だけどそれでも信じてる

 

おかしいって言われてる、でもこうやって信じてる。当たり前でしょ、わたしが信じないでどうするの。あなたはそんなひとを捨てたようなひとではないもの。連絡手段がなくなることは絶対にないって約束してくれた。

ふん、壊れてやるものか。たくさん壊してきたあなたが壊しきれない存在として、どう、悪くないでしょう?

生ハメ殺しオークション

 

見てない気がするなって思って書き始めたらだらだらしてしまったけど、だけどやっぱり見てるのかもね。わたしにはもうそれすらわからない。

思えばわたしみたいなガタガタに欠けている不具の魂が他者とわかり合おうと試みて、寄り添えると思ってしまったのが間違いなのかもしれなくて、出会ったことに間違いはないけど、わたしの頭が正しかったことなんてこれまで一度もなかったね。それでもわたしの頭はこれしかない。この世界しか描けない。

 

あんなに大事にされたのは本当に初めてのことだった。その姿勢と生き方とたくさんの言葉を信じている。本人が不在のうちに疑うことはしたくない、そんなこと絶対にしたくない。これは矜恃だ、意味も根拠もない、わたしがわたしでいるために必要な在り方だ。ここいちばんでひとを疑うやつになりたくないもの。愚かだと思っても構わない。

でも、そうやって疑わないで過ごした結果として、「のんきだね、ぶざまだね」と、もしかして当の本人にさえ思われていたら哀しい。「重たいね、常識的に考えればいいのにね」ってそういう言葉が通用しないことなどわかっているはずだ。わからないふりはよくない、「あなたなら大丈夫」って希望的観測を連ねるばかりもよくない。


幸せな未来を描いてポジティブに行動できるひとにしか明るい未来は来ないんだって。わたしもそう思うし、笑って余裕の顔して「先についたけど?」って言いたかったから、泣き言も言わずに笑顔で、自分で言うのもなんだけどさ、頑張ったよ。未来で待つつもりで走り抜けようって、でも転んじゃったや。転んじゃったらもう価値なんてないんだろうなって思ったら立ち上がれない。痛いよ、傷の治りが遅いよ。それでも走ったよ、足がもつれて、もうどうしたらいいのか。
泣いてるひとには幸せって来ないんだろうか、幸せになりたい、立ちたいって思っているのに、立たないとダメだなんて殺生だ。それでいうならわたしは幸せになれないんだろうな。

「都は絶対幸せになれるよ」、あなたはそう言ってとても嬉しそうに笑った。その笑顔を、声色を、何度も何度も思い出す。


生殺しのような状態に慣れることにも慣れて、自分の価値を下げたほうが早いんじゃないかって何度も考えたよ。

「あなたはちゃんとしている、ちゃんとしていないひとの行動であなたの価値は変わらない」、そういった言葉がどれだけわたしを救ったか、あなたは想像できないはず。でもね、そのあたりぱたぱた翻ってさ、そんな言葉を掛けてくれるひとさえ、わたしにちゃんとしてくれないんだーって落ち込むんだ、これもあなたは想像できないはず。それにまだ、「ちゃんとしてくれない」って決まったわけでもない。
でもさでもさ、あなたに想像できないことなんてなくない? そのうわての想像力をわたしは知ってる。

「返事がないという返事なんです」ってもっともらしいことを。わかってるよ、わかってるけど、でもまだ苦しんでる真っ最中だったらどうするんだよ。幸福で?楽しく?過ごしてます? わかってる、それならわたしは文句を言わないよ、嬉しいって素直に思う、おめでとうって思う。でもさ、でもさ。なんにしたって一報入って然るべきだとは思うんだ。入らないっていうのはつまりさ、二択だ。まだ何かある・なんて切り出していいか分からない or わたくしには言葉を割く価値もない。

後者だって早々に判断できるわけない、「あなたには価値がある」と根気強く伝えようとしてくれたひとに対して、そんな。わたしはそこまでひとを捨てていない。

 

「この先二人がどう展開してどんな関係性になってもあなたと一生仲良くしてるだろうなーとくっきり爽やかに感じています」

 

わたしだって変わらずそう思っています、今はだめでも、違う関係でも、話すことはとても楽しいことだからね。一生の断絶だなんて思ってない、思ってないけど。
でもあなたがそのつもりだったら?


