ゆれかん

 

塗り広げるまでもなく、わたしの肌はクリームで出来ている。弾いてしまうのはそのため。あるいは乳化ができていない部分がまだ多かったのかもしれない。乳化とは地道な作業だけれど、そもそも乳化なんて知らないでしょう、チョコレートの湯煎の仕方も知らないあなたなのだから。

とにかくどうあがいても無理の様子、あなたは悪くない、わたしが潔癖なだけ。善良なひとだし別に嫌いじゃない、でもその言葉のひとつひとつが黒板をひっかく音のように響くから鳥肌が止まらない。肌の表面がぞわぞわして逃げたくて仕方がなくなる。わたしの純度を侵さないでくれと言わんばかりに分厚くなってゆくクリームのせいで内側の水も出てゆかない、これじゃあむくんでしまうよ。突き詰めて考えるまでもないくらい肌は全部を知っていた。ぎゅっと考えてみてこの感覚を言葉にあてはめたらそっちのほうが残酷で。


わたしの潔癖は、たぶん理解してもらえるものではないと思う。

というより往々にして潔癖ってそういうもの、潔癖って大体正しくない。「自分は潔癖症だから合わせてね」なんて言って、自身の気持ちいい方法、つまり自身がもっとも正しく衛生的だと思い込んでいるが衛生的に正しいかどうかは案外度外視している方法を強いるひとがいる。その自分を正しいと思い込める力に驚いてしまう、よくそんな不衛生ができますね。
傍から見たらわたしが何に対して潔癖なのかもわからないだろうし、自分でも粟立つ肌の感覚で捉えてて言語化してない。いいひとでも潔癖に障ることはあるし、それだけで触覚が弾いてしまうことがあってもうどうしようもないというだけの話。入らないで触らないでと思うのはわたしのわがまま、でも通していいわがままだ。自分を濁してまで触れたいと思わないのなら尚更だ。

 

気持ち悪い言語で話すのはあなたがたの勝手だけれど、わたしに気持ち悪い言語で話させないで。でもこの基準も全部わたしの正しくない潔癖でしかないから気にしないで。分厚いクリーム、アボカドみたいな肌、掴めば沈むテクスチュアをまとって生きてゆくだけ。

 


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初めてみなとみらい駅に降りた。駅を降りたら建物のなかで、ほとんどその建物から出ずに終わった。観覧車が見えて、きっと赤レンガまでいったらグリューワインが飲めるだろうかと考えたけれど、クリスマスも過ぎていたから確証はなかった。夜景クルージングの船が出ていて、あ、これ前に調べたことある船だ、と思った。ビリヤニを食べて帰った。

狂人の両親はクリスチャンだったそうで、クリスマスの彼は讃美歌106番を歌ってから「父親は変なひとなんですよ、でも……母親も変だったんでしょうねえ」とぼやいた。Gloria, in excelsis Deo!

これ以上は無理、というところまでやったけどダメみたいだからもう場所を変えたっていい。それをするのに悔いが残らないくらいやりきった。

ひとまずの目標には届いたので少し嬉しい、でも通過点に過ぎないしここからだ。自分の思う自分の身体でいたい。軽やかだ。

排卵したかどうかってエコーでも見えるって初耳だった。ぽんっと飛び出してきたそれって直径2cmほどもあるらしい。2cmのものを排出しているなんて知らないでいたよ、見たことないということは内膜や血液と一緒にばらばらになっているのだろう。2cm。

指輪がバージョンアップした。

 


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自分の肌感覚をもっと信じていい、というか他に信頼できる感覚器があまりない。わたしは正しくない、でもこれがどうしようもなく正しい。おかしいのはわかってる、でも怯まない。怖がらないで、微塵も美しくないものはこの世のなかに有り得ないって知っているだけなの。
路地裏の吐瀉物もその周りを走るネズミもその数メートル向こうで倒れてる水商売のお兄さんも、全部綺麗って思う。
わたしはきっと綺麗じゃない、だから全部が綺麗に見えるのかもしれない。それでもいい、わたしの視界がわたしの世界だ。幻覚に塗れていようとも、両目で像が結べなくても。

このあとは花を買う予定。