夏のせいにしておけばいいって今どきダサくないとも思うんだけど


言葉が全然、形になって出てゆかない。
文章打とうとしても、ちっとも納得のゆく形状をなさない。なにか気持ち悪いものにしか見えない、追い立てられてせっつかされて無理やり喋っているような、そういうものにしか見えない。まとめてゴミ箱にダンク。ダンク、ダンク、ダンク。面白くないダジャレまで言ってしまう始末だ。

とにかく苦しくて仕方がない。最近本当に、にっちもさっちも。苦しい苦しいって訴えたい。訴えたいんだけれど、そんなもの訴えたところでどうするっていうんだ。それこそ仕方がない。そんなことわかってる。もう思春期は超えて、苦しさを訴えることで得るものも失うのもなんとなく学習して、ひとりで処理をできるようになったりもした。訴える必要がなくなる。それでうまくやっているし、たまにやりきれなくなったらTwitterにでも「辛い」とひとこと書けば収まるものなんだ、こんなものは。
なのにどうして今日、いま、今回、こんなにも。

大きな声で訴えたい。苦しい、苦しい、苦しいなあ。なんだかうまく、ゆかないなあ。夏だからかしらん。夏はね、そういう季節だよね。



友人が、わたしとの終わりを見てしまうのだと言った。シュミレートしてしまうのだと言った。わたしは結構ショックを受けながら、彼女のシュミレートがてんで的はずれなので拍子抜けしてしまった。ショックもぷしゅーっと抜けたくらいだ。
でも、よく考えてみなくたって、わたしは初めから終わりを見ていた。仲良くなる前から、この子と仲良くなるような気がすると直感したときから、破綻する瞬間がいつ来てもいいように、自衛をしたり、していなかったっけ。
喧嘩したわけでもなんでもない。お互い、夏にアテられてしまったりしている。



夏はどうにも、色々なものが剥き出しになる、知覚過敏の季節だから。

わたしは結構夏が好きで、死にたいなあとか早く気を違えたいなあと思いながら、この季節を、茫漠たるやるせなさを、ずっと待っている。いざ来てみると、こんななっちゃったりもするんだけど、これも含めて、待っている。抱きしめている。



Twitterだとかに書きつけたら、まるで誰かに訴えているみたいじゃないか。でも、この感情は「訴えるようにして喚き散らしたい」としか言いようがなくて、誰もみていないであろうこのブログは都合がいいなあと思った。誰か読んでいるのだろうか、ってこの間も書いたっけ。
そう、確か前回はおさかなを飼いましたって記事を書いた。相変わらずおさかなは枕元でたゆんたゆんと泳いでいる。
そういえば先月誕生日だった、28日。未だに日付が変わる瞬間は、誕生日がくる瞬間はガールとタイトルに入っている曲を聴いています、このブログを1日3回とか更新していた頃から変わらない。もうガールっていう歳でもないなって数年前から気づいているんだけど、同じことを毎年続けるっていう簡単なことがわりと楽しいんだよね。


変わらないなあ、そんな気がする。きちんと変わったでしょって示したいし、示してきたつもりだったんだけど。こうやって言葉にしてしまうと果てしなく、変わらない感じがする。書き方が変わっただけ。


手を変え品を変えって言葉に敏感になったのはYOMOYAのせいだよ、はかりごとしよう。



今日も音楽を聴いています。別に、それで、まあいいじゃんって感じだよ。オッケー、愛してる。