それでも冷たい芯はうろうろ思考し続ける

 

「結局どうして欲しいの」と問われて考えている朝。

 

もしかしてだ、とても稚拙で恥ずかしいけれど、わたしには本音と建前を切り分ける力がないのではないか。綺麗ごとと欲が同列に並んでいる。優先順位がついてない。だから「結局どうして欲しいの」と。これで説明がつくような気がする。

自分の思考も、他人の思考も。見分けがつかない。だって生じた事実がある、嘘じゃない、本音しかない。となると建前ってなんだ? 本音と対をなす建前って??

 

「【建前】本来的なこととして決まっている方針、原則など。表向きの方針。」とのこと。

じゃあ本音って裏なの、表に出さないの、どっちが嘘なの、嘘とかはないの?
わたしは嘘が嫌いだ。嘘をつきながら生きるの嫌だ。本音を言いたい。本音しか言ってるつもりないし、だから本音の色が乗る。嘘じゃない。そして建前が死ぬ、つられて優先順位が死ぬ。当たり前のように本音の優先順位が高いと思ってるんだなーと書きながら気づいてみたりして、「結局どうして欲しいの」、どうして欲しいんだろう。

 

自分の欲に向き合うのは難しい。
「どうして欲しいの」と問われないと考えることも上手くいかない、いつも考えているはずなのに。
でもそうやって聞いて欲しい、わたしのこのぐちゃぐちゃな、自分でもわかっていない本音を探して察するなんてしていたら絶対に疲れてしまう。現にわたしは自分に疲れている。

 

自分が本当に幼く思える。ぐずって泣いている。
本音として、建前として、切り分けてから口にするならきっと許される問題がたくさんある。でもそれってずるくない?って思っちゃう。自分や他人を疲れさせることよりずるをしないって思える方が大事なの? その念で誰か幸せになるの?

こうやって考えていくとわたしは虚空に対して誠実でありたいと思っているのではないかという思い付きにも繋がってくる。
よく使われる言葉でいうところの神でもある。神とはわたしのことだから、わたしはわたしのために誠実でいるのか? そう考えるとわたしはわたしを幸せにしないじゃん。えっそんな哀しい結論になる??

 

キリキリと自分の首を締めあげる自分が見える。自分の足首を掴んで階段から引き下ろす自分。自分の髪を掴んで頭を振り回す自分。
わたしが本当に欲望していることはこれを殺しきることなのかもしれないな、という安直な結論に逃げてまとめようっていう魂胆が透けて見えて自分で嫌。却下。楽しないで、もっとマワして。

 

でもたぶん、重たいのは切り分けていないせい。もっと気軽に全部を捨てていかないといけない。自分で背負うならいいけれど相手にも持たせている。それはよくない……ってこれは流れからしておそらく明確な建前。

一緒に持ってよ、わたしだってあなたの持ちきれないものを持つよ、だから一緒に持ってよ。
嫌だね、自分の意識って最悪。自分の分だけしっかり持てるひとだけがひとのものを持つよと言い切れる。荷物を交換しあったって軽くならない。わかってるよ。頭がいいね、わかったふりが上手だね。頭が悪いからわかったふりしかできないんだよばーか。でも無知の知って大事。それに自覚したならできる、わたしにはできる。

っていうか持たなければいいじゃん、ふたりいれば空中に投げ続けられる。持つ時間が短くて済む。そんなのはどう?

 

うじうじ話ばっかり長くて自分のこういうところが嫌いだけど、言いたいことを言うまで時間がかかる面倒くささがあることは自覚していて何年も前にも確か書いた。

それよりさっきから頭のなかで言葉がうろつきまくってる。「私が欲しがってるものを探し出してよ」、ああ探すよ、わたししかあなたを叶えられない。「嘘は常備薬 真実は劇薬」、わたしが使っているのはどっちだ。

 

 

本当に手のかかる女。

毛布に包んでやわらかいところで眠らせてあげたい。眼も口も塞いで無理やり犯してやりたい。微笑んでいて欲しい。気絶したら起こして苦しめ続けて殺してやりたい。幸福に生きて。絶望して死んで。
選べないなら全部やりなよ。

 

なんだ、なんなんだよこの苛烈さは。こんなものが自分の内側にいてたまるかよ。でもいるんだ、わたしがここに
面倒くさい、全部殺してやるよ。そう、全部殺しかねない気持ちで生きている。もういい、誰もいらない。それ本音? 一緒にいたい。それ本音? 切り分け続けないと死ぬの?切り分け続けないから死んでるんじゃん? 誰?? 気持ちわる……。

 

わたしの望む世界になって欲しいです。
そう欲の話だった、じゃあどんな世界を望むのか考えなよ。考えて考えて、「考える苦しみを楽しんで死ね」、いろいろなひとの言葉が出てくるね。「幸せになって欲しい」そう望んでくれて有難う。

 

「わたしがこうやってのたうち回りながら生きる姿を見ていて欲しい、受容して欲しい、でも落ち着いているフラットなときもあるから、そういう隙間でたくさん楽しいことをしたい、楽しんで欲しい」

