死んでゆく夏


極力淋しさなんて感じさせないようにしたい。誰だって淋しいときはあるのだから、それを忘れて淋しい淋しいと喚くばかりは、なんだか格好悪い。
それでも10代の頃のわたしは一生懸命だった。淋しさはもちろん、色々なものと戦っていた。id:Y01とはさんざん話したが、「あのときのわたしたちは、誰が死んでもおかしくなかった」のだ。それを他者に寄りかからず、自分の力で大体は処理できるようになったのだろう。


わたしのことは、98%自分で片付ける。100%は無理だけれど。そしてそれは決してひとりで生きるということでは決してない。毅然としていたい。たった3年で何もかもが変わってしまったような気がする、この節目の時期にそう思う。




先日、美しい名前の友人から「明日ひま?」とメールが来たので、「もちろん」と返した。彼女はテレビニュースで見た座間のひまわり祭に無性に行きたくなったとのこと、そのまま電車に2時間近く揺られてひまわりを見てきた。

いちめんのひまわり いちめんのひまわり いちめんのひまわり。


そのあと、更に電車で1時間ほど掛けて江ノ島まで行った。初めての江ノ島だった。夏に海に行ったのは初めてかもしれない。海の傍で育ったひとたちと、海のない埼玉で育った友人とわたしの間には、きっと理解できないものがある。青春の総て、友情も告白も失恋も総てを海で送るひとと、それを知らずにコンクリートを澄ました顔で歩くことしかできないひと。



他にも、帰省してから……昨日、もう一昨日か、には、数年ぶりに犬山城に行ったりした。城下町が少し変わっていて哀しかった。食べ物屋さんが増えたなって。大好きだった呉服屋さんは店を畳んでいた。数年前に買った、素敵な色柄の襦袢、大切にしよう。



夏が終わった。さんざめく夏が終わって、その余韻を断ち切るために明後日、いやもう明日か、には、都会に戻る。