31☆愛すくりぃむ♡

 

今日がとても憂鬱だとひと月も前から嘆いていた彼女に、それでも今日は絶対に胸を張って欲しくて、女の子に丁寧に化粧を施してやった。最近あんまり使っていなかったラメのたくさん入った青いのを瞼に塗って、どうせ隠してしまうけど唇も真っ赤にする。服もチンドン屋の主役みたいにいっとう派手な、青地に派手な花柄のセットアップを選んで着せてやって、真新しいスニーカーを足に嵌めて連れ出した。ずっといつか食べていたいと言っていた名店を見つけたからランチは奮発して、おいしいと喜んでいるのを見ていた。

何年も前に一度行こうとしたけれど混んでいて入れなかったと言っていた水族館に向かった。サメはペニスが2本ある、というのを思い出しながら大きい水槽を眺めていたら、何かの撮影の仕事らしいひとと館内スタッフが来て「あそこにいるのが珍しい魚で」と説明し始めた。それを無視して手前でウツボが2匹とふてぶてしい顔の魚が1匹寄り添っているのを写真に撮った。まだ若いペンギンはイワシを21匹食べたんだって。胃の中どうなってるんだろうね、と彼女は笑った。

そのあとはプラネタリウムにも連れて行った。宇宙から落ちてきたのか、宇宙へ落ちていったのか、40分の間ずっと考えていた。宇宙から宇宙に向かって落ちている気がする、沈んでいる気がする。感覚をぐわぐわとさせて、でもいつも感覚はぐわぐわしていなかったっけ。浮かび上がって沈んで、沈んで浮かんで、沈んで沈んで、遠ざかる星の隙間に許されたリクライニングシートでずっと迷子だと思った。

 

小学生くらいのときに思いついて以来、今でもたまに宇宙はどこにあるのか気になって仕方がなくなることがある。

「りんごが机の上にある、机はカーペットの上にある、カーペットはリビングに、リビングはこの建物に、この建物はXX町に、XX町はYY市、YY市はZZ県に、ZZ県は関東に、関東は日本に、日本は………って広げていったとき、では宇宙はどこにあるの」

当時こういった言葉で疑問を口にした。構造の問題であって「どこに」というQは適切ではないのかもしれないといまのわたしは考えてみたりもするのだけれど、それでも「どこに」のAが欲しいと思ってしまう。理由はない、疑問がそれだというだけだ。

どこにあるのかもわからない宇宙から落ちて、宇宙へ落ちて。デッサンの歪みを確かめるように上下左右を反転させて、上下左右を失って、壊れた鼓膜でずっと一緒にいようね。わたしは彼女と死ぬまで絶対に一緒にいる。

 

電車を乗り継いで帰って、そうすると彼女は突然30分強弱わんわん泣いて、泣きながら今日だけは誰も泣いて欲しくないと言った。君が泣いてはざまあないなと、でもわたしも今日は彼女にたくさん祝福があるといいと思ったから泣かせてあげた。1年で唯一わがままを言い張ってもよい日だもの。完全数の日ってそういうこと、6も28も格好いいよね、それが並ぶなんてスリーセブンみたいなこと。

駅前のは潰れてしまったからちょっと歩いたところにある商業施設でサーティワンアイスクリームを食べる、チョコミントフレーバー。スモールサイズだからすぐ食べ終わった。近くの公園に寄ったらまだ小さい野良猫3匹に警戒された。黄緑色のサイの遊具を見つける。ライノセロス、とカタカナ読み。

 

なんだか楽しくなってきて、彼女の化粧を落としてやる。濡れた髪だってわたしが乾かしてあげた。ゆりかごから墓場まで四六時中デートする。当然眠るときも一緒だよ、君が眠るまでわたしは絶対に眠らない。

 

水族館で買った記念メダルに日付を刻印してキーホルダーにしたから君にあげる。
わたしがいるんだからそんなに怖がらないで。Ahh! Folly Jetのハッピーバースデー聴いて目を伏せたりしないで。ベイビー僕でいいならここにいるよ、笑ってよベイビーひとつはっきりしてるけど君はキュートだずっと前から、ほらごらんベイビー僕らが見るあの月がこんな綺麗だハッピーバースデー。まあ今日も曇ってて月は見えないのだけれど、いいじゃんいいじゃん。今日は幸せな気持ちでいてくれないとわたしが困る。

誕生日の女の子が泣いていい理由なんてこの世にひとつもない、手放しの幸せに笑っていて欲しい。

 

今年も楽しく過ごしたいって思います。そして明日からはまたわたしが世界を愛する番、今日世界がわたしを愛していなかったとしても、そうです。

 

透水

 

