星撃つ間に映える名に

 

美しいと感じられるものを探し続けて出会うという作業が生きるということだ。美しさを追い求めること、それを浴びて心を震わせること。美しさがいちばんの定規でその定規をあてることがわたしの礼儀。美しいものを美しいと思えない心になってしまった日には死んでやろうってずっと前から思っている。それで間違っていないことを確認して再度首肯した。美しいものを知っている、もっといい席で見たい。そうやって美しいものを追い尽くすのがきっとわたしの人生なのだ。

だから、ゆえに、孤独であり続ける覚悟をちゃんとしよう、と言葉にしておこうと思ったのだ。美しさと向き合うとき、そこにいるのは無防備な自分だけ。美しいものにただ眼差しを向けること、わたしは実態を持たない眼差し、いてもいなくても大差がない。そういう透明な意識、美しさを感じては苛烈に尖る心。大切なのはこういったものだ。

心や血を通わせていって埋めてゆくような孤独は、だから、一生消えないのだと思う。美しさと対峙するのは孤独なことだ。

 

わたしの背骨を支える美しいものもの。

どんな酷く見えるものでも、誰が何と言おうと、わたしが美しいと思ったものは絶対的にわたしにとって美しい。美しさには誰も何も口出しができない、美しくないと説得することは野暮なのだ。わたしはとても正しくない、誤っている、早く失せるがいいよ、いいのかもしれないよ、それでもわたしの美しさは正しい。美しさを肯定しろなんていう同等の野暮はしないから、どうか放っておいてくれ。

 

美しいと思えるものを増やすというのは本当に怖いことだよ、自分の身体を知らぬ異物に浸すようなものだから。それでも心が動いたならそれを恐れない、何を美しいと思いたいのかさえわたしが決めてきた。動いた心を無視することなんてできない、そんな風に切り落としたらわたしには何も残らない。

 

美しいものを生み出せるかと言えば自信がないというか固執するほどの興味がない、それが誰かにとって美しいかどうかはわたしの決める範疇ではないからだ。他のひとの感覚はわからない、わからないことばかりなのだ。だから惹かれる。もっと見せて欲しい、そのために前髪を引っ掴んで顔を寄せたい。横暴、横からの暴力。ああ、それがいいね。いつだって唐突に殴られるように出会うのだ、美しさは澄ました顔で無防備なわたしに暴力をする。

 

ねえ、わたしには言葉がありますか。

 

わかったふりなんてしてない、わかってないことばかりで、だから美しさは失墜しない。

 

 

 

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記憶のなかのあなたがスミノフの瓶を片手に笑っているのは、私たちが会うのはいつも高円寺だったからだ。
飲み切れなかったスミノフを傾けながら、夜の公園であなたは歌いながら少し身体を揺らして踊る。駅に向かう人々のことさえ気に留めず、昼間に煮てきたのだというカボチャをタッパーから出して「食べる?」とこちらに寄越した。どうしてそんなものを持っているのだろうと思いながら口に入れる、滑らかな肉を舌で圧し潰すと出汁と甘みで頬が緩んだ。スミノフを飲み切れないことも残りを公園で飲むこともきっと織り込み済みで、こんなつまみを作ってきたのだろうなと思う。ねえ、このあとどこにご飯に行こうか、汚いちゃんぽん屋さんとかどうかな。背を向けて踊るあなたは話しかけられていることに気づいていない。その揺れる肩を見るのが好きだから私も気に留めない。この坂道の下で、私たちはいつまでも月とミラーボールを取り違え続けるのだと思った。

 

 

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失墜しない美しさたち、美しさたちを失墜させないわたくしの心。この心ひとつで世界の総てと戦うのがわたしというにんげんで、心があれば論理も倫理も輪廻も物理法則も飛び越えてゆける。心の限りがこの世界。だからもっと柔らかくあって。誰に攻撃されたとしても、柔らかいものをちゃんと守るよ。迂闊なものものをぶん殴って笑う。そういう笑顔って美しいものな気がする、あんまり見たことないけれど。ノールックで為せるのは対象が定かだからで、その背筋はやっぱり美しいものに入るんじゃないかな。

 

 

逆説を瞼にまぶすためにこの春をゆこうかしら。

睫毛を桜の色に染めた土曜日。不慣れな住宅地を桜を探しながら歩いたら、とびきり好きな写真が撮影された場所を偶然見つけたので今日は良い日だと思った。眼前に、双肩に、星と圧が降り注いで指先を結んだ。孤独であり続ける奈落に佇むわたくしは亡霊、眼差し、肉のない水色。