だって泣いたらまるで哀しいことみたいじゃん


お風呂の中で好きな漫画を読み、髪を洗い、湯上がりにタオルで水気を拭き取っている途中、その一点まではまったく穏やかな心持ちだった。それなのにふっと嫌気がさして、ああいやだ、と拭う気持ちでブログの投稿画面を立ち上げる。27時前。なるほどね。


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自分のことを卑怯だと思うのは終わることを想定しながら何かを始めるときなので、ひとと交流を持つときはこれだっていつか終わるのだなあと思うようになった。それはここ数年の話だ。さすがに今更思春期の頃のやりくちを思い出すのは、ちょっと面倒臭い。
そんなわけで、言い訳がすぎる。予め、そうだ、あらかじめってこういう字を書くんだったね、では予め予防線を張るなんていうのは頭痛が痛いみたいなものなんだろう。何の話だっけ、言い訳がすぎるって話だ。一行目に書いておいてよかった。予防線を張っておく。「楽しくなくなったらいつでも離れていいよ」みたいに。元々依存的な気質があるので、それはお互いのためでもある。隙を見計らっては何か/誰かに依存したりされたりすることは双方に傷を作るだけで、甘い時間が終われば精神の一部が腐ってゆくということを知ってしまった。だから、離れて欲しいと思う。そう、未だに自分から手を離すことが苦手だ(そしてその前に手を離されることのほうが多いからね、わたしはそういう相手をきっと選んでいるのだと思う、そういう聡明なひとにしか興味が持てなさそうじゃあないか)。
幾人かのひとと縁が切れ、幾年を過ごし、また繋がったり断絶したままだったり、そういうことを繰り返しているうちに、異性同性恋愛友情を分けることをできなくなってしまっているような気がする。別に不便もしていないけれど。愛を貪る優越感みたいなものを恋しく思うときもあるけれどあれはきっと嗜好品だ。
いつでも好きだという気持ちの一点張りでひとから好かれたり嫌われたりしている気がする。なんでも好きなのは、なんにも好きじゃないのと、本当に同義?
ある聡明な女の子がいる。彼女はインターネッツで交流を持った相手に、それは同性のひとらしく、顔も知らないらしく、Skypeで話すくらいの仲らしいということしか知らないのだけれど、恋心を抱いているらしい。苦しげに吐き出す言葉に、ああ身に覚えがあるなと思った。君のこと好きだよー、とインターネッツの隅っこで偶然にも削除されていないレベルのこんなブログに書きつけておく。あのひりついた気持ちに対してわかるよなんて言えない、だけど、少しだけ、わかるよ。ぎゅっと服の裾を掴むことしかできないことが不甲斐ないけれど、こういうときに介入しようとするとおかしなことになることをわたしは充分よく知っている。


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今日は天気が良かった。青空の濃度はまだ春めいていたけれど、植物の緑の濃度はうんと濃くなっていて、これは雨が降ったら一斉に草いきれの匂いで街が埋まると思った。夏の気配を掴んで、そのせいでこんなに心が乱れているのかもしれない。梅が咲き、椿が咲き、桜が咲き、椿が落ち、その上に積もる桜を見る辺りから毎年おかしなことになってくる。去年はマシだった気がするけれど、今はまだ来ない夏が怖い。青くて眩しいところに放り出されたら正気でいられる自信がない。


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少し前の話になるけれど、2月末から3月頭に掛けて海外旅行に出かけた。フィンランドアイスランド。どちらも楽しかったけれど、アイスランドでオーロラを見た際の星空ってば。元より星空を見るのは好きで、2014年2015年と冬時の北海道に行って星空を眺めて感動していたのだけれど、今年は行かなかった。だから、綺麗な星空を見るならこの旅行でしかないだろうと思ったけれど、天気にあまり恵まれなかったり、そもそも深夜に出歩いたりすることがなかった。
そう、天候に恵まれていなかったので期待はしていなかったが、ツアーをやるということは星空くらいは見えるのだろうねえ、くらいの気持ちで、やっぱり初めから少し諦めつつ参加した。オーロラツアーは結構ずさんで、思いっきりツアーバスを路駐させてそのまま路上で星を見た。たまに来る対向車を除けば真っ暗だった。見上げたとき、あんまりに物凄い星空に何も言えなくなった(そういう言葉さえ陳腐に思えるときはなんて言ったらいいのだろう)。どうしてかわからないけれど、今まで生きてきた総てが、ここ、アイスランドのどこだかもわからない路上から見た星空に結実したと思った。涙がぼたぼた落ちたのには驚いた。もちろんどうしようもなく寒いのでありったけの防寒をしていったのだけれど、涙の暖かさはどうにもならない。体温と同じ温度であるはずの水が落ちてゆくのを感じていた。このまま死んでもひとつも後悔がないと思ったのに、結局帰ってきてしまった。生きている。2ヶ月前の記憶を辿って文章を書いている。
そう、オーロラも無事に見えた。オーロラと言われて思い描く色のついたものではなく、白くてひょろひょろした帯だった。それが空をたゆんたゆんと動くのはレースのカーテンみたいだったな。美しいだとか圧倒されたとかそういう感情がいまいち湧かなかった。理解ができないと思っていた。凄い、凄いということはわかった。お気に入りの音楽を聴きながら、借りた敷物の上に座り、どんどん身体が冷えてゆくのを確かに感じていた。このまま間違えて置いて行かれたら凍死をするだろう、それがいいなあと思ったのだけれど、ツアーバスはきちんとわたしのこともピックアップしてホテルへと戻った。その道中、ガイドさんが「lucky tonight!!」と意気揚々と口にした。単純な言葉だったけれど、だからこそ、そうだねと確かに思った。それに対してツアー客たちが「yeah!!」と返すというコールアンドレスポンスが起きて笑ったな。


