VOLAと17歳になりたての頃。


VOLAを聴いたら思うところがあったので、自戒を込めて。
長ったらしい自分語りになることも見越した上で、どうしてVOLAに心震わせたんだろうかと考えてみた。
まーゆうても36時間寝てないひとが書く文章だからネ、色々お気になさらず。



不登校になったのは16の春、17になる手前だったのを覚えてる。きっかけも覚えてる。小体育館前の生物の授業。保健室の個室の窓から校庭を走るみんなを眺めていた。そうして結局、わたしは実は一度も3km走に参加したことがない。

当時乗換は池袋だったけれど、池袋で地下鉄に乗換ができなくなって、そのままサイゼリアに逃げて午前中をやりすごしていた日もあった。新宿のNikonセンターでカメラを直して、午後から学校に行った日もあった。AndAで買い物してから学校に行った日もあった。
池袋の路地裏がしっくり馴染むのは、名残なのかもしれない。サンシャイン通りじゃなくてジュンク堂の裏とかのほう。


なんでこんなことを思い出したかというと今日久々にVOLAを聴いたからで、17歳の時分、麹町から学校へ歩く道すがら、景気付けによく「噛む猫」を聴いていた。
「そういうことってどういうこと?急転直下でマイナスイメージ、僕は四面楚歌で」
ってノリノリで口ずさみながらレンガを踏むんだった。
「汚名返上、気持ち雨のち雨だ!」
なんか、負けたくなかった。負けてたけど。

VOLAはいつも背中を押してくれたし、彼らのステージングに光を見た。フロアは奈落だったから、手をあげて騒いだ。とにかく楽しかった。ここにくれば楽しいってわかってた。

「君は疑心暗鬼、見えない幽霊と戦ってる」
安っぽい歌詞だなあと思う。でも模索しようと必死なアヒトが好きだった。
ギターを背中に背負って、立ったままドラムを叩くステージング、中畑と息を合わせて演奏するのが好きだった。オリエンタルマシーンのベースの音からメヒコに繋がるあの流れ、大好きだった。

引っ掻き回すような青木の尖ったギターに、地を這い尽くして覆うような有江のベース。サイドのふたりのセンスとテクニックに毎度惚れ惚れしてた。

有江の指先に釘付けになった。いわゆるバカテクプレーヤー。みたこともない動きをした、刻めねーよってリズムを確実に確実に刻んでいた。思い付かないメロディを縫った、ベースでありながら土台以上のなにかを弾いた。

ライヴが楽しくて幸せで笑うと、メンバーも一緒に笑ってくれた。だから目があったときには最高に笑った。特に有江は頷きながら笑い返すんだよな。
彼は何かで言っていたなあ、「客席が楽しそうだと嬉しくてつられて笑ってしまう」。楽しませてくれてるのは、あなた方だと言うのに。
アヒトも、青木さえもサングラスの奥で笑ってくれた。だから、幸せだったんだよ、VOLAのライヴは。

「Food's Next」もわたしの応援歌みたいだったなあ、ライヴでやってくれると嬉しくて。当時まだ持ち曲がなかったから大体やってたんだけどさ。
学校にいくとき、ほら、緊張してたからさ、いつも気合い入れに聴いてたんだよね。

そんな、あの気持ちをぶわああっと思い出した。
ぱったりとライヴに行かなくなってしまってからも、女学校の敷地内に敷き詰められたレンガに足を踏み入れるとき、いつもあの光を思い出してた。



VOLA聴くと、あのときの、17歳のときの感情を思い出す。辛かったりするけど幸せもきちんとあるから、まだくたばれねーなって思うのよ。
だからやっぱり、自分で思ってる以上に、わたしにとってVOLAは大事なバンドなんだと、ふと思った。から、書き留めておく。ぐだぐだなのは承知だ。


起死回生の一発!