夏のための新しいものは青く鋭く底冷えしていて透徹という言葉を思い出した。それが始まる前にはCorneliusのCueが、終わったあとにはGarbage のI Think I'm Paranoidが。10年そこにいて初めての右端。血の気の通う場所はほとんど伺えなくて、そのチャックを下ろした内側が空洞でも驚かないって何年も前から思っている。それでも、右手だけは剥き出しで、そこにだけひとがいて。神経質に折りたたまれる指が示す固有名詞。灰色の五本指ソックスに黒い鼻緒の雪駄。金属を抑える彼女の靴はユニクロマリメッココラボのスリッポン。リボンコントローラーを滑る白い手袋、アレンジされて初めて立ち上がってリズムを取る背中。肌色、黒いリストバンド、の更に奥の手首がちらりと見えてぎょっとした。死んでしまう春の行方に追い縋る君がいて。いつも左端にいるから気が付かなかったのだ、左側の壁には新月が明けてすぐのような鋭さの月に似たミラーボールの影が落ちる。最近は曖昧な思考のせいで何も動かなくなっていたのだけれど、ようやく涙が落ちて、自分の切れ端を見た。

この10年、2回を除いた総てを見た。この目で確かに総て見た。この身体で総てくぐった。大丈夫、そういう肉体をわたしは持っていて、内側の肋骨で留めているものがあって。これなら長く歌えるね、と笑った日から。

 

高円寺から中野まで住宅地を歩く。警察の周りに猫が3匹。サンプラザの前でまだ買ったばかりのピアスのキャッチのモチーフが千切れて落ちた。

 

 

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この時期に意識して着るワンピースがあって、それを今日着た。赤いオレンジのチェック、スクエア型に開いた襟。

 

誰に対してもそんなに安心していない、それでもこんなふうに安心しているのは初めて。いつも笑って受け流して、誰も間違っていないから誰にも何も言えないでいる。それでも口を開いてみたいと思った。欠損しないことを信じる、信じることはとても難しい。やったことないことをしようと思って、その難しさに取り組んでいるというだけの話。

ド偶数だと不平を漏らして1年経って、素数が回ってくる。その次の素数は少し遠いな。

 

美しい歌を聴いている。どこまでも走ってゆけるような、この曲を聞くたびにパライソという言葉を思う。色と光に塗れて、ただ美しさが加速して、ぶつけられた周波で相殺された気配だけの言葉の意味はまるごと無視して、その内容を知らないで感じるパライソ。でも美しいことだけは絶対に覆らない。

その夏にいつもわたしはいない、でもわたしは何度でもその夏に出会うことができる。美しさの基準はずっとその鼻筋だった、だったのに。眩しいものを他にも知ってしまった。佇まいを美しいと思う。嘘みたいな夢のとどめに忘れてきた。

わかったことは、わたしは美しいものを摂取していないとおかしくなってしまうということと、おかしさを宥められる美しいものはそう多くないということ。美しいひと、という形容の重量。
他のひとがどう感じるかなんて一切関係なくて、わたしにとって美しいことが大切で、それが貴さで、ああ、貴重っていい言葉ですね。

 

総ての季節を欠かさず過ごしたい。暑さも寒さも総て身体に積もっている。この身体に全部ある、体験をした身体を保有したくて縫うように生きている。
何も留め置けないから、そういうことをちゃんと知ってしまっているから、総てこの身体を通ったという事実だけ、自分のために。

美しいものを身体に流し込んで自分の骨として、だからひとりでも生きてゆける。その実感をちゃんといま、手元に置いている。絶対に大丈夫、美しいものを美しいと思えるうちは生きてゆける。それを美しいと思えなくなったら死のうってずっと前から決めている指標があって、少なくともまだ今日を生きてゆける。孤高で豪華にひとりで立って、眠って起きたらサーティーワンにアイスクリームを食べに行く予定。

最近建ったタワマンで月が見えない

 

書いたら大体収まる。昔からそう。
よく覚えてないけど涙がぼたぼたぼたぼた落ちてどうしようもないとき、携帯端末やポメラにひたすら文章を打っていた記憶がある。内容はどうでもよくって吐き出してることが大事。そのくせがずっと直らない、ここは夜泣きの集積ということなんですね。

 

 

お風呂のなかで「足場がない」という言葉について考えて、このまま浴室の人魚になれたらいいと思った。狭い湯船、完結する世界、わたしには想像力がある。熱くてすぐにあがった。わたしには脚があって、いくらでもこの世界を歩くことが出来て、今日は膝を曲げてリズムを取った、人魚には出来ないことをした。さかなのみんなにはひみつだよ。

 

遊びに来たときに豆電球の音楽を流したのは、遊びに来たひととのことを悪い思い出にしないという意志でもあった。好きな音楽にたくさんたくさんの思い出をつけて聴けなくしてきた、10年以上聴いてきたそれを流したのはやっぱり覚悟で、自分だけに付加を掛けた。

