天使を回せ!

 

それならわたしは空だって飛べて、ずっときっと楽しい。


初日の出を見た。海は満ちていてみんなが遠くにいたから砂浜に降りた、空いていたから。東に背を向けて西の空を仰ぐと満月を終えて折り返し始めた月が綺麗。ハッピー・オブ・ザ・マウンテン、ハッピーニューイヤー!
昔、「そんなの恰好いい・オブ・ザ・マウンテンじゃないですか!」と言ったら「自分で何言ってるかわかってないでしょ」と返されたけれど、わたくしのおおまかはそんな感じ。そんな塩梅の語彙で生きております。

と、年が明けてすぐに書いて放っておいた。もう1月も下旬だ。今年の手帳は今年に入ってから買ったのだけれどまだ真っ白のままで、終わっちゃうよ、1月。

 

 

 

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このあいだの週末は基本的には雨が降っていた。雪に変わるという報も見かけた気がするが結局のところ白いものはちらつかなかったように思う。最近は4時頃に一度目を覚ますことが多くて、雨の音がこめかみのあたりを薄く剥ぐ気配にずっと穿たれているように感じていた。

布団のなかで何時間でも眠っていられる。何かをしようって何が?となったので少年漫画を借りてきて読んでみたり、厚紙に触れたりをしている。
頭の宜しくないわたしだけれど、ちゃんとわかっている。世界がなんて言ったってなんて言われたって尽きることのない揺らめきを写し取り続けるよ。裏なんてない、ない裏を疑ったって仕方がない。水面はいつも綺麗だ、水たまりから海まであらゆる体積で存在していて、どれも揃って当然綺麗。

 


不意に言葉がよぎって、結構曖昧なニュアンス程度でしかなかったけれど、すぐに自分の臓器のように感じている詩集のうちの言葉だろうなとあたりをつけた。枕元に置いてあるそれを開いて数十秒で見つける。「みなもと」の冒頭の一節だった。
この詩人の命が消えるときのことを時折考える、いまこの世界に詩人が生きていること、眼差していること、それだけでわたしはとても安心できるのだ。こんな世界でも、どんな世界でも、詩人が見つめているというだけでほっとする。だから本当はずっと生きていて欲しい。あのひとの存在はわたしの世界の仕組みとして組み込まれているのだ。

 

どうしてもわかってしまうのだ、それは命術でもなく卜術でもなくただの観察と直感。わかってしまうというか、事実であるということ。疑ったところで事実は事実として覆りようがないという事実(この事実も君は疑う?)。疑心暗鬼に生きていたって仕方がない、にこにこしてようよ、屈託なく笑っていて。

 

冬用のパジャマをようやく買った、羊の模様のファンシーなもの。水色の布地に散りばめられた羊は雲みたいでかわいいなあと思う。昨日は28日、星の話を聞いていたら窓の向こうに白いものがぼたぼた落ちているのを見つけた。「雪ですね」と言う。外に出たら指の先隅々まで冷たいもので煮込んだような心地。しんとひえる、芯まで透き通ってかたくてつめたい冬の音楽を聴きたくて、ROSSOのバニラを耳に挿し込んでいた。

 

 

 

バニラ・アイスを口にして あの娘は言うのさ

あなたは私の天使なんだから どこに飛んでったっていいの

 

 

バニラはただ冷たくて硬質な、金属のような熱伝導率で骨がつんとするときの冬という気がする。白い吐息の湿り気が交じるとSHERBERTSの愛はいらないやサリーを聴きたくなる。
あとはやっぱりスムルースの冬色ガールが好き。徳田さんは天才の語感のひと。

 


あなたはわたしの天使。わたしはあなたの天使。そうやって考えて不安を抱きかかえながら空中ブランコに対峙する、行ったり来たりする軌道の弧を眺めて、地面と向こうにいる天使とどちらが自分を引く力が強いのかを考える。これは答えがないことだから、飛んでからじゃないとわからないことだから。それともあるいは既に飛んでいるのかもね。どこに飛んでったっていいの。今日は満月だしね、1月、ウルフムーン。地球が回るから地面に叩きつけられる仕組みなのだとしたって、木っ端微塵になるよりいいよね。