わたしの望みは結局たぶんこうだ。え、それってものすごい強欲に愛してって言ってるじゃん。結局そこかよ。ああ軽はずみに指が動く、思ってもいないことをたくさん言ってそう。軽くなる、楽しい、気持ちいい。無責任に喋りたい、ここで無責任に振舞っても許されるのがとても嬉しい。
わたしは自由だ、この女を殴ってもいい。キスしてもいい。そうだ、ねえあなた、わたしとキスしようよ。わたしと殴り合おうよ。いっそ全部ぐちゃぐちゃにして抱き合わない?ねえ、ねえ!ってこの乱暴さ。楽しそうに笑っているし、いま心底楽しいよ。わたしはこんなに自分を楽しませることができる。どうあったってきっと大丈夫。

自分のことなんか好きでも嫌いでもない。どうでもいい、それでもこの瞬間、いまこの瞬間こういうところが好きだって思う。どこまでも図々しい。いけるところまで行ってごらん、縛りプレイって謙虚なのか傲慢なのかよくわからない。

 

結論:「つべこべうるさいな、さっさとわたしを愛しなよ、わたしにはわかる、後悔させない、だから一口ううん全ベットして、今すぐそうして」

 

 

それからこれは、本音と建前。ごめんもう全俺が愛だぜ。

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溢れて還らないでいい

 

ふいに「未来まで待ちぶせしてしまうくらいに光のにおいする方走って行くんだ」という一節が頭をよぎった。
小学生のときから好きだとあらゆる場所で公言するくらいには見境なく、今に至るまで続く呪い。そう、呪い。

苦しいからといって捨て置けるようなものではなかった。好きな気持ちをないことにはできない。
手放せないから呪いなのだけれど。

 

この曲はどこをとっても好き。英語がちょっとおかしいっぽいこと以外概ね好き。
口ずさみ続ける、ずるりと違う部分も出てきて、

「運命が僕を追いかけるくらいに清潔な衝動に正直でいたいんだ」

息が詰まった。

 

わたしは知っている、愚直にそのように生きているひとを知っている。

わからない、けどわかりたい。見てみたい景色を伝えてくれる。
芯からわかることなんてできないかもしれない、それでも同じ景色を見ようと背伸びしたり覗き込んだりすることはできる。トレスできないことなんてない、向こう見ずな自信ひとつでどうにか今日もここに立っている。

 

また深い呪いにかかるためのミュージック。
何度も何度も聴いた曲を、それでも初めて聴いたことしかない。そうでないとおかしい、だって飽きずに風が冷たくておいしい。ガブガブ飲んで肺を膨らます。そのうち気泡が血管に交じって死ぬ。

初めて見る景色を見たい。

 

置き去りにしたくなくて抱えながら走りぬいてきたけれど、これをここに置いていくよもう。どこまでできるかわからないけどやってみる。
汚れのない先で、初めて会うんだきっと。ぐるぐると。素直であれば問題ない、わたしも素直にざらざら吐いた。

軸が伝わってないって言うけどさ、悪意のなさはよくわかる。素直であること、嘘のないこと、だからわたしも素直にいる。そうやってざくざくしながら互いの輪郭を見ている、流れる血に濡れる肌を見ている。

サ★みだれ撃ち

 

指が踊ろうよって誘い出して舌をつまむ、全部は行になる魔法にかけられてはひひへふはひひへふばびでぶー。24時に解禁するためジャーから取り出したバームを肌の上でくるくるっと回す。指なんて何本あったってきっといい。あなたがキメラでもわたしはまったく気にしない、指が超合金でも108本でもしっくりくる手袋を編んだり・なんて・するわけ・ない。いいからそのまま繋いでようよ、そうやって肌を合わせて摩擦熱が互いの皮膚を削って磨く。そうやってどんどん相応のかたちになるはずなんだ、互いの手が互いの手に。それでも皮膚はなくならないから別のにんげんで居続ける。今日の雨はたぶん、あのとき互いに飲ませ合った体液が巡り巡ったものだってわかるから撥水性の低い肌はもうぐずぐずだよ。*1

*1:ここに脚注を書きます

身に覚えはないでしょうけど

 

過ぎる季節に未練なんてないからこの鼻筋を保っていられる。それでも汗が首筋を伝うように指がキーボードを叩きたがるのは8月31日だから。だからって言ったけど理由になっていない、その理由を探すことももうやめた、未練があるから焦燥があるのではなくて焦燥があるせいで未練があるのだと勘違いをしているのだと思った。手つかずの余白に寝そべって、膨大さに潰されて、今日買ったSARASAのレッドブラック0.5mmを握り込んでこすりつけてめりめらめろっと埋めてゆく。余白を削れ、呼吸が乱れてもやめないで。

 

わたしは自分の頭がよくないことをちゃんと知っていて、そのぶん身体が賢い。頭の回転が遅いぶん倍速で拍動させているため普通に考えて早く死ぬ。「ゾウの時間ネズミの時間」ってそういう本だったよね。もっと、もっともっと身体で考えたい。

 

