完全無血の為すままに

 

携帯端末の振動で目を覚まして、雨の激しく降る音でもう一度目を覚ました。窓の向こうは晴れていて、狐の嫁入り、青空を見ながら強い雨音を聴くのは寝起きの朧に愉悦。

常にカフェには困っているので新しく出来たというのを視察しに行ってみたら、この10年何度も使ったチェーン居酒屋の跡地だった。同じ間取りの店でアイスロイヤルミルクティーを飲む。冷房を効かすのは早いと思ったしせめて温かいお茶を頼めばよかった。公園を散歩してみたらそのへんの草木から白っちょろい新芽が伸びていてすこぶる5月っぽい。

 

過去に浸るというよりは過去がわたしに会いに来るという感覚が近いのかもしれない、この身体に折り重なったいくつもの時間帯や季節が手を替え品を替え一瞬だけ変なところにリンクしたがる。

この身体に全部積もった、そしてこの身体から全部抜けた。どの瞬間のわたしだっていまのわたしでなくて、そのいま一瞬のわたしは即座に永遠となってあとの何者にも関与されない。
時系列じゃない、中央にわたしがいてそこから放射状に置かれている。でも寝相が悪いからたまに誤って触れてしまいそうになるだけ。

 

楽しくないのはどうやったって離人感だ。躁だの鬱だのさえ遠くにおいて感情も感覚も総て鈍麻する。正確に言えば鋭角でぶっ刺さっているのを眺めることしかできなくなる。血が流れているなあと思う。無痛ではないから痛いのだろうとも思う。

現在の自分さえ放射状に並んで見えて、ここに誰もいなくなって、誰が一人称で綴っているのか見失う。世界が二人称になる。二人称小説といえば「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」と「爪と目」くらいしか知らないな、一回書いてみたけどてんで上手くいかなかった。

自分がどんな声で話すにんげんなのか忘れている、そんな声じゃないだろと野次を飛ばされて、思わぬ言い草につい吃音を起こしていれば、この程度でへこたれないよう自信を持てと叱咤される。
愛が免罪符になるのなら誰もかれもとっくに獄から出ているだろう。あるいは無痛のにんげんになれるなら愛を免罪符にしたっていいのかもしれない、血管も神経も通わぬ愛で。

ふざけんなよ、ちゃんとわかってる、声門が振動しないだけだ、唇が痙攣して舌が硬直しているだけ。相変わらず水分が足りないからぱっさぱさに乾いていて、せめて口移しで水を飲ませてみたらどうって思うけど、別にコップを傾けることくらいひとりでできるしね。飲んだところで消化器が引き攣って上手く吸収してくれないから身体が参っている訳なんですが。

 

とにかくわたしはまだひとりでやらなくちゃいけない、こんなところにいて堪るかよ、どうか安心したい。安定じゃない、安心したい。そもそもずっと息が苦しい、呼吸で精一杯で上手く話せない、酸素の絶えた脳に何を期待されても冷たく縮むばかり。深呼吸をさせてくれ、待てないというならせめて背中をさすってくれ、でもまあ踏みつけられても芽が出るタイプのアレなんですけどね。そう思い込めてるから今日まで永遠を続けている。

簡単に絶望なんてできない、でもそれは希望が潰えないからじゃない、未来は性質として混沌で、生まれる前もいまも死んだあとも一度たりとも掴めないから。だから未来を追い抜いてみるしかない、いい、御託はあとでいい、走って。

星とか風とか血とか水とか電気とか空とか

 

血が足りないのか水が足りないのか不明瞭だけれどとにかく身体が軽くて重たい、頭はふらついているし胃液は外界に触れたがっている。異様に眠たいけど何度も起きてしまうし夢の内容もぐちゃぐちゃだから、午後は歌って過ごしていた。この間バスに乗ったときは手当たりしだいにシンガーソングライターを飛び回っていた。

 

 

美しいひと」という固有名詞。

あなたの生み出す飛び回る星のひとつひとつが脳裏に瞼にちかちかする瞬間に振り回されることが大好きで、何度も何度も目の前で形成される宇宙の一端に触れては撃たれて身体中を逆流させていると、たくさんの星を統べながらその中央で星に成りたいと言い放つ。たったひとつ、胸を飾る星に。
美しさは総てあなたの前に組み換えられた、美しいひとを美しく感じなくなったときはわたしが死んだときだってずっと思っている。