些細だと笑うだろうか、わたしはいつもそんなふうに自分の過去や生活を賭けている。リズムを取りながら思い出していた、ゼラチンを溶かした夏。
夏至も過ぎて本当に夏、わたしは夏至が好き。今年は英語でなんていうかを辞書で調べた、summer sol_……もう忘れた。ソリティアみたいな感じのスペル。サマー・ソルジャーを連想した。

 

 

美容院のシャンプーの匂いがする。

髪を切るしゃくしゃくという音が好きで、「やっぱりボブにしちゃいませんか」と言ってみたら「また話が変わった!」と笑われた。髪を切り始めるまでにも30分弱もああだこうだと話しているのに、あの音を聞くと気持ちよくなってしまう。今回は自分にしては短いスパンで髪を切りに行った。とにかくリセットしたかった、死んだ細胞を身体から剥ぎたかった。

会計のとき、昨日で17周年だったんだよね、とキューピーマスコットを渡された。キーホルダーが通してあって、17thと油性ペンで書かれている。突然のプレゼント、嬉しかった。

 

 

全部嫌になって真夜中に家を飛び出して電車に乗ったら、目的地までの終電はもうなくって、その手前で降ろされた。目的地といっても目的は特になかったから、貨物電車しか走らない線路の横をずるずると歩いて過ごした。

夜中に道を歩くときに纏う、胡散臭いイメージがわりと好き。感覚が開いてギラついて感じられるようなあれ。ひとつひとつの気配に身体中の神経が向く。曲がり角や通過する車に向くとても静かで深度の高い感覚。少し気を張るだけでああなのだから、殺意のようなものはもっと静かで鋭くて一瞬で奥まで届くんだと思う。

「今から会いに行こうか」なんて、まずは然るべきひとに言われてみたくて、段取りが違うし何もかも違う。断る一択。いつも会いに行く側で、迎えに来てもらったことも送ってもらったこともない。それでこうやって歩いてる、わたしはどうやったって尖っていられる。

 

 

行動しか信じないなんて極端なことは言わない、血が通じているならわたしはそれを信じるよ。でも行動しない免罪符にはならない。
ああそれと、汚い海には寄らないようにした。「また来年」と言って手を振ったっきり。きっと忘れている。「きっと憂いてゆく/気も振れてゆく」。

夏物の薄手のパジャマをおろしたからきっとわたしは大丈夫。紺色でね、肌触りがいいんだよ、毛布の内側で眠る。

僕だけは雨を嫌わない


インターネットに広がる自分を、自分の立つ足場をちまちまと解体して過ごしている。どれも脆弱だから、どこにも頼らなくていいようにたくさん設けたのに。目の前にあなたがいるのならわたしは喜んでそこに飛ぶけれど姿も見えないし。ただただ動けない。

でもまだバラせると思う、あんまり性に合わないししたくないことなのだけどし始めたら何も感じなくなってしまった。現れた的を淡々と射るように殺しを進めたがる指がいる。全部壊れれば? わたしが好んでいるものがどれだけ形骸化したものなのかを思い知ったらいいんじゃないの?

こういう行為をするひとがいるから形骸化するんだよ、とも思う。自分のなりたくないものになっている気がする、自分の信じたいものを自分で壊してゆく。

 

それでも美しいものに美しいと発作のように口にする自分を殺してしまったのは、もう開く口がない。

自分の見た美しいものの話をするのが好きだ。感情が立ち昇る手前の、動いた心を観測するのが好きだ。そういったものの話をしているときの自分は活き活きとしているような気がする。
それさえ気に食わないと言われたら、嘘だと言われたら、静かに脈拍をさげてゆくしかない。

 

集め続けたポストカードもようやく整理した。新宿の世界堂で悩みに悩んで買ってきたファイルに収めながら、10年以上前に行った展示名なんかもぱっと浮かぶものだなと思った。初めて森美術館に行ったのは2007年のル・コルビジェ展。

髪も切った。汚いものをこの身体から遠ざけたくて、もっとザクザク切るとかキツくパーマを当てるとかブリーチするとか考えたけれど、「外側は傷んでいるけれど内側の髪綺麗だよ、残しておいたらどんな風にでも後から遊べるよ」、褒められて嬉しかったから。
少しだけウルフのシルエット、丁寧にストレートアイロンを当ててたくさんの艶を出してさらさらに仕上げてくれた。似合わないとわかっていながら、量もばさばさ減らしてもらって、夏を涼しく過ごすことに振った。


そんな風に断つことばかりしているから思考も感情も曖昧で何もない。いけないことをする算段を立てる。輪郭さえも曖昧だ、形骸化しているのは、あるいはわたしなのかもしれない。恥ずかしいね。