頭を使わず身体から滑り落ちるまま言葉を接続してゆくから、その怠慢を冷笑されるのだと思っていた。でもきっと身体から滑り落ちていると思われていなかったのだと気づいた。おそらく、頭で小難しく捏ねあわせてわかりづらく出力しているのだと思われている。その過剰装飾が冷笑されている。
誰が冷笑しているのかってみんなよみんな。それって誰?って質問、人生で何回してきたかわからないけど、わたしは我が物顔で使うよ。みんな。

でも何が無為で何が作為かを見抜く目なんて持ってない。結局は何を気持ち悪いと感じるかに尽きるから、鳥肌と吐き気が教えてくれる。気を悪くしないで、別に誰のことも否定していない、身がすくむのは反射であってあなたに罪はなく、ただわたしの許容範囲が狭い。

 

今日は頭を使いすぎている。

怪文だとか宇宙人みたいだとか言われてきたけど、お前たちの血に通っているのは教育で学んだ正しい言語なんですかってわたしはずっと聞きたいよ。
自分の肉をナイフで裂いてぼたぼたの血を晒しているつもりだ。血は理解されるために垂れるわけじゃなくて、ただ垂れている。理解されたいと望むのは血が巡るうちに生ずるひとつの欲望だとしても、血はそんなこと言わない。血は巡るだけ。

なのにお前たちはさ、手首に傷跡の絵を描いて、さあどの色が綺麗だとか生々しいとかグロテスクだとかデフォルメが上手とかそんな話で盛り上がっている。肉体で閉じた血が巡る、筆を走らせる。どれも素敵に描けているけれどでもそれは血じゃない。

ちゃんと血を流そうよって裸のわたしが言っているのを見たのはこの夏の話。

あとは初対面のいぬ(ビション・フリーゼとチワワのミックス)に会った、くしゃみにひどく怯えていた。それからハムスターを描くのにかかる時間は3秒だって知った。滑り込みでみゃんしになった、なるまでやった。

閉じるための曲をいま再生した。最後に再生したのは2022/09/01、今年は彼女が帰ってくる、来月、もう今月になる、帰ってくるね。

速度を上げて書け抜けて

 

好きな文体、好きな物語、好きな長さ、いろいろな尺度それぞれに好みがあるけれど、そのバランスが取れてないと思った。3人がくるくる語っているようで、全員が筆者の道具だ。そのひとはそんなこと言わないんじゃないののオンパレード、というよりそのアンバランスが持ち味として評価されたんだろうな。

登場人物が筆者の道具になっていることについて、あまり別に気にしないほうではあると思うのだけれど、3人全員が服従していると暴力的に見えてくる。殺しきれない自我を刈り取ろうとするたびに、にょっきり生えている筆者の首は勢いよく飛ぶはずだった。それなのにいつまでも目が合うから、このひとは自我が強くて文章表現が好きなんだろうと思った。小説。小説ってなんだろう。

 

 

わたしの好きな文章は、どうやらあんまりお金を稼げるものではないらしいと結構早いうちから気づいていた。

文字数が少ないとまず読まれないらしい。12000文字以上の作品であることを確認して初めてタイトルをクリックすると明言するひとを何人も知っている。
わたしは2000字で感動したいし4000字に全部を詰めたようなものが好き。でもそういった文章はアクセス数が明示されるタイプの投稿フォーラムではあまり人気がないようで、そういったタイプの話が人目に付く場所に配置されていることはほとんどなかった。

10万字20万字と体裁を崩さずに書けるのはすごいなと思う。わたしはそれだけの文字数を貫く我を持てる気がしない。ちなみにこの作品は原稿用紙153枚分だそうだ。うん、原稿用紙10枚分を15回って感じがする。

 

言葉って楽しいよね、わかる。だからきらきら跳ね回る言葉だけを見てみたい。あなたが本当に書きたかったのは、その3人でいえばどの人生? だれの文体? そのおいしいところだけ欲しい。
3人全員ひとつの口で喋ってるって思えるくらい我が強いのに、吐き出す比喩の温度が少しだけ違っていて、だから筆者には3人準備する必要があったのだろうけれど、わたしはそれらを全部混ぜっ返したものが読んでみたい。

きっとこのひとは、文章を器用に書けてしまう。だからこそ他のひとの口を使うくらいしないと、小説のていをなさないと、書くのが楽しくないのかもしれない。そこの落としどころを探したら作家になるのかもしれないし、その作業がつまらなかったら違うことをするのだろう。でも繰り出し続ける姿勢は見ていて楽しかった。
作法なんていらないよ、無視してやったんですよっていうしたり顔まで見えてくる感じがむずがゆくもあって痛快でもあって、そんな瞬間って探してもなかなか出会えない。
望まなくともどうせ洗練されてしまう。

 

いま、いまできることをいましないと古びてゆく。こうやって書いているときでさえ、読み終わった瞬間からはどんどん離れてゆく。やろうよ、いましかない、いまが続きつづける一瞬が終わらない。断続的な一瞬をゆっと束ねる言葉を持ちたい、言葉って楽しいよね、わかる。言葉は何も束ねない、言葉を留め具のかたちにして何かを束ねているのは結局わたしなんだ。