嗅覚と記憶が手を繋ぐ夕暮れ

惰眠からの脱却、瞼を開けたらもう外が薄暗くなっていて驚いた。ぬるま湯のようになったシーツから這い出て私は一度脱いだブラウスに腕を通す。
なんだか性的な夢を見たような気がするのだけれど、記憶が定かでない。先日の余韻がちらついたのかもしれない。惰眠と惰眠の間に読んだ本の残像を見たのかもしれない。まあ、どうでもいいことか。

起き上がってみたはいいけれどやることなんて特にない。さっきまで書いていた絵の続きを描く気にはなれないし、デッサンの練習をするのも今は億劫だ。
でもだって苦学生だし、仕方なしに鉛筆をナイフで削ることにする。家の中でまで世間体を気にするなんておかしいけど、そうか、あなたの残り香の所為か。
そうそう、自動シャープナーは使わないことにしたよ、あの見事に尖がった先端を見ているとなにかしでかすような気がして怖くなるからね。

そうだこの前のとき、あなたの手の甲をこっそりひっかいた(「i love u」なんてありがちな文句)こと、気付いたかな。みみず腫れになればいいなんて思ったのだけれど、多分もう跡形もなく消えてしまっているだろう。あーあ、つまらない。
もしも私が彫り師だったら迷わず私のイニシャルを刺れてしまうだろう。私それぐらいあなたが好き。ちょっと狂気はいってるぐらい、あなたが好き。あなたが好き。

ええい、もう、解禁してしまおう。
自動シャープナーで鉛筆を削る。美しく尖った黒鉛の円錐にしばしうっとりする。やっぱり、こうでなくっちゃいけないわ。
左手の甲にあなたのイニシャルを引っ掻いた。そして少し考えて「do u love me?」と刻む。私だってあなたのこと少しぐらいわかってるつもり、何人かのうちのひとりなんでしょう?

そうだ、なにかアルコールが残ってたはずだ。
どうして未成年苦学生の冷蔵庫にアルコールが入っているのかしら、ああみなさま御免なさい。でも私は飲むよ、飲むって決めたから飲みますよ。
なんて、あなたの残り香がまた私に言い訳を強いる。でもどんな香だったかは不思議と思い出せないんだ、全部あたまのなかでくるくるしているだけだね。

煙草をきめながら一杯やっていたらみみず腫れが浮き上がってきて、なんだかわくわくした。とびきり甘い傷、一生癒えなければいいのにな。
その辺に転がっていたサインペンを拾って、手慰みに左手のひらに目を描いた。楽しくなって花を咲かせてみたりなんかしたら部屋は真っ暗になっていて、また驚く。スタンドライトのスイッチをまさぐりながら、ああ日の入りだなあなんて思った。

あの店にいったらまたあなたに会えるかな、今日はあの日によく似た夜だ。