板に落つ

 

わたしはひとりで完璧に完成している。
その中身をだらだら垂れ流して文学的とか言われる趣味はまじでミリもないっていうか悪趣味な仕立て直しをする暇こそまったくないんだけど、心臓を吐きそうな感覚になって嘔吐しても胃液まみれの冷たい沈黙と空洞みたいなのは身体にこたえる、代わりに吐けそうなものはざりざり吐いておく。

壁を隔てたあちら側で刃物を持ち出したあなたは刃先を自分に向けた、と書くとまるで凄惨な現場のようですが、壁のこちら側ではわたしもまた持ち出した刃先を自分に向けていた。吐き気がする。
何度も刺されても死ねない、死ねないなら大丈夫ってもっと刺されにいく、死んでないって嬉しそうにする。死んでないから平気って刺されて、刺されたら強くなれるはずなのにぶっ壊れたれんこん未満のカス、れんこんはおいしいから偉大だけどわたしのは無様な空洞。いつも吐き気だけが止まらない、心臓がばかみたいに痛いからこんなばかのいうことは聞かなくていい。まだできるもっと走れるって壊れることは勘定に入れない。壊れたら否応なく終わり、走れないとさえ思わないのだから同じことだ。大丈夫って言い切れない、ある面では大丈夫だけど他はぜんぶだめかも!まあいいよね!

胃もたれしそうで気持ち悪い自分のことを押し込めたのに、ほらね。言葉だけが最後の願いだ、嘘だ呪詛だこんなものすべて。わたしごと焼けて消えてしまえ、なんでもいい、何が残っても残らなくてもどうでもいい。さしあたってはこのうるさい心臓だけ吐き出しきってしまえれば、他には大きく痛む箇所は特にない大事には至らない。
至るって言葉ってなんか面白い。勝手にどこにでも至ってくれよ、わたしもそうするし万物結局なにかに至るんでしょう。至れなかったら死ぬこともできない、ああそっか死に至るって言い回しさえあることは書きながら思い出した。
穏やかになんてやっていられない。身体は全部そのうち腐る。生きていても腐ってゆく。腐った身体をぼたぼた垂らしながら歩いている、たまらないね。


冷静になればちゃんと否定できる、でも冷静なときに冷静になったらその否定を否定できるから収拾がつかない、針通しみたい。れんこん状の穴をかがってみてもこの身体にはなにもない。ちりactorってばかみたいな思いつきを口にする軽率さを恥じて軽率に死んでみて欲しい。
軽率という言葉を軽率に使うのはあんまり好きじゃない、でも吐けるものならなんだって吐いておきたい。人生の最後に「ほらね」って言ってくるやつがいじわるな顔をしていないといいよね。わたしはいつも問題ない。エラーを吐き出さないなんてつまらない。
脚だけ頼りにしてきたじゃん。他の何かに体重を預けるような愚かなことはやるなよ。不誠実ないきものばかりのこの島で、自分の誇りを汚すものからわたしは自力で自分を守る。叩きつけて走り出す、口約束を信じてもいいですかって愚直に確認する作業になんの意味もない、わたしはわたしのことだけ考えて生きて。たぶんそれで上手く回る。「甘く」ってかいて「うまく」ってルビ振ってあったのいつも思い出しても好きだなって思う。この心身ひとつで生きてきたじゃん、でもわたしが中心じゃない、地軸なんてやってられない。それはそうとしてくるりと回るよ、さあ回れよ。