夏が来なかった


来なかった。夏が来なかったなあ。今年はついぞ夏が来なかった。そんな気がしている。夏にはいつも気を違えてしまう、波形になりたいと心から思ったりする、そんな夏が、こなかった。どうやってこのあと来る季節たちを乗り越えたらいいだろう。


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先月末から愛知に帰省している。31日は名古屋会場を半分、1日には岡崎会場と豊橋会場、そして2日には名古屋会場のもう半分を見る予定だ。とても楽しんでいる。

31日、ある展示で耳をそばだてたら「ところは東京麻布十番 折しも昼下り 暗闇坂は蝉時雨 黒マントにギラギラ光る目 で真昼間っから妖怪変化 ももんが ももんが おー」という朗読が聞こえて、ぎくりとした。
あんこくざかむささびへんげ。朗読ということであの明るいメロディーから剥がされて残った言葉を意識する。好きでよく聴くし、たびたび口ずさむ曲だけれど、こんな歌詞だったのか。新鮮だった。


また、ずっと行きたかった岡崎「丘」という喫茶店にも伺えて嬉しい。マスターの方が「丘」という店のロゴを模したステッカー(ご自身でシール用紙を繰り抜いたのだろうと思われる)をくださって、嬉しいな。



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id:junkrocketsが日記を公開にしたり非公開にしたりするのは今までだって何度か会ったことなのだけれど、いま非公開になっている。そこに添えられていた「連絡くださいな。」という言葉につられて、彼女に連絡を取ろうと思ったら、連絡先を知らなかった。いつもライブハウスで会うから、聞いたことがなかったのだ。
プロフィールを見るにメールアドレスなどを載せている様子もない。じゃあTwitterで話しかけてみようと思ったらアカウントが消えているような気がする。
あーあ、と思う。
きっとまたいつか会うだろうけれど、それでも、ずっと好きで眺めていた彼女の姿がふと見えなくなるのが、ひどく淋しく感じられた。
じゅんこさーん、もし御覧になっていたら、そしてもしよかったら、お声がけください。



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トクマルさんの新譜も年内のリリースが決まったのでとても嬉しい。年明けのリリースになるのではと思っていたけれど、予想以上に早かった。先日のライヴで聴いた新曲たちはどれもわくわくするものだったので楽しみだ。ふふん。



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夏、終わらないで。気もしないのに終わりだなんてやめてよね、悪い冗談みたい。

ハッピーバースデイ


16歳の春から17歳の夏にかけて、というと1年以上の月日みたいだけれど、実際は6月に自分の誕生日があるからほんの数ヶ月である。そのほんの数ヶ月がわたしのターニングポイントだった。インターネッツ、当時は目新しかったSNSである男の子と話すようになった。
彼はいわゆる「サブカル趣味」のひとで、何かを作るのが好きなひとで、わたしは彼の感性がとても素敵だと思った。2度だけ会ったことがある、初めて会ったのは4月か5月の雨の下北沢だった。2度目は原宿だった。どこを回ったかはどちらも全く覚えていない。恋ともつかぬ感情だったけれど、しいて言うなら恋だった。いや、やっぱり恋ではない。彼に傾倒した、という方が正しい。わたしの傾倒の仕方はちょっとおかしなことになってしまって、彼に気持ちが悪いと言われて縁が切れた。今思うととても正しいと思う。あれはわたしが悪かった、素敵な男の子だった。
わたしが美術館に通うようになったり、美しい写真を集めたり、ハイファッションに興味を持ったり、そういうカルチャーに興味を持つきっかけになったのは彼だったし、キノコヘアーにしたのも最初は彼の影響だった。その後しばらくずっとキノコヘアーでいつづけたのは、単純に気に入ったからだ。当時Number girlを聴いたりしていたベタなわたしがシャンソンベルセバを聴いたのは彼の影響で間違いない。彼が教えてくれたALAMOSというバンドは最高に格好良くて今でもよく聴くけれど、知っているひとに出会ったことは未だにない。


そんな彼が「素敵な文章を書く女性がいる」と言って教えてくれたブログがあった。わたしはそのブログを一発で好きになった。彼女にどんな風に連絡を取ったのかは覚えていないけれど、きっとファンメールでも送ったのだろう。いつだかは覚えていないけれど、程なくしてその女性とも会った。
初めて会ったのはやっぱり下北沢で、ワッフル屋さんでお茶をした。カラーメイクをキメているおしゃれなお姉さんで、随分と大人に見えた。4つ離れているから、当時の彼女は21か22くらいだったろうか。その後しばらくは会わなかったような気がするけれど、なにがきっかけだったか一時期毎日の様に会っていた。そしてある日ふつりと縁が切れて数年絶縁していたけれど、最近また連絡を取るようになった。彼女は少し丸くなっていて、でもあまり変わってなくて、それでも随分と変わっていて、でもやっぱり変わってなくて、とにかく聡明で憧れの女性であることに変わりはない。