美しさの前には背筋を伸ばさなくてはならない。だからこんな気分で触れてはならないと蓋をしていて気づいた。固有名詞が融解している可能性がある、美しいひと。こんなことが有り得るとはこれっぽっちも想定していなかった。星の数も配置も動かせない、それでも視力はいくらかどうにかできるという話。眼球を落としたっていつだって瞼に星。

 

視線の先にはいつも星があって、だからこの世界には天も地も星まみれ。電池切れ直前の秒針のようにちっかちっか瞬いて脳も連動してぱしっぱしっと信号が走るから心電図みたいだ。
心臓がふたつみっつあったらどんな心電図になるんだろう、肋骨の形状もやっぱり変わるだろうか。睡蓮を守るために肋骨はあるわけじゃないし、わたしは心臓抜きのほうが好き。

 

何があるわけではないけれどレンタルショップに行きたい、大きいレンタルショップがいい。毎月膨大な量のなかからたった10枚を選んで引き抜いて帰ることが楽しみだった、あれは間違いなくときめきだったなと過去を断定する今日のわたしは図々しい。血も水分も電気信号もたぶん足りていないせいだ。情報を前にくらくらしていたい、流星の衝突事故のような乱暴が好い。もっと星が欲しい、部屋を天の川にしたい。「この部屋の宇宙を全部アタシにちょうだい」って文句には確かに痺れた、だけど絶対にくれてやるものかよ。

 

それはそれとして君島大空です。また新曲が出たみたいでそちらはまだ少し楽しみに寝かしている。

 


カード2枚が脳裏をよぎったの快感だった

 

わからないって言われるけどそれが全然わからない、わからない理由がわからない。なぜこんな見晴らしのよい一本道を疑う理由があるという、どんな心配も憤りもどうにも的外れ。レイヤーが違うだの宇宙人だの難しい言葉を使ってくれるなよ、その辺はもうとっくの昔にキリンジが「エイリアンズ」って6文字に全部押し込めてる。

 


ここ数日の情報量が明らかに過多。変態を控えて身体の内側をどろどろに溶かしていたところをやたらな手数でつつかれて身体が先に参ってしまったらしい、だるくて動けないって体温計見たら微熱があるし胃腸の調子も酷い。

蝉の羽化を見守っていたことがある。何年と土の中にいてやっと出てきて、でも羽化が無事に済む確率はまた更に低いらしい。公園に住んでいそうなひとや通りがかりのひとも近くに寄ってきて、最終的に4-5人で応援していた。半端なところに爪を立てていた蝉は自重に耐えきれずに地面に落ちる、誰かが蝉をやわくつまんでまた樹を掴ませていて、そのときはまだ動いていたけれどやっぱりまた落ちた。動きが目視できなくなったあたりで終電、タイムオーバーで帰宅したからどうなったのかは知らないし、だから正確には「蝉の羽化」なんて見ていない、白いやわらかい身体を内包する生き物が地面に打ち付けられて動かなくなるまでを見ただけ。だけどそのあと羽化したかもしれないじゃんね、わたしは何も見ていない。

白い身体をここに押し留めたまま死んだりしてやるものかよ。肺に睡蓮、肋に両翼、理不尽と暴力、ピアノを弾いてカクテルを作るなら絶対にピアノフェイズがいい、次点でRiot in Lagosね。

 


犬を愛でる朧げな思念体。換毛期であろう柴犬はやたらと身体に擦り寄ってくる、撫でるたびにするすると長い毛が抜けて指の股に引っかかって残るから、指を軽く開いて抜けた毛を風に溶いた。
「時間が解決する」と言う事象を可視化するとこんな感じなんだろうな。触れる程度のことで、あるいは触れなくても自然に抜けて、さらりと風に乗る。寝ている犬を見ながら夏野菜を植えた。

-「時が癒す? でも時が病気だったら?」
-「時間は僕を救いはしない この体が痛みを代謝する」


それにしてもとにかく多すぎる、傷んだ脳だと回らない。あなたがいると世界が一気に混沌とする、穏やかに輪郭の内側に閉じ込めてきたものの蓋をぐちゃぐちゃにひっくり返されて、諸々詰め込んで補正しては押し込めてきたけど、実際あれってほとんどあてにならないってことはよくわかったからもうどうでもいいんだ、いい子におとなしく堅実になんてやらせてもらえないわけね。
開いた蓋を丁寧に閉じていく作業もする、全部する、七拍子でする。大体一拍つんのめってウッとなるけどそういうものだし、そこが味だし。相違が楽しい、何ひとつわからないから一生ぶつけて遊んでたい、背負うと重いし投げてる間は両手が空くしね。あと今更だけど「坪庭」ってどれのことなんだろ、あそこにそんなのあったっけ。軽くなるだけあとはトぶだけ。

