そんなガラクタみたいなものをひとさまに押し付けられますか。

 

「悲しい世界を浄めるように街角で微笑って 君の誇りを汚すものから君を守るから」

 

気づいたらあとは飛翔のターンキメるだけ。前よりずっと軽いもの、もっとよくなるって素直に思う。手始めに10年使った財布から新しい財布に諸々詰め替えて、つっぱる革を子守唄みたいに撫でて眠る。

 

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そういえば蟹座のミュージシャンについて話しているひとを見かけた。

野田洋次郎とナユタン星人を例に挙げた上で、「俺が木星人で 君が火星人だろうと 君が言い張っても 俺は地球人だよ いや、でも 仮に木星人でも たかが隣の星だろ?」など、宇宙を題材に出しすひとが多いこと、そして自分の本能や感情、心だけでそれを超えてゆくという強い意志を感じさせる、という解説をしていた。

ああそうね、「合理とは真逆のプログラム」とはその通り。他にも気持ちひとつでどこまでもすべて信じてゆけるという解説もあって、それもまたその通り。面白いと思ったので書き留めておく。