ふたりはセックスをしたことがある、と知ったのはわりと早い段階だった。やっぱりね、と思った。それは想像に難くなく、むしろ自然なことのように思った。
そして、彼らは誕生日が同じだった。それが今日、8月25日だ。ハッピーバースデイ、わたしの人生に文化をたくさん与えてくれたおふたり。有難う。
男の子の方は連絡先も知らないし、今何をしているか一切想像つかない。ただ、女性とは連絡を取る。彼が繋いでくれた縁がこうやって続いていることが嬉しい(数年途切れていたけれど)。
彼らにとって今日が素敵な日でありますように。そうやって祈っていることをきっと知らないだろう、わたしのことなんて覚えてもいないだろう。それでいい、わたしは気持ちが悪いんだ。あの頃ひとの誕生日を覚えるのが得意だったから尚更だ。執念く覚えている、否が応でも思い出す。思い出したからにはそっと願わせて貰うよ、悪いね。
ちなみに女性にはメールを送った、返事が返ってきた、はにかんだ。おめでとう。



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さて、前回の日記からまた間が空いた。翌日にでもcero野音がよかったという話を書こうと言ったのに、結局書かなかったな。


7月末に髪を切ったけれど、どうもそのくらいからずっと具合が悪い。体温が37℃を下回る日はほとんどなく、とはいえ37.8℃くらいがずっと続いていた1週間だか10日だかを思うと随分落ち着いて、今は37.4℃以下くらいだ。
一時期は立っているのがやっとなくらい具合が悪くて寝込んでいたりもしたけれど、そこまでの熱は引いたし、微熱も1ヶ月続くと平熱みたいなものだ。血液検査をしたけれど異常は見つからなかった(むしろ医者に「素晴らしく健康な数値だ」と褒められた)。

加えて、左手の痺れも引かない。去年も左手が痺れたことがあったので過剰な心配はしていないが、小指の感覚がなくて気持ちが悪い。これも最初はもっと広範囲の痺れだったのでだいぶよくなったけれど、小指は頑なに感覚が鈍い。微熱が続いていることもあるし、もうお祓いしかないかなあなんて嘯いている。



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Sugar's CampaignがAvec AvecとSeihoのユニットだったことを今更知った。ついでにSugar's Campaignのサイトに飛んでみて初めて知ったのだけれど、Avec Avecはこんなに有名どころと仕事をしていたのか。Seihoは「Cry&Fight/三浦大知」に参加しているとのこと、三浦大知はこの曲しか知らないけれど、とても好きなタイプの曲だ……!と思ったことを覚えている。なんだ、結局Seihoだったか、と笑っている。


ところでiTunesを覗いていたら、3年前にインポートしたっきり再生していない名前も知らないアーティストのアルバム(そんなのがこのパソコンには大量に入っている)を見つけたので聴いてみた。とても、とてもよかった。好みだった。なにこれいいじゃん!って言った、3年越しで。
「Generating Arrow Diagram/M-koda」、紹介文も好きだ。

Generating Arrow Diagram(スペシャルプライス)

Generating Arrow Diagram(スペシャルプライス)


ファンの方がPVを自作してらっしゃった、この曲がアルバムの1曲目。

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まただらだらと書いてしまった。
本当はこの夏はちっとも夏らしくない、みたいな話をしたかったのだったのだけれどやっぱりそこまで話が及ばない。徒然なるままに、を都合よく解釈してとっちらかった散文を終わりにする。

日記を書いているときだけ少し泣ける気配がする


案の定スマートフォン端末からの投稿は失敗していて少し笑った。

半年前から感じてた悪い予感はきちんと悪いかたちで、つまり的中するかたちで実現している。それはそうとして予想外に論文(大したものではない)を書くことは精神を摩耗する作業であったし、予想外に哀しいこと(でもいつか起きると思ってはいたよそのことがいちばん哀しいね)が起きて、正直なところ、いまは処理落ちしちゃってよくわからないという感じ。考えるとろくなことがないが、考えずにいるとまたへまをする。

何もしていないのに大掛かりな休暇が欲しい。心穏やかに過ごしたい。処理落ちしているものをきちんと消化するために再起動を掛けたい。今までだったらとっくにへばって寝込んでいるような気持ちの落ち込み方だなあと思うけれど、それはそれだよねって感じで生活している。生活といったって大した生活ではないのでどうだかねって感じだけれど、とにかくきちんと毎日回っているよ。


この間、まとまった文章を書いた。朝の4時くらいにどうしても書かなくてはと思い立って、そのまま6時間くらい寝ないで書いて、仮眠をとって起きては書いて、1時間以上タイトルに悩んでは結局決まらず、翌日推敲してようやく決めた。過集中ってヤツかなあと思いながらタイピングをし続けた。読んでもらえなくてもいいけれど、書かなくてはいけなかった。そう思いながら書いたのは久し振りだった。