わたしなんかに誕生日祝われたところではた迷惑だったかもしれないね。いや、苦虫を噛み潰すような顔で削除されたならまだいい方で、何様なんだろうとか思われてたら笑ってしまう。信じているのに、信じたいのに、信じ続けていたいのに、いるのに。

「困ったことがあったら声を掛けて」、掛けて返ってこなかったら? あなたが苦しんでいたら申し訳ないと思った、だから返事を下さいなんて一度も言わなかった。言わないとわからないよねっていう考え方はあるけれど、そっか、言わないともらえないものなのか。あなたはわたしにひとことも渡したくないのか。

いいなあって思う、あけましておめでとうとか連絡がつく友人が羨ましい。友人にすらしてもらえないんだろうか、ただの過去、なにひとつ発展しない冷たいもの。そう認識されているのだとしたら、だとしたらわたしは。

でもこれも全部たらればの話だからね。相手がいない以上不安定な独り相撲だ。時間は嫌だ、こんな風に視野を歪めていく。

 

それでもわたしの文字を掲げてくれて嬉しい、汚い文字だけど気に入ってもらえてよかった。心臓を大切にしてくれているなら嬉しい。いまの関係がどうあれ、この縁が一生切れっぱなしってヴィジョンはやっぱり全く想像してない。確信してる。

知ってるでしょう、わたくしはしゅうねいでお馴染み。大きな水に飲まれながら、自分さえ流されそうになりながら、こうやってどうにか今日は生きた。「どうせ飛べる焦らないで」って歌いながら高い場所から地面を見下ろして、どうせ飛べる。でも今日は飛ばなかった。

 

泣き言ばかりが長く伸びる、でも吐かないと喉詰まらせて死ぬ。あとで消したって誰も怒らない。そうだよ、ここは泣き言を言ってもいい場所なんだもん、明るくてお喋りで外交的な自分なんて棚に上げて、泣いて叫んで根暗の限りを晒して、そうやって生きてきている記録の、ここは紅差し指でsavexって言います。本当に紅差し指でsavexを塗っているからって10年以上前につけた名前です、そして今でもそうやってリップクリームを塗っているわたしの名前は都。みやこ、と読みます。誠実でありたいと哀切したあなたの、その祈り、願いを一緒に信じているだけの小さなにんげんです。

哀しみを溢してもいいの?

 

わたしが死んでも泣かないんだろうな。こんな女々しいことを考えている、女々しいってわかっている。

疑うことは不誠実だと思っている、あなたには誠実でいたいから連呼された言葉たちを大切に信じているけれど、もしかしたらあなたからすれば「そうしたいだけ、自分の欲で好きでやっているのでしょう」と言ったところなのだろうか。大事にしたいって言った、できてないと嘆いていた、その気持ちだけで充分大事にされてると思う。今もそう思っているのなら、わたしは大事にされている。でも本当はどうなんだろうね、わたしなんてとっくに振り落とされたあとの残滓で、残滓に注ぐ情なんてないか。

 

「あなたに触れないのに」と泣いていた、わたしだって誰にも触られたくなかった、認知の歪んだ性犯罪者に容易く触られて心が歪んで、今だって寝込んでいる。気づいたら恋人はもう恋人じゃないのかもしれなくて、それならそれで構わないんだ、でもだとしたら言葉が足りなさすぎて動けない。もう少し救われてもいいと思う、傲慢かな。

わたしはそんなに虐げられなくてはならないにんげんなんだろうか、苦しい思いをするくらいしか能がないこの脳が悪い。した覚えもないけれど、いっぱいずるをしていたのかな。ひとを再起不能なまでに酷く傷つけてきたのかな。大事に、大事にしているつもりでさ、そう思ってるのはわたしだけなら本当に頭が悪いよね。相手がどう思うかだけが大切なのに。

他人の憂さ晴らしだとか逃避先にしかなれない、誰もここにいたいって言わないよね、わたしにはその価値がないのだろう。やさしいにんげんになりたい、やさしくされなくても全然気にならないほどやさしいにんげんに。でも今はやさしくされたい、安心したい。胸を衝く哀しみにもう疲れたよ。見えないものを探して、もやの中の止まり木から止まり木へ飛び回るから、やっぱり疲れる。

「結婚を前提に交際して欲しい」という言葉にはそれなりの責任があると思っている、受諾したからには、わたしはその責任を取る。解消するにもきちんと向き合って話がしたい。そう願うことは、そんなに傲慢なことだろうか。

 

今日もベッドの上で昼を見ている、音楽を流して、ここはすっかりサナトリウムみたいだ。ひとりも訪ねてこないけれど。

 

 

 

あなたは愚者に耳打ちをした

 

キーボードをべちべちべちべちやりながら、こういうのって手が動き始めると止まらないんだよね。寝入りばなに次々に起こされたので今日は少し寝不足気味なんだけど、まあ晴れてるからオッケー、と思っているからオッケー。

