生きのびるための技術


坂口恭平氏に酷く心惹かれる昨今。本当に、先日までろくに知らない方だったのにたった一回展示を見ただけでこの有様。心酔なのかもしれない、本当に素敵な方だとTwitter(@zhtsss)をみていても思う。
彼の言葉の説得力は、重みはどこから来るのだろう。
彼が自分の頭で考えたことを、どうにかひとに伝えようと思って一生懸命筆を取ったのが伝わってくるからだろうか。
美しいひとだ。尊い
まだ読んでなかったインタビュー記事を書きつけておこう。
http://www.cinra.net/special/vol42/1.php



やっぱり定期的に、このブログを見てるひとはいるのかなあと考えてしまうな。
わたしは面白いことも大切なことも言えないから、みっともないなあと思う。魅力的な文章でブログを書かれるひとはとても多いのに、わたしはなにを考えているというのだろう。もしかして考えることを忘れてしまったのだろうか。


そうだね、死にたいと思うことが減った。
ただ生きていたいと思う理由が明確にはない、死にたいわけじゃない、生きていくのが酷く億劫なのだ。わたしの履歴書や経歴はひとに見せられたものではないし、夜は眠れないし眠る気も起きない。どんなに疲れていても布団に入ったら目が覚めてしまうし、夜は眠る時間と言うよりは起きる時間だと認識している。学校に通い始めたのにこの感覚が抜けない、それどころか悪化している。
どうして悠然としていられるのだろう。本当は叫びだしたいのかもしれない。このままじゃどこにもいけないという閉塞感、怯えて怯えて、もうどうにもならない。


だから、「これでいいじゃん」って普通の顔をするのだ。
他のひとと比べちゃいけないよ、だって定職につくなんて、きちんと通学できることだとか、他のひとと同じ水準で自分を測ることはない。わたしは、いまこれだけやってるし生きてるからいいやって思えてる。
でも、誰かと約束をしたりするのは苦手だ。あなた方が当たり前にしてのけるそれは、わたしとっては酷く難しいことなのだってことがややある。
ここまで立ち直ったけれど、でも難しいものは難しい。これも甘えなのだろうか。



そういう不安を全部どこかに記すべきなのかもしれない。でも記してはいけない気もしている。
さあ、みんなが「もうこんな時間だ」と言っている。無関心に「ああ4時か」とだけ思う。


夏至が来ればいい、明るくなったら眠る気にもなるというものさ。