書いたら大体収まる。昔からそう。
よく覚えてないけど涙がぼたぼたぼたぼた落ちてどうしようもないとき、携帯端末やポメラにひたすら文章を打っていた記憶がある。内容はどうでもよくって吐き出してることが大事。そのくせがずっと直らない、ここは夜泣きの集積ということなんですね。
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お風呂のなかで「足場がない」という言葉について考えて、このまま浴室の人魚になれたらいいと思った。狭い湯船、完結する世界、わたしには想像力がある。熱くてすぐにあがった。わたしには脚があって、いくらでもこの世界を歩くことが出来て、今日は膝を曲げてリズムを取った、人魚には出来ないことをした。さかなのみんなにはひみつだよ。
遊びに来たときに豆電球の音楽を流したのは、遊びに来たひととのことを悪い思い出にしないという意志でもあった。好きな音楽にたくさんたくさんの思い出をつけて聴けなくしてきた、10年以上聴いてきたそれを流したのはやっぱり覚悟で、自分だけに付加を掛けた。
些細だと笑うだろうか、わたしはいつもそんなふうに自分の過去や生活を賭けている。リズムを取りながら思い出していた、ゼラチンを溶かした夏。
夏至も過ぎて本当に夏、わたしは夏至が好き。今年は英語でなんていうかを辞書で調べた、summer sol_……もう忘れた。ソリティアみたいな感じのスペル。サマー・ソルジャーを連想した。
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美容院のシャンプーの匂いがする。
髪を切るしゃくしゃくという音が好きで、「やっぱりボブにしちゃいませんか」と言ってみたら「また話が変わった!」と笑われた。髪を切り始めるまでにも30分弱もああだこうだと話しているのに、あの音を聞くと気持ちよくなってしまう。今回は自分にしては短いスパンで髪を切りに行った。とにかくリセットしたかった、死んだ細胞を身体から剥ぎたかった。
会計のとき、昨日で17周年だったんだよね、とキューピーマスコットを渡された。キーホルダーが通してあって、17thと油性ペンで書かれている。突然のプレゼント、嬉しかった。
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全部嫌になって真夜中に家を飛び出して電車に乗ったら、目的地までの終電はもうなくって、その手前で降ろされた。目的地といっても目的は特になかったから、貨物電車しか走らない線路の横をずるずると歩いて過ごした。
夜中に道を歩くときに纏う、胡散臭いイメージがわりと好き。感覚が開いてギラついて感じられるようなあれ。ひとつひとつの気配に身体中の神経が向く。曲がり角や通過する車に向くとても静かで深度の高い感覚。少し気を張るだけでああなのだから、殺意のようなものはもっと静かで鋭くて一瞬で奥まで届くんだと思う。
「今から会いに行こうか」なんて、まずは然るべきひとに言われてみたくて、段取りが違うし何もかも違う。断る一択。いつも会いに行く側で、迎えに来てもらったことも送ってもらったこともない。それでこうやって歩いてる、わたしはどうやったって尖っていられる。
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行動しか信じないなんて極端なことは言わない、血が通じているならわたしはそれを信じるよ。でも行動しない免罪符にはならない。
ああそれと、汚い海には寄らないようにした。「また来年」と言って手を振ったっきり。きっと忘れている。「きっと憂いてゆく/気も振れてゆく」。
夏物の薄手のパジャマをおろしたからきっとわたしは大丈夫。紺色でね、肌触りがいいんだよ、毛布の内側で眠る。