 

何のための肌

 

聞いてくれたことなんてなかった、聞きたいから聞いているらしいのだった。聞きたくないと思われたのだとしたら、したら。

 

今日は晴れたから散歩をして、知らないパン屋に入って白い粉に卵を落として掻き混ぜて焼くなどした。

 

そこで生きているあなたのことがとても大切、大切な一生を尊重します。ねえ、いまここで生きているわたしは? わたしは、下に伸び続けるあなたの見るわたしは、わたしにとって生年月日や血液型のように揺らぎのないあなたは。

わたしは今でも迷っていない、感情はひとつも迷いがない。戸惑いと動揺が少しある、未だに現状を理解できていない。

 

AIR聴きたいなと思いながらiPodを取り出したらAJICOのすぐ上だったのでラッキーな気分になった。

 

あなたは感情が強すぎる、という指摘等の話。感情が強すぎると言われても、他のひとになったことがないからわからない。 感情にも筋があって論理があるという話なのはわかるのだけれど、でもわたしはやっぱりこれに論理を見いだせない。

感情はいつも荒れ狂う水で暴力だ、これがなければどれだけよかったかと思うことも、ゼロってわけではないのだけれども、でもきっとこれがないと生きている感じもしないんだろうな。

 

小学生のとき受けたテストで、一度だけ国語の成績が全国上位5位に入ったことがある。そのときのテーマが「詩」だった。それはただの偶然で時の運だったのだろうけれど、ああそうか、と思った。生まれて初めて詩を意識したのは小2、書いたものがクラス代表に選ばれたとき。そのときぶりに詩と自分の距離を考えた出来事だった。
いちばん最初に文学作品を読んで感動したのは、国語の問題を解き終えて、問題集の飛ばした箇所を読んでいたときだと思う。たまたま読んだ作品で授業中に訳もわからないまま涙が垂れてきたのが最初、そしてそれもやっぱり詩だった。
どうしてこのひとわたしが感じていたことを、でも言葉にしようと思ったこともなかった、そんな言葉にする前の感覚を、なかった感覚を、それでも言葉にしているんだろう、どうして知っているの、どうしてわかるの、あなたもそうなの? 魔法のようだと思った。

詩に近い性質の言葉を交わすなんて、脳に触れる、体液を交換するにも近しいことで。誰とでもできることじゃない、誰とでもしたいことじゃない。

通じてみたい、という気持ちについて。どうせ魔法は簡単に架かるというのなら、いうのなら。

 

ところで4月の青空にはPoeple In The Boxの完璧な庭がよく似合うと思う。そのことに気づいたあの4月の精神状態もひどかったな、イリーガルな薬物の中毒なのではないかという噂の生じた日々。チュッパチャップスを舐め続けて震えを逃して過ごす。体重は人生の最低値を叩き出していて今より10kg以上、下手すると15kgほども軽く、文字通り風が吹くたび倒れていた日々。最低な気分を引きずって下った坂道の先には線路があって、簡単に侵入できる高さの柵で、自分の代わりに何度も何度も神様を惨殺した。

記憶が抜け落ちている時期の話、でもあの感じは薄ぼうやり覚えている。

 

 

「過去なんてない、未来も知らない、過去も未来も見たことがない。現在しか知らない。過去ばかり見ているように見えるって言うけどさ、いつだってそうやって過去を手にとっているのは現在の自分だ。だから過去なんて知らない、今見ているものしか知らない、再現度がいかほどかなんてわからない、これは本当に過去なの?」

粉と水と卵を混ぜたものが焼けるのを待ちながら、そう言った。

吠空

 

昨晩わたしは一度完全になった、完全というものはこの世に存在しない、次の瞬間からまた歪んでゆく。でも、一度完全になったことは絶対に絶対に消えないから。

 

