日記

 

飛蚊症みたいなものだと思う。わたしの周りを飛ぶ蚊をすいと捕まえてくちゅっと畳まれていた彼らを開く。そこからチカチカと広がる色の話、それはその瞬間だけの景色で記憶の中にあるものでさえない。そんなものの話だけをし続けている、だからおかしいんだと思う。ずっと今の話をしていて、ここにいるひとの話も、いないひとの話さえもしていない。わたしの話だけをしている。視界がぐるぐるで酔ってきた。身体の中に時間がある感じがしない。過去も未来も一緒のことで、全部欠片のちらつきで、だってストロボのひとつひとつって精査しなくてただ打たれるだけじゃない? なんかそんな感じで、光は、はやいよ。

 

こうしてここで歩きながら長らく日記を書いているけれど、確かにこれらは日記でしかないけれど、あんまり日記だと思えていない。ずっと物語を喋っているって思う。わたしは見えたものを喋る筒で、誰の話をしているのかわかっていない。ぎあぎあするストロボを反射で掴んで、蚊を広げて読み上げているだけ。

いま掴んだものをわたしのやりかたで整えているはずなのに、その「整える」の工程が日記を歪めている。誰の話でもなくて、ただ言葉がある。音楽が鳴ったら肩を揺らすようなこと、わたしが呼吸をしたあとに言葉があるだけ。本当のことなんか書いてない、誰のことも書いてない、全部がひどく抽象化された物語みたいなもので、何も整理されないからこの頭に入っていない。身体だけが喋っている。チラつきをひたすら処理している。今しか見ていない。そこにはわたしさえいない。こんなもののどこを日記と読んだらいいんだろう。

 

言葉にしたいことがあるから書くんじゃなくて、言葉にできないことばかりだから書いているんだろうと思った。言葉にしたいわけじゃない、誰かのためにまとめたいわけじゃない。いろいろな加水率を試しているだけ、ぼろぼろになってまとまらないものを眺めて、そのまとまらなさの実践をしている。今日の夕飯はうどんだった。

あしりない

 

口に入れるときは食物なのに、体液と混ぜて口から出すと汚物と呼ばれるということは、結局汚いのはこの身体の内側なのではないかと思えて嫌になる。あんこうの吊るし切りみたいにしたら切り口から溢れる愛愛愛愛愛を見たい。それを見せられないなら出血多量で終わるだけ、それなら終わってしまっても悔いないことない?さすがにそんなことはない?? 裏返してやりたい、逆さにしてやりたい、あの子猫に暴かせたい。見えないものを見ようとして誤解したい、覗き込みたいのはそこじゃないあれじゃない。わたしだって色が見たい。

どいつもこいつもわかんないって思ってる。前に付き合って欲しいと口にしたひとは、初めて裸を見せたとき「前に好きだった子は背が低くてぽっちゃりしててショートカットで、だから君も髪を切って肉をつけてよ」と屈託なく笑って言った。誰を好きなのかよく考えてから口にするべきだった、どちらの言葉を吐くにせだ。わかんない、って思う。わたしのことを尋ねてみたら、「好きなところが挙げられない」と返ってきた。

どいつもこいつもわかんないけどわかんないものがそのまま直結して嫌いなわけじゃないよ。巡りの悪い頭で考えてる。

 

たゆたゆと言葉を満たすのに時間がかかる。深く沈まないとどこへも浮かんでこられない。

ひとに言葉が伝わらないことを明確に知ったのは腹痛のさなかだった。「きりきり」だの「しくしく」だの「刺すように」だの、そのどれでもなかったし、そもそもそれらの差異をちゃんと把握していなかったことに気づいた。だから言葉を尽くした。当時の自分にしてはあらゆる言い方で何度も言い直して尽くした、具体的で個人的でいま言うべきことを言おうとしてそれで、てんでだめだった。決められたテンプレートに沿って申告しないといけないことを知った。何も伝えられないことを知った。伝えたい言葉では伝わらないから、伝わる言葉を探しにいく。自分の言葉だけでは生きていけない、そんなこともわかっていなかったのに、国語の成績は全国5位以内に入るし作文を書いたら表彰された。自分が何を読み取った気になって、他人に何を理解された気になったのか、全然まったくわからなくなって、やけに寒くて、あのうっすらした混乱の中にいるんだと思う今も。

 

自分の言葉を尽くそうと思って考えたこんな一連の思考は、「言葉を尽くす」ことにならないだろうか。そうじゃないって言うかもしれない。だとしても「それっぽく」為してしまうことなんてあまりにも簡単だから、絶対にそれをしたくないしそんなことされたくもないだろうって思った。だから全部をまっすぐ書くことにした。
あるいはもしかしたらそれでもイイってその瞬間は思った可能性は否定はしきれないけれど、そんなものを見て見破れないような脳じゃないって知ってる。信じてる。「知る」と「信じる」の間に横たわる溝、結ってしまう甘さ。少なくとも絶対に嘘をつきたくないと思った。夜が明けた。見破ったあとにある真に底から冷えるような白けた気持ちなんていちばんいらない。

それが本当じゃないって読み取ってしまう視線の冷静な運び、眼球の震え、瞼にそっと指を乗せて感じさせてほしい。指の重みを感じてそのまま眠って欲しいと思う。
言葉がないと死んでしまうのに言葉はいつもいつももどかしい。だけど絶対に軽んじるわけにいかなくて、気味悪いほどもどかしいから意味があるなんてまどろっこしさをじっと見つめてる。どいつもこいつもわかんないし、自分がどうしてそんなことするのかもよくわかんないけど、やめる気がないことだけはわかるよ。