わたくしの軸足が地軸です、いつだって23.4度ほど傾いているのはそういった事情。あなたに昼と夜を、季節を。

 

 

って
ひきつづきべちべちやっていたら、自分がやたらめったら勝ち気な気分を出していて驚いた。勝ち気というか、ここで進まなきゃ絶対負けるでしょ、絶対ダメでしょという気分。端的に言えば押しの日、もしくは軽躁状態。完全にイメージの上では馬乗り。

こういうときの自分は危なっかしいので一旦止まれ、ということで書いたものはまるっと寝かせましょう。
ああ、かわいい牡羊座の火星に惜しみなく降り注ぐ太陽と金星よ、そんなに煽ってやらないでおくれ。


わたしは過去の美しい物語、あなたの好みの世界観のひとつって決着されているんじゃないかって見立て。どう?

 

 

粗末に扱われていいにんげんじゃない、イロモノかもしれないけれど真っ当なひと。あなたがそう教えてくれた。

漢字を開きたくなる季節

 

辞令と予告、そして申請をしたいと申請した。ダメ元、あわよくばである。こういったことを考え始める程度には、時間はひとを小賢しくする。


懐かしいことを思い出し、5年ほど前に自分の書いていた文章を読み返していたら思いがけず時間がかかった。案外春の話が多いという発見もあり、自覚してなかった手癖もいくつか。諸々多用していて恥ずかしかった。

どれもこれも、いかにも自分が書きそうな文章だな、と思った。変わらないのね。日記や会話の文に比べて物語で使う言葉は変わりがない。文章の言い回しというのは染み付いたリズム感みたいなものがあるみたいだ。実際、「昔書いた文章なんだけど」と見せてもらった他者の作品にわかりやすい古さは感じなかったりもするわけで、自分の文章にしたって、他人からしたら今と大差ないものなのかもしれない。

 

口にするのも野暮だけれど、わたしはあまり文章がうまくない、ただぼうやりと書き綴り続けているだけだ。世の中には美しく鋭く小粋な言葉で日常や抽象や思想を切り取るひとがたくさんいて、わたしはそれの美しさに感じ入るばかりだ。
ものを書くことは好きだ、と思う。正確に言うならば書きたいと思うから好きなのだろう。こんな内気な遊びに耽溺しているせいで人付き合いはあまりうまくない。なかなかそういう印象を与えていないと思っているけれど、どうにも。

書いたものを自分の臓腑の一部のように感じていて、これを見せずにひとに接していると、どうにも自己開示をしていないような気持ちになっていけない。でも普通はこんなふうにだらだらと書き綴る趣味の持ち主などノーサンキューなんですよね、ええ、理解しています……。

 

どうしてこんな偏屈なにんげんになってしまったのでしょうか。

「君って男性のことが苦手なのかって思ってた」

友人に指摘されて自分でも驚いたが、確かにそうかもしれない。粗相があってはいけない、礼儀正しく、慎重に、適切なタイミングで相槌を打って、もちろん言葉遣いが厳しくならないように気をつけて、「あなたの話に興味がある」、そういう態度を全身で示す。嘘ではないのだ、ただきっと過剰なのだろう。過剰なものって毒なので、それはうまく行かないだろう。

考えてみれば、対面で出会う男性総てにそう接している気がする。好かれたいとか色目を使っているとかそういうことではなくて、なんというか、推測するにおそらく正しく男性に接しようと思うときの態度なのだろう。わたしの思う「無難」の体現は、つまりひどく窮屈でSiriの口調より平板な態度。違う、そんなことがしたいわけじゃない。

 

相手の書く文章を読まないと自分の服が脱げないのかもしれない。それでは相手も脱がない。さようなら。はいさようなら。こういった寸法。

サピオセクシャルというセクシャリティがあるらしい、相手の知性に惚れるというもの。自分がそれだとは思わないが、そういった傾向はかなり理解ができる。どんな顔がついているかではない、どんな脳がついているかのほうが遥かに、遥かに大切だ。

わたしは日々脳を大開示して生きている恥ずかしいにんげんですから、きっと報われないのでしょう。いいえ、愚者には愚者の救いがちゃんと用意されています。安いにんげんには安い神様が必要だと聞いたのは17歳のとき。

 

もっと見せて、あなたのことを。わたしはあなたのことが知りたい。聞かせて、脳のはなし。一節歌って、何かを諳んじてみせて。そのあとに笑顔を見せてね、あと、ここからが大事なことなんだけれども、それまでにわたしのことを好きになっておいてくださいね。