4月17日13時の約束。30分以上前には新宿についていて、候補のお店が開いているかを見てから無印でフリーズドライのスープを買った。

待ち合わせは逆方向だったから一度地下街に潜ったところ、線改札の横で明らかに顔で誰かに声を掛けようと困っている中年男性を見つけた。道に迷っているのだろう声をかけたところ、「オリジナルソングを作っているミュージシャンなんですけどいま時間ありますか」と聞かれる。断ったら、やっぱり困った顔で謝られた。何かの勧誘とも考えづらいと思いつつ南口に向かった。思い出してもよくわからないエピソードが添付されていることに笑ってしまう。

 

そう、17日の13時だから少しの茶目っ気、初めてコール音を聴いた。もう少し聴いていたかったけれど、自分の流儀に則って6回できちんと切った。いつからこんな習慣がついたのかもう覚えがない、電話は6コールで切る。なぜなら完全数だから。

一生友だちでいてねと言い合ったのを覚えていて、だから今日を正確に捉えるなら。あとから「あの日だね」と添加した情報もあるけれど、正確に言うなら。出会えて嬉しかった。言葉も捨てたものじゃないと心から思えることって、きっともうそんなに多くないだろう。
「他のひとと同じにしたくない」と言われたのを覚えている。

特別なことを言うつもりもなくて、昨日一度至った完璧を今日のわたしはまた精査したい。いまは胸にあたたかさがある。

 


少し怖い目に遭ったから逃げた、逃げる最後に痛い言葉でぐっさりやられて、息も絶え絶えに逃げた先でAJICOを聴いていた。ベンジーのギターの音ってすごくベンジーだよねと話していたら壁にかかっていたグレッチをチューニングし始めて、あれはこれの音なんだよ、と教えてくれる。抱えてみたら大きかった。

若い日のUAを見ていたからか、突然濱マイクを見たくなった。くちばしにチェリーを口ずさむ。2004年頃、フェス映像を見ていて知ったのがEGO-WRAPPIN'だった。そういえばSHERBETSのセキララの収録曲だとひまわりとゴーストが好きなんだけど、これってひまわりはAJICOでもやってたね。
その頃ミュージシャン界隈ではみんなUAと一緒に演ってみたいと言っていたという話を聞いた。緑ポ50get_!

 

秋頃、この道を歩きながらやたら暗い気持ちになっていて、やさぐれた日記を書いたような気がする、と思いながらまた身体を歩かせていて、今日の雨は好きな雨だけど歩くとなると少し厄介。革靴に染みてくる。
ああ、そういえば去年もこの靴を履いていた。出かけるときに靴紐の先がちぎれて、そんなことは初めてだったからよく覚えている。

 

書き続けているとこれが普通になってくる。
どうでもいいことを書いてはいけないと無意識のうちに思い始めるんだろうね。

ちょうどアルバムを聴き終わるとともに次に着く算段。10分に渡る波動の果てに「またどっかで会おうぜ」「ばいばい」って声。

 

わたしには何もないことをこうやって理解して、自分の理解の遅さも理解して悔しく思ったりなんだり、その果てにこうやって残ったものが見えて、持っていないものも見えて、ここがどういう場所なのか、戦場なのか楽園なのかを初めて考えられるようになるのだろう。
「ここからはじまる」とは有頂天のホワイトソングの一節だけれど、そう、
ここからやっとはじめてゆけるのかもしれない。

わたしはうわてでおとなだから

 

紆余曲折あるけれど、どうやったって解像度がどんどんあがっていってしまう風にできているこの脳だ。涙でぼやけさえしなければわたしの世界はたいそう鮮やかなはずで、今日は変にぼやけなかった。世界がよく見える。見通せる。

ああ、風通しがいい。

自分の性質がよく見える、恋というものの性質も、わかり合おうとすることの喜びも哀しみも危うさも尊さも、通じてゆく快感も恐怖も。わかる、わたしのこの構造を指して、きっと好きだと言ったんだろうな。

何をしてもただ解像度が上がってゆく。わたしは盲だし、わかり合うことが得意なにんげんではないのだけれど、そういったことはよく見える。わかる。

 

 

言葉にするということは定義するということ、定義するということは切り落とすということ。言葉の性質としてこれは見落とせないと思うのだけれど、言葉が切り落としたその部分を痛く感じる。ここ数年、よく考えていることのひとつだ。

