文節痛

 

2月2日に節分があるのは124年ぶりだという貼り紙を見た。日本の長寿記録保持者は存命で先月118歳になったそうだから、おそらく日本で生きて暮らすひと総てにとって、初めての2月2日の節分ということになるのだろう。豆は「魔滅」に通じるとのこと、画数が随分と増えるなあと思った。一粒をベランダに、もう一粒をベッドの上にサイコロを転がすように放ってから食べた。

こんなよしなしごとを話す相手がいないから、ずっとここが存在している。有益なことなんてない、ただの書きつける場としてもうそれなりに長いあいだ。花粉が飛び始めたのを感じる。こうなるまえに薬を飲み始めなくてはならなかったのに怠惰しちゃった。

 

 

 

:::

 

 


最近たびたび、ア、9mm聴きたい、という瞬間があったのを思い出して、1週間ぶりに乗った電車のなかで聴いていた。「天使の書いたシナリオ通り大事なものから灰になる」、とのこと。
この