何かしら愛を感じた


先月、スタジオに入ってきた。とはいえもはやできる楽器はなくて、ギターを3コードじゃらんじゃらんして、やったことのないドラムをぽこぽこと鳴らした。なんにも弾けなかったけれど楽しくて、「何かしら愛を感じた」、意味深に呟いた。


どんどん忘れてゆくね。
仕事の合間にひとに会い、誰に会ったかも忘れてゆく、大した人数に会っているわけではないのに。


いまね、受験の帰り。合否は15日だって。
受かったら、もう、平日のぼうやりした空気だとかは遠いものになるんだろうか。それは淋しいな。


労働の意味がわからないんだよね。自分のために働くんだよね、社会のために行動する耐火として金銭を得る、そのために働く。
自分のために労働するのに、どうして自分のための時間を得られないんだろう。
社会人は、旅に出たくなったらどうするの?始発で電車に乗って、平日の海を眺めていたくなったら?


フリーターがいちばん人間的なんじゃないかなあって、思うんよ。