例えば、
言葉になる前のものはクッキーの生地で、言葉はクッキーの型みたいなものだ。感情などに言葉を押し当てる、当てはまらない部分は余分になってしまうし、型の位置が不適切だと生地のない部分が生まれる(更に言うなら言葉になる前のものは固形ですらなくて、水やゲル状のものに型を当てているような感覚だとも思う)。
綺麗なかたちのクッキーを差し出すタイプの表現やコミュニケーションは大切だ。わかりやすさはそれだけで強度がある。でも切り落とされた部分も決して軽んじられない。

だからね、
わかりやすさを重視して綺麗に加工してある言葉よりも、伝わりづらくても極力生のままを伝えようと言葉を選択するところが好き。
その不安定な、でも擦り切れていない情報を手繰り寄せながらわかり合おうと歩み寄ること、通じ合いたいと願うこと、毎日ひとつも飽きない。何より楽しかったし、そうできることに感動した。

こうやってもっともらしく近しい言葉で漸近を試みてみるけれど、これももう違う、全然そんなことじゃない。論理はいつも置き去りで、言葉になる前のものの尻尾を捕まえては手渡そうとして、「言葉が通じる」という言葉で表していたけれど、通じていたのはたぶん言葉じゃないんだ。原風景だとか、わたしの好きな言葉を用いるならイデア。たぶん類としてはそういうもの。

ゆえに、わたしの感動は特別な論理を必要としない。何かで読んだという「ひとの心を動かすのは論理だけだ」という箇所には注を足しておいて欲しいんだ、ここに例外が確かにいるよって。

 

 

自分でも自分が苛烈だと思う。「淡い恋の真ん中を泳ぎきってみせてよ」なんて可愛いものではなくて、わたしは大きな水でしかもわりと泥濘んでいるから、なるほどね、あなたの言葉を借りるなら、これは海難事故だ。今になってよくわかる。自分の性質がよく見える。

今日のわたしは自分を突き放しているようだ。そう、この距離感、いちばん風がよく入る。風の通り道が光って見える。わたしの考えていることも感じていることも思っていることもわかる。たまにあるのだ、突風のさなかで凪いでいるような、この。

わたしはいつもうっすら混乱しているから、たぶん次の瞬間にはまた崩れて見えなくなるんだろうけど、肌で感じる風がなんてなんて気持ちいいことだろう。夜の日比谷公園を通ったらたくさんひとがいた。

 

ぼろぼろだしガタガタだし頭壊れてるし初期バグも多いし自己肯定感とかもよくわからないし価値とか意味とかもっとよくわからないんだけど、
いまこの瞬間の自分の、ほとんど丸腰で立っている地平のことは美しいと思う。

 

不恰好は承知だ、誰も笑ってくれるな、それでも戦い続けるこの軟弱な肉体を批判するまえに、与えられた矮小な器を見てくれ、ここに注いだ水の量を見てくれ。水の量なんて大した話でないというならこの話はこれでおしまい。計量できるわけでもない、実用性に乏しいこの精神の限りで、でもまだどうにか肋骨に引っ掛けて、落とさず歩いている。

わたしはここにいます。扉はいつでも開いているからノックはお気軽にね。ブログにはコメント機能もあるんだし、読んでいるあなたには言葉があるのだろうし。

 

きっとね、こうやってしっかり地面を踏んでいる、ような気になっているだけだ。
膝はがくがくで、いまにも総てを落としてしまいそうで、そのくせ強がっているわけではないから変に堂々と立てていて、でもこの危うさをどうか、誰かひとりにとは言わない。信頼できるあなたに、支えて欲しいとも言わない。ただ見ていて欲しい。上から目線みたいな言い方になってごめんなさい、これは純然たる、ただのお願いです。

ここまで読んでくれてどうも有難う。

哀しみは塩蔵される


新宿伊勢丹のワコールには身体をスキャンしてくれるサービスがある。試着室みたいなブースに入って計測すると自分の3Dデータみたいなものが出てきて、身体中のサイズや肉の付き方など、数字だけではわからない部分を加味して下着をサジェストしてくれる。
諸々の細かい数値は忘れたけれど、タブレットに「胸の容量:1」と映されていたことだけはよく覚えている。容量が小さいからすぐ胸がいっぱいになるんだ、と白けた気持ちになった。

「溢れやすいから生じているだけで、お前の感動にはさしたる価値がない」

 

 

