ままならおわ

 

何も言う暇がない、口を挟む余裕があるくらいなら腹式呼吸してたいし本を読んでたいし音楽聴いてたいし動いてたい。嘆いている暇なんてどこにも1mmもないし、貝の内側の色をした可愛らしいタンブラーを傾けて飲んでいるのはプロテイン。食事も睡眠もいらない、鈴を飲み込んだあとの舌先のせいで頭が澄んでいる。


出会ったことのない男が腰に手を回して細いねと言ったから唾を吐き捨てる代わりにキスをして微笑んだりもしくは警察で調書を取られてみたりして、また知らないひとから電話がかかってくる。オカネを持っておいでと鼻で笑って札束で頬を叩かせるように振る舞うことや、実際にそれを行うことの是非にはさほどの興味がないけれど、事後に渋々財布を開かれるような真似だけは心底腹が立つ。心身に勝手に値段をつけられるみたいで嫌だ。ディスプレイに触る馬鹿の相手をする暇は人生に秒も瞬もないけれどそれを社会に放り投げるのも腹が立つ。

某署の取り調べの個室は空調が切られているのに意味がわからないくらい寒くて、同い年だという気さくな男性の警察官は申し訳なさそうに毛布を出してくれた。当直のひとが使うものなのだろう、それで身体を包みながら7時間ほど過ごした。終わってまず向かったドラッグストアで高カロリーのゼリーを買って、一度場所を変えて着替えたら次は衣服を提出しに一日二度目の署に行った。善行よりも署。

45才のアルバイターと書かれた書類。顔写真の横に「この男性が犯人で間違いありません」と一筆書く面白い慣習。署で話すために冷静かつ客観的に状況を把握することに努めたけれど、それでも腕を掴んだホームでは膝ががくがくした。エネルギーが足りていないせいにした。そういうところから滲む弱さを丁寧に潰したい。

活動限界が近づくと移動速度が遅くなるというmoonの演出はかなり肉体に忠実に再現されているのだと感心する。高カロリーゼリーとヨーグルトと鶏肉と豆乳をのろのろ買ったら、トイレに行く余力さえ残っていなくて気づいたら朝で身体中が痛だるかった。板田ルイ、という架空のボーカロイドの話をしていたことがあった鼻筋。

 


:::

 


森永ラムネを調達しながら、BMI16台のときのことを思い出していた。嘘。思い出せない。森永ラムネを口にして脳を保っていた時期。きっと今でもわたしにアイデンティティなんて大層なものはなくて、脳に染み渡る糖の濃度とか角度とかが大体全部なのだ。それをこねくり回して今日も思考があり美しい鈴の音ですね。
とにかくもっとソリッドにできるって身体中が言っている。こういうことをいうのは骨じゃなくて肉とか細胞とからしい。文章もこんな長く書く必要なくてまどろっこしい、精神も肉体も無駄が多いからもっとざっくり切りたい。まじで暇がない。まじで暇がないわたしの7時間を突然奪った罪っていう罪を新設するべきだって衆院選に立候補でもしようかな、そんな暇ない。ここにいる暇だってない。

 

わたしは理解しない、何かを理解することの難しさを知っている。投げ出すわけじゃない、でも理解することはありえない。理解したいと切実に望みながら、わたしは決して理解しない。それは歩み寄ることの拒絶ではない。だけど歩み寄るって何、何様? 走りながら無限の計算を泥臭く華麗に掻い潜ってたい、距離で錯覚する暇があったらちゃんと脳を使えよ痴れ者って話。わたしはわたしになり続ける。

 

春も夏も冬も名乗ったけれど秋だけは滑り落ちてゆく。