わたしは彼女について語る言葉を持たない。何か言葉を、言葉をと考えていたら眠れなかった。
それならいいんだと思った。
こんなときにまで思い出すのはユリのことで申し訳ない。果たして彼女は葬儀をあげたんだろうか。
君は親が気づいてくれて、よかったね。それだけでわたしは救われる。葬儀の日取りも決まったし。
大阪にはちょっとなかなか、行けないけれど。
三年くらい前から顔見知りで、最近やっと交流するようになって。
そんな矢先にいなくなってしまった。
悔しいよ、でも上手く哀しめない。
今年はひとが亡くなりすぎなんです。まだひとり分も割りきれてないのに。
ひとが死ぬなんて、ちっとも悲劇的じゃない。生きてればそりゃ死ぬんだから。
だから哀しくない。
ただ精神疾患が憎い。
自分を責めて世界を責めて、苦しんで。いなくなって、或いは死んで。
アンタを追い詰めたのはアンタじゃない、アンタに寄生した精神疾患だよ。君は間違ってない。
僕が保証する、君は間違ってない。
わたしの知りうる範囲での死は、後輩の病死がひとつと友人の自殺・失踪がみっつ。
馬鹿馬鹿しく思うよ、外科に救えるものなんてこの世にないような気さえしてくる。
そう、さばいて治るものじゃないらしいことが、いつも僕らを苦しめる。
心療内科だと、笑わせる。脳の疾患だというのならさばいておくれ。
心療外科が生まれる日はまだなの?
薬で自分を騙し騙し、そんなのが精神疾患の治療です。
誰が彼彼女らを救うんですか、やっぱり薬なんですか。
悔しい、無力だ。
治したいという気力が湧かない、まず病気だと思えない、そういう病気なのだ。
なのに気力がないから、病識がないから、治らないという。
わかってる、わかってるのに。そんな気持ちがまた、苦しい。
それだけの仕組みを、どうしてわからないんだろう。
医学に頼りきっちゃいけないけれど、精神医学の未開発さ、というか果てのなさには気が遠くなる。
精神疾患が充分治る病気になりますように。
もうこれ以上、彼彼女らが絶望しなくてすみますように。
せめて、そんな精神を、肉体ごと放り出してしまった彼女らが、安らかでありますように。
死んだ人間に安らかもひったくれもないんだけど。
もう苦しまなくてもいいよ、アンタに寄生したヤツは、アンタごと死んだから。
そう願わずにはいられない。
ちなみにわたしは、君が生きていくために吐いたり体を切ったりするのなら咎めない。止めはするけど。
生きていくためならば。絶対必要ならば。
20日、わたしの友人が、友人になろうと距離を少しずつ詰めていた知人が、遺体で発見されたと訃報が入りました。
これはそういう日記です。