悲観しているわけじゃなくて、本当に何かを感じとる部分が弱っているだけなんだよなあ。もちろん楽観的な状況ではないのだけれども。


あ、でもね、楽しい出来事もあったんだよ、cero野音だとかさ。暗い話と抱き合わせるのは嫌だから数時間後、日付が変わったときにでも書こう。

*端末変われども


2年の間ちまちまとメモ帳に書いて溜まってしまった詩のような何かをきちんとまとめようと思う。総ての記録はこの辺のブログに残しておきたい。1年前にiPhoneに変えた、それにより取り巻くネット環境は変わったような、あまり変わらないような。家だともっぱらPCであるから変わりようもなかった、面倒臭がりという性分は端末が変わっても変わらなかった。
去年はたくさん書いた年だった。年末に論文を書いてしばらくすぼんでいたけれど、それまでハイスピードで書きまくった。できるだけ丁寧に量産した。ほとんど特定少数の読んでくださるひとのことを意識したら、自然と不可解な単語の羅列だけという文章ではなくなっていた。片手間で息をするように140字前後でリズムを書き殴った。絶対にこのリズムを身体から逃してはいけない気がしている。

今年は久々に本を読んでいる。元々読書家ではない、半年1冊も読んでいないなんていうのもザラだ。でも何年かに一度、普段にはないペースで本を読みたくなる。今がそれだ。とはいえ遅いことに変わりはないのだけれど。変わりがないという話ばかりしている。一度くらいスマートフォン端末から日記を更新してみようと思い、メモ帳を立ち上げてぽちぽち打っている。「フリック入力はセンチメンタルの速度にそぐわない」と友人は言っていたけれど、意外とそうでもないような気がしている。





まで書いて、目的地に着いて携帯をしまっていた。日記をどうやって投稿するんだろう。これであってるのかな。

特別なディスなどはやめようとしたんです もう限界です


関ジャニ∞のなかのユニット曲で「YOU CAN SEE」というのがあると教わったのが1年半くらい前の話で、聴いてみたら恰好良かったので好んでよく聴いている。



さすがジャニーズだ、本人が歌ってらっしゃる映像はなかったので、曲提供をなさったシンガーソングライターの方のカバーを。スタイリッシュでとにかくおしゃれ、意味があるようなないような歌詞がまさしく「YOU CAN SEE」という感じ。


あるひとが自らの思うことを主張するとき、それを発言するに至ったきっかけの言動が確かに自分にあるとわかった途端、そしてそれがわたしの意見と合わないものである場合、物凄く怖くなってしまう。よくある話だ。それをディスだと捉えるのは明らかに過剰であるし、悪意ある攻撃の意図があるわけではないとわかっている。わかっているけれど、悪意に見えてきてしまうのが脆弱な神経に良くない。不必要な過敏さは総てを痛みで捉えるだけだ。
わたしには、あまり、大きな声で主張したいことがない。
こういう行動が不快だと思うことも、あまり、ない。思いつかない。
もちろん心が広いわけではない、ましてやこれが優しさであってたまるか。そういうことじゃない。
「無関心では」という指摘をなされたこともある、それに酷く動揺して思い悩んだりもしたけれど(すぐ思い悩むよなあと感心する)、少なくともそういう訳ではなさそうだと自覚している。自覚できていない残酷さなのだとしたら、恐ろしいことだとは思う。


嫌なことを嫌と言えないひと、みたいな言葉は何年も前から散見する。「ノーと言えない日本人」的な。その言葉を見かけるたび、あるいは言いたいことははっきり言いなさいといった主張を見かけるたび、なんとも言えない気持ちになる。嫌なことは嫌っていうけれど、嫌だと口に出すほどのことってそんなにない。
これが怠慢だとか諦念だとか、そういう類でくくられる念だったら、それこそ嫌だと大きな声で言ってやりたい自分に。楽をしていると思われているのだとしたら耐え難いことでもある。そこそこ溜飲を下げながらやっているんだよ。溜飲を下げながら?やっぱり言いたいことが?そういう揚げ足取りを延々ひとりでやっていてもねえ。

たまに勇気を出して主張で返してみても、言い訳がましいという言葉の前に潰される。実際に言い訳を口にしたのか自分の主張を口にしたのか、自分でもわからなくなってしまう。小さい頃から親によく言われ





ああ、わたしはいま思春期の焼き直しをしたいのか。したいのか?
すぐに思考が散逸してしまう、ひとりで連想ゲームを延々していられる。わたしが好いている音楽に星から星へと飛びまわるようなイメージを掻き立てるものがあるけれど、その速度や鋭さには随分と劣る程度の明滅で思考が飛び回っている。その実同じところをぐるぐる回っているだけだけれど。


こんなに文字数を使っても、いつも肝心なことを言わないんだよなあ、ということには気づいている。どうでもいい話しかできないという才能を持て余して今夜も音楽を聴いている。