わたししかわたしじゃない、わたしの周りはわたしじゃない。

 

 

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来月から以前よりも少し疲れるところで始めることになった、1年以上かけて確認と修正を繰り返してかたちにしてきた総ては台無しになっていた。望まなくても壊すのは簡単だ。休んでいるのにちっとも回復しないね、状態異常みたいだねって言われたのを思い出している。毒が全身に回りきっている。

わたしは頑丈だから壊れない。ここまでだって壊れずにやってきた。わたしを壊すのはわたしだけ。


全部自分の責任だ。いつだって、なんだって、傷つくのは自分が悪いからだ、傷つくような造りをしていることが悪い。そもそも傷ついていいほど高尚なにんげんだった? やっぱり自分の意見や感情はないほうがいい。

理不尽も自分のせい。運が悪いのも自分のせい。わたくしの身に降りかかることに関してはきっと全部そうだ。わたしが悪い、わたしが至らない。酷いと声を上げても言っても取り合われない、わたしの思考や気持ちには耳を傾ける価値がない。不慣れに発露させた怒りだって無駄だ、やっぱりこれはいらないものなのだ。

何をしたって否定される気がして怖い。わたしが悪いから否定される。


誰も抱き締めてくれないから自分で自分を抱いている。いつも膝ばかりが抱き締められていて、肩が可哀相だと思う。本当はあなたに抱き締めて欲しい。あなたにしか抱き締められたくない。

 

素敵なねじれのひとつも踊れないから恥ずかしい。公開するだけまた責められる種にしかならない。それでも書くのは、書かないと書けなくなることがわかっているから。

それでももうどこにも自分がいる気がしない。それでも自分を口にすると咎められて笑われるだけだ、また抽象的な言葉で否定される、怖い。だけど黙るのは癪だよねっていう細ってコケた意地か、そうでないならただの癖、っていうか癖だな、ただの癖で特に何もない散文をこうやって書いている。

何度書いても冷たくて無機質な文章になる、この記事だって何回書こうとした果てのものかよくわからない。でも何回もこうなるってことは一回これを吐ききっておかないといけないのだと思う。

 

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明日は満月、日を追うのが憂鬱だ、こんなに完全数が疎ましいのは本当に初めて。いつまでもこの土日でカレンダーがとどまったらいい。ゲームボーイアドバンスのソフトを買った。ラブホテルの隙間を抜けて美しい豆電球の連なりを誰よりも近くで。

(not) my cup of tea


目に映る総てが暗喩、お馴染みの刃物と軟膏、反転の庭。
線をまたげば取り返しつかなくなるってよく知っている。
あなたには理解できてないんじゃないかって不安になる。

言葉で説明できたらわかった気になれるというか、言葉で説明できることこそが理解すなわち理を解すことと言い換えてきたんじゃないかって疑惑。
有史以来たくさんのみんなたちの興味の対象として感情があって、感情に言葉をあてようあてようって結果としてなんとなく理解した気になって。理解した気になっただけだということだけ都合よく忘れてる。
お前らの中に水はない。
真似ごとなんてして気色悪い。
半端に肉に血なんて通して身の毛がよだつ。
金属みたいに素敵でもないし、直視すると頭痛が出るからずっとこうしてる。

心臓を動かしてそれっぽいことして、かわいい、かわいいね。
吐瀉物の欠片さえ渡したくない、卑猥で矮小で総てのなまものたち。
反吐が出る。

不快にするもの総てをどけてくれ、心底気持ち悪いんだ、そんな精神でわたしに触らないでくれ。
とにかくどけてくれ、さもなくばわたしをどうにかしてくれ。
何度でも自分をどうにかした、裁いてきた、真似ごとなんてしてつくづく気色が悪い。
正気にかえると鳥肌が止まらなくなる、ネガポジの視界、よく知っている。頭が痛い。

誰にも触らないで障らないでひとりで生きて儚げな風情で仕舞いたい。誰も彼も注視すると眼がどろどろに融けて眼窩から流れ出す。
こんな怖い場所でどうやって生きてきたの?

未来なんてどこにもない、「愛した未来」なんて過去形だけがぐちゃぐちゃになって腐臭を放っている、成れの果て、よく見える。
それでも腐敗して融解して、その果てにひとひら残るものがあったら美しいよね。
何も残らなくても美しいよね。いらない、捨てる。

ここに何もないってよくわかる。
いま、ここにあるものが総て。何もない。
積んでいけたら素敵だけどね、何もなくたって美しいから。


今日はオールド・イングリッシュ・シープドッグの子犬に触った。断尾されていなくて、撫でる指を甘えるときのにんげんのように甘く噛む不思議ないぬだった。
その手触り、細くてうねるふわふわの毛の感触、いまここにあるのはそれだけ。