用事があって郵便局へ。たまに見かける老婆に会う。きっかけもなく汚い品のない言葉を大声で怒鳴りつけてくるひとで、剣幕が怖いので苦手だ、嫌いだ、強い言葉も苦しい。でも郵便局に行く道中に会った。吐きつけられた言葉の痛みに少し休んでから、簡単な買い物を済ませて出たところでまた会った。ぶつかったわけでもないのに明確にわたしを指さして罵声を飛ばしてくる。先よりますますひどい言葉で罵られる。しゃがんで動けなくなって、その場で吐き気を催しながらしばらく泣いていた。立ち上がれなくて心臓が痛くて、そう、わたしはそんな風に普通に暴言を吐きつけられて謝ってもらえないような。にんげんとして扱って欲しいなんて思い上がりだったのかもしれない、殴ってもよくて謝らなくてよくて、「知らない、覚えてない、あなたも忘れといて」で終わり。誰も悪いことをしていない。殴ってもいいものだと思われているから。道端で上がってくる吐き気を何度も抑えて、早く戻らなくちゃと思っていた、戻ってからもしばらくうずくまって泣いていて戻れなかった。自分もひとを殴っているのかもしれない、謝罪もしていないのかもしれない、苦しい。誰かがこうやって泣いているのかもしれない、わたしは泣いている。苦しい。誰もがこちらに石を投げてくる気がする、味方がいないと思う、粗末に扱われ続けて、いのちをたもつのがくるしい もっているだけ無駄、らくになる気もしない、一生聞こえてくる嘲笑、ひとこと、謝ってくれたら嬉しいと伝えることが、そんなにおかしくて、許されないことですか

 

「人を傷つけ痛みも感じない。」それを孤独という言い訳で昇華して 被害者ヅラしてる大人になんて なるくらいなら ねぇ 死んじゃったっていいよ。