逆回りの渦を作ろうとしても失敗するよ、北半球だから


疲れた体とグラスで切った指を終電に詰め込んで帰路につく。20分遅れと電光掲示板が告げて、池袋のホームで突っ立っていた。ホットドックストアもジューススタンドもとっくに閉まったホーム。読みさしの本があるので、むしろ遅延が嬉しいくらいだった。そこそこ遅れて到着した電車で幸運にも座れたのでそのまま本を読み続けた。
降りてから遅れた原因は池袋でなにかを点検していたからだと知る。
わたしが本を読んでいるすぐ傍で、誰かが一生懸命に終電を動かすために暗闇で作業をしていたりしたのだったらと思うと胸の奥がギュッとした。蛍光灯がギラギラ光るモニターのたくさんある部屋でうまくいかないとぱたぱたスイッチを押していたのかもしれない。


電車が遅れたくらいで、しかも終電だ、どうせほとんどのひとは帰宅するだけだろう。だからどうか、イライラしないでおくれ、と思う。もちろん家に病人が、妊婦が、急ぐ事情を持つひともいるだろうけれど、大多数のひとに。そんなことを思うのはわたしがだらけた生活を送っているからなのだろうね。
イライラする乗客たちのせいで、焦っている夜中のJR職員たちを思う。なんで点検、くそったれとイライラするJR職員たちを思う。乗客がイライラしなければ、彼らは焦るだけで済んだかもしれないし、そんなことは関係なく、やっぱりイライラするかもしれない。


ここまで書いて、JR職員たちが焦っていたという前提で物事を考えていることに気付く。真夜中に働く、そしてきちんとしているのにイライラされ。仕事をしても感謝されない、哀しいJR職員たち。でも彼らが横柄でだらだらと仕事をしている可能性だってあるわけで、それならわたしは哀しまなくて済む。のんびりと読書をすればいいのだ。

巡り巡って誰かが嫌な思いをしている、自然に組み上がった仕組みだと思うと、ナンダカネ。



帰宅して、まっすぐ浴室に言った。本とiPod touchを持ってそのまま入る。スピーカー機能は便利だね、COWBOY BEBOPサウンドトラックやWater Water Camelなんかを聴きながら読書をした。Leadがカバーした冬色ガールを再生しながら(ようやく、だった。ずっとドキドキして聴けなかった)体と汚した服を洗う。
MEGを聴きながら適当なところまで本を読み、体を拭いて髪を乾かす。じっと読書をしながら長湯するのが好きだ。丁寧にトリートメントをしようと思い立ったりするのも悪くない気分だし。
髪を洗っている途中、ふと小説のような文章が浮かんだ。男と女の会話のような場面だったと思う、楽しくてそれをそのまま続けていったら村上春樹の小説の一場面を忠実にトレスしたようなものができて、まったく素で「やれやれ」と思った。
つい24時間前に考えた文章なのに、うまく思い出せない。いまここに書いてみようと思ったのだけれど、あまり村上春樹のようにならなかった。
今夜、少し感傷的になっているだけという話。



2月6日は大槻ケンヂの誕生日だ。
そして、13年2月5日で「渦」のリリースから10年経った。初めて発売日をカウントしながら買ったCDが「渦」だったんだ。