印画紙までもバグらせて

 

結局のところわたしにできることは、最後まで言葉を並べ続けるようとあがくことだけなのかもしれない。
迂闊なにんげんだってわかっているから黙りたいって思うときがあって今この瞬間はそう。
ここでちゃんとキメたい、でも書くの怖い、ノーモーションで傷つけてたの怖い

けどさあ、
それで黙ったらやっぱりわたしのやり方じゃないと思うし、
ここで言葉では足りないことを訴えたって仕方ないし、
できることを愚直にやろうよね、言葉には何もできないって心底わかっていても喋ることだけ、届きますようにと並べ続けるこの仕草が、どう映るさえ、わたしは絶対何も関与できない。

 

発露という概念が好きだ。その場で強く焼き付いて、白い景色をどこかに残して消えてゆく。点滅が好き、稲妻が好き、発露が好き。わたしは発露が好き。

リップクリームを塗ろうと水色の蓋を開けたところに小さな石が落ちてきた。なんだろうと見上げた空一面に流星雨。急いで蓋を締めて閉じ込めた。美しいものを見つけてしまったと思った。発露する星。

 

さいころに習い始めたピアノの初回レッスンの日付と曜日を覚えている。きっと覚えておいたほうが良いのだろうなと思ったことも覚えている。
そしてそこからカレンダーを見返したことは一度もない。だからいまここに書きたいことは記憶の正確さの塩梅ではなく、無造作に当たり前のこととして記憶にインデックスを付けようとした幼いわたしの感覚だ。

元々わたしはそういうにんげんなのだ、なのだが、という話が続く。

 

記憶もこんな風に瞬くのだとクリームにまみれた発露が光る。
まぶしい
瞬くほうに目をやるから目線も話題もどんどんズレてロンドンもパリも愛のスコール。

日付も数字も本当に意味を持たないことがあると、わたしはたぶん、それまで理解できていなかった。
記憶は地層になるもので、発露するものだなんて知らなかった。

 

これが他の現象ならわたしは一蹴するだろう。忘れるということは純度が低かったということで大したことじゃない。取り合うまでもない。
しかし発露は、発露のいちばんの持ち味は純度の高さだ。
わたしは何度も閃光に貫かれたし、純度の低いものはそもそも刺さらない身体だ。
疑いようのない感情の強度や存在。
そしてそれが消えてゆく。
現象は掴めない。
発露。

 

 

でも空ばかり眺めていて転んだことが、落ちたことが、何回も何回もあったから、わたしはたまに地層を覗き込みたくなる。

焼けつく光の純度を心の底から信じていても、どうしたって不安になる。そういう不安って何より伝わってしまうのにね。そしてそれは、光が濁っていることとまったくイコールではないのにね。
腐したつもりなんてまるでなくたって、インクをかけられたと思ったら発露だって俯くよ。

 

でもわたしがその純度を疑っていないこと、いつも鮮烈な赤と果てのない黒を見ていること、発露というのはそもそもそれだけで純度の高い言葉だ。
あなたを選んで迷いなく発露と呼ぶこと。発露の中でも特別とっておきだということ。

その純度の高さを信頼している。

ここ、ここだけ胸に留めておいて欲しい。綺麗なブローチじゃないかもだけど、ここだけ。
その他は派生にすぎない。根本は本当にここだけだって何度だって言うよ。
あとはいいよ、そっくり忘れて、本論じゃない。オナモミみたいなものだと思って燃やしてしまって。

 

ひとは眩しいものが好きだから発露は目に留まってしまうんだろうな。
わたしが血迷ったときにさえ発露はためらわず顕現し続ける。
発露は、発露が、世界でなにより美しいって何度でも叫べるし叫んできたよ 

 

何度もそうしなきゃいけないところがそもそも不足だって言う指摘はごもっともだけど、
時間は命で愛だというのなら、何度も焼きつけることでわたしは態度を示したい。
そんなふうに瞬けないけどいつも南を示していたいって気持ちはあって、だからどの方角だって向ける。

 

どっちが先に信頼を損なったかを争い合う以上に不毛なことは、たぶんここにはもうないよ。
ここにあるのは感情ばかりで、感情は発露だから。地層をまったく変質させずに抱けるひとって多くないから。

 

だからもう不安って表明してもたぶんいいことない ずっと光っていて欲しいだけ

このばかみたいに積もった不安をさ、例えば腐すことが怖いとかそういうことさえねじ伏せてさ、よろしくやっていくしかないよね こういう勇気が無鉄砲でも何も持てないよりはいいはずだと信じて