きおくのしくみ

 

友人はどうやらわたしの記憶力の低さを知らないまま今に至っているらしい。へんな感じ。

日頃の会話では「覚えてないや」「なんの話だっけ」「この話前もしたっけ」、そんな言葉ばかり使っている。
しばしば呆れられるがどうせ直らないので謝らない。楽しい話は何度したってよいよね!って付き合わせていることだけは申し訳なく思うけど。

 

 

多かれ少なかれ誰でもそうだと思うけれど、大切なことしか覚えていられない。先の友人もきっと同じだと思う。
差異があるとすれば、「記覚しておいた方が便利だろうな」と思っているところだろうか。

「これ好きだよね」「これやりたいって言ったよね」、そういういたずらを仕掛けてみるのは好きだ。
あるいは「これ嫌いだよね」「これ嫌だって言ったよね」、飲める範囲であればさらりとかわしたい。

好きなひとの笑う顔が見たいから記憶する。好きなひとと上手く回ってゆきたいから記憶する。
わたしの記憶はそのためにあるし、そのためにしか記憶できない。

 

さて、友人は記憶を極端に不得手としている。おおよそ3年ほど前、「あなたの外付HDDになるよ」と言った。「なるよ」というと殊勝に響くが、実際のところ望むまでもなくそうなってしまうだろうとわかった。

 

まあいいや、一旦コレクターを挟んでおきましょう。

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わかる。いまここに立っているという事実以外は些事という立場、わかる。
一方で、その立ち姿を支える筋肉のつき方を、骨格のありようを、呼吸の速度を、そういうものに対する興味もまたとめどない。

あなたのことを知りたい。誕生日を、血液型を、煙草の銘柄を、MBTIの結果を、今日聴いた音楽を、今日まで聴いてきた音楽を。その両目に何をうつしたの、視力の左右差はどれくらい、好きな季節は何、どんな記憶を持っているの知りたい。教えて。

そして同じ煙草を吸ってみたり、同じ音楽を聴いてみたりする。勝手に想像する。これを聴きながらあなたが歩いた時間帯を、抱いた気持ちを、肺に溜めた鬱屈を吐き出す瞬間の煙の味を。

当然だけどそんなトレースで何かがわかることはない、同じ気分になることなんてありえない。
それでも、こうやって疑似体験をする。自分の立ち姿が少しでも美しいものになったらという気持ち。ダイエットや筋トレに近いのかもしれない。

というか日々淘汰されゆく記憶の中にしゅうねく残り続けることによって、どれだけ大切な記憶なのかを自分に教わり続けている。

美しいもののことは忘れられない、というか美しさってそういうものだ。

 

だからね、そう、確かにわたしは記憶することで愛している。

わたしに強く記憶されているというのはそれだけで愛なのだと、あるいはわたしが愛をちゃんと受け取った証拠だとまず認識して欲しい。

ひとさまに差し向けられた愛だって、美しいと思えばきちんと記憶に残存する。
あるものは大事にしたい。それは大事にするべきだと身体がふるいにかけた結果だもの、どうやったって抗いきれない部分はあるし、抗う必要を強く感じない。

 

記憶の総量はどうあれ、とにかく最重要なのはいまここでしかない。

記憶の海は過去に溺れるために有してない。いまここに立ち続けるためのものなのだから、そんな腐海の水は脚が腐る前に全部抜くべき。どこに穴開ける? 水を入れたビニールを炙っても穴が開かなくて困る? 拳銃持って来いよ、あるいは穴開くまでゴムぱちぱちしろ甘えんな

 

昨日のあなたの発言よりも、今日のあなたの発言が大事だ。「今日のあなたがいちばん好き」、それがわたしのI love you。
過去の自分に勝って、今日も輝き続けていてね!ってプレッシャーを与えるためのスパイスくらいにしかならない、記憶なんてそんなもの。

 

そんなわけで、記憶するなんて何人分も請け負えるものではないのだ。覚えたいものしか覚えられない、意識だけでできることじゃない。記憶に残る舌使い空気を震わせておいてわたしの耳だけのせいってこともないでしょう。

 

それはそれとして、記憶が嫌いならわたしが代わりにやるよとは思う。

記憶なんて置き去りにして、なるたけ軽い身体で切りこんでゆくのが向いているひとというのは事実いるのだ。この目で見たからには信じるしかない。
それならその軽さと速さでいけるところまで行くべきだ、それが武器であり適性なら使わない手はない。そうあって欲しいって思う。

でも、その速さを維持するための軽さではどうにも弾かれてしまうときもあるだろうから、こうして違うタイプのにんげんがいるのだ。
わたしは記憶から引っ張りだした傾向と対策を、ほんの少しの重さを付加して、必要なときに差し出せるかもしれない。
それであなたはますます勝ちまくって無双したらいいと思う。まあわたしなんていなくても最強なんだけど。

 

結局わたしの記憶の話に終始してしまった。ずるずる書いて精査してないだらしなさ。その他はまた後日。携帯からだと改行が上手くできなくて気持ち悪い。