その旅行の余韻も冷めやらぬこのゴールデンウィーク、今度はベトナムホーチミンへと行くことになった。元々は国内旅行がよかったのだけれど、ことごとく条件が合わず、結果的にベトナムがいちばん安上がりという結論に至った。国内旅行よりもお得な海外。あちらは30℃を平気で上回っているらしく、どうしたものかなあと頭を掻いている。


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話が前後するけれど、4月1日には、とびきりに美しいものを見た。その美しさはここ6年ほどわたしを留めつけている、こんなに美しいと感じ続けるなんて思っていなかった。6年前の夏、だらっとそのひとの紡いだ言葉を読み、美しいなあと打たれ、でもまさかここまで。桜の季節ということで、そして数年ぶりの催しだということで、特別な演出があることはわかっていたけれど、その瞬間にわたしの世界は更新された。この1ヶ月ずっとあの感覚から抜け出せずにいる。好きだ、好きだとぼやいてばかりいる。もっと圧倒して欲しい。星空でなければ、あの美しさか。自然美と人工美。


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更に話は遡る。2月、友人が亡くなった。事故だった、ということになっているが、ほとんど事故みたいなもの、簡単に言ってしまえば自殺だ。亡くなる直前に連絡を受けた。今まで有難うと言った旨のメールだ。電話の着信も入っていたけれど眠っていて取れなかった。自殺未遂常習犯だったので重く受け止めていなかったけれど、一応、一応、その日の夕方友人の家を訪れた。合鍵が隠してある場所も知っていたが、そういえば結んでいた紐がちぎれたとかで合鍵を外に出すことをやめていたことを思い出した。その子の家にはたびたびお世話になった、自分の家まで帰る終電がなくなったときや、あるいはなんとなく帰りたくなくなったとき。下北沢という立地はとても便利だったし、飽きなかった。その子が下北沢に引っ越す前からよく遊びに行っていた。そんなわけで前の家のときにわたしが持ち込んだパジャマも下北沢に一緒に引っ越していたので押しかけても困らない。大体朝までだらっと過ごし、たまに真面目に話し合うふりをし、とかく一緒に過ごした時間が長かった。合鍵がなくて家のなかに入れなかったので取り敢えず110で警察を呼んだ。数時間前に別のひとから通報があった、以上のことは何も教えてもらえなかった。無事かどうかも。警察と連絡を取ろうにもそれ以上のことは何も伝えてもらえないので、逆にご家族の方にわたしの携帯の番号を伝えてもらった。お母様とはお会いしたことがあった。程なくして知らない番号からショートメールが入っていて、それはお母様で、訃報だった。葬儀には出られなかったけれど四十九日に行った。そのために礼服を買い、数時間掛けて田舎まで行った。とにかく寒かったことを覚えている。その子の周りには情緒が不安定な子が多かったので、わたしは絶対に弱音を吐かないと決めていた。だって、自殺で友人失うの、初めてじゃないし。少し慣れちゃったし。そんなわけでフォローに回りまくって、結局いまに至るまで泣けていない。いまこの記事を打ちながら泣きたくなったけれど、ブログを書こうと思い立った時点で泣きたかったのでよくわからない。その子は4月1日の美しい景色を見ることを楽しみにしていたな。でもその子が美しいものを好きになるより前から、わたしはその美しいものを好きだった。だからその子に介入させない、感傷で美化したりしない。そんなことしなくても美しいからそれが好きなんだもん。それでいい。わたしは酷薄だ、酷薄じゃないと生きてゆけない。


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書き始めたら止まらなくなってしまったけれど、それは単純に近況をまとめていっぱい書いたからだろう。誰かが読んでいるということをまるで意識していないのでもちろん読み返していない。どれだけ文章として劣っていようが構うものか。
こんな夜に切り落としてしまわないと、ずっとついて回る気がしたんだよ。



ところで、わたしはこんな冗長な言葉で日記を綴るにんげんではなかったはずなのに、いつからこうなってしまったのだろうね。いや、悪いことじゃないんだ、いいのだけれど。面白いね。