▼浸透圧の話
手を繋ぐのもうまくできなかった、触るだけでとてつもない情報量が一瞬にして身体に流れ込んできて、心臓がふたつに増えたみたいで、とてもどきどきしてしまうため。
歩く途中で手がほんの少しぶつかっただけで稲妻が走るように身体がびりっとした。細胞があなたの細胞に触れることを喜んで、それはすぐに優しく馴染んだ。このまま溶けてゆくんだろうなと思うほどには。

 

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「迷惑をかけたくないとかひとに気を遣いすぎる節のある君が、迷惑だってわかっていながら動けないでいるっていうのは、もう初めてのこと、異常事態なんだよ。それだけ好きで、自分でどうにもできないほどのことで、君の未熟さにだけ非があるわけではないんだ」

 

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眠たい自分というのは未知の恥ずかしいいきものなので、できればひとにお見せしたくない。
でも頭の回転が失速して、話している内容にピントが合わなくて、ああ噛み合ってないなと思いながら何度も返事を、それは寝ぼけと言われるたぐいのものを、そうとわかっていながら返した。意識が落ちる直前までずっと、意識トバして逃げるよXXX。

しょっちゅう聴くナンバーが「火の鳥」や「ワンダーキス」から「売春」や「CRY」に変わって、概ね「空中線」みたいな気持ち。
こうやって話しながら、だけど本当はね、終わってないって心のどこかで穏やかにずっと当たり前のように思い続けていて、だから身体はおかしなまでに他人を弾く。胸の容量が1だから。
容量を超えた分は塩水として流れてゆく。塩蔵した海藻がもう生に戻れないように、こんなに塩に浸ったわたしもまた不可逆なのかもしれないね。君がいなけりゃ地獄もないけど。

 

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「いろいろな考え方があるけれど、君に対してその言葉を発するということにどんな意味があるのか、どう受け取るのか受け取っているのか、きっとわかっていたはずなんだ。だからね、君相手にそれをいうことはね、それなりの重さがあることなんだよ。わかっていながらにして、知らんぷりをするべきではないんだ」

 

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▼直したものを戻したという秘密の記録
古い日記の誤字や脱字なんかは直さないのだけれど、去年実は1ヶ所だけ直したのがあって、でも結局さっき元の誤字の通りに戻した。

 


甘えてはいけない、困らせてはいけない、迷惑もいけない、掛けるなら最小限に。自分で全部やらなくてはだめだよ。わたしはとても甘えるのが下手だ。いつも言葉がうまく出ない、でも言葉数が多いから深追いされない。
漠然としたことしか言えないからみんな結果的に困ると思う、大丈夫だって思いたい、安心したい。いつもそんな抽象ばかり。でも大体のひとは大なり小なりそう思いたくて、だからそんなことは口にするべきではない。

 

 

▼キスをする前に聞いた話
二度目に会ったとき、あなたは昔話をした。それはとても珍しいことだ。過去に恋人を信じきれなかったことがあるといった内容。
意味はのちに理解した、つまるところ、自分と同じ思いをして欲しくないのだと心底思っていたのだろう。実際そうだと恥ずかしがりながら認めていた。信じても大丈夫だと何度も何度も粘り強く口にして、黒くこびりついた不安を少しずつ着実にふやかして。

だからわたしも珍しく、ここで安心してもよいのだ、と思った、思ったんだ。これは本当にすごいことなんだよ、偉業だよ。オキシトシンのシャワーが降り注ぐ、きずがというきずが癒えてゆく日々。

過去を持たないあなたが、現在このしゅんかん、必要だと思って口にした過去。

 


あなたも甘えるのがとても苦手なにんげんだった、元より甘えるという発想を持たないような。自分は孤独であると何度も口にした。
甘えてもらえないたび、わたしが至らないからなのだと歯痒く哀しく思っていた。わたしもずっとこんな気持ちを与えていたのだろうか。

でも、まあ、元気があれば余裕があれば、きっと何かを作るんだろうし、軽口ぐらい叩きに来るはずだ。それも32ビートでね。

 

 

▼日記
あのバンドが4人揃うのを見るのは今日が最後だった。次見ることがあるのなら、そのときは3人になっている。最後の最後に見た4人の姿は、ドラム台に残りの3人が向かうかたちだった。何度も見た景色だった、何も当たり前でない日常が、では日常なんて概念自体がそもそも間違いなのかもね。