忘れてあげてくださいね

大槻ケンヂが何人のファンと実際にセックスしたのか、そんなことは関係ないよね

わたしはたまにカルト的に彼の曲に縋るし、それが凄く格好悪いと思いながら、でもオーケンはいい曲を書くよ

17.だったわたしは、「小さな恋のメロディ」という曲に感情移入していたよ。それがいかに馬鹿馬鹿しいかと知りつつ、

17の幼い、醒めた哀しい目をした少女は「いつか消えるから私も早く死んで消えたい」なんて綺麗な理想を語るけど、それを否定したりしない

ただひとこと
「なによりもうこれ以上、君のまわりに不幸の存在を俺は認めない」
て言う。何も言わずに見る、見守る


オーケンが或る種のカルトとして語られても仕方がないと思う

だって、思春期にそんなこと言われてしまったらくらくらしちゃうよ、
自分馬鹿だなあと思いながらそっと身を委ねたくなる


わたしは頭と体と時間を使ってお金を得る
すり減らして死にそうになる。情けなさに涙が滲む 切り売りした全てを否定されて感情が死ぬ
麻痺。壊死。切り売り、生身、終電、生きるように死ぬということと或いは逆。そのうち肯定さえ否定にしか取れなくなる。悩み荒れる。わたしの不確定な身分がいけないだけなのに性格や容姿や声や何もかもが否定された気になる。実際そういうものも幾ばくかは否定されたわけだし、



正確にいえば幸せにしてくれなんて思わない
不幸の存在を認めないと、思春期も過ぎたわたしに言い切っておくれ。
不幸でなんかない、五体満足勉強もさせてもらえて衣食住にも困らない

それでも、その台詞で安心するぼくがいるんだよ



ぼくはあたしを抱きしめた、わたしはそれを滑稽だと思った

good-bye, ファッション不幸


余談、

大槻ケンヂの声真似と波田陽区の顔真似なら得意です

要するに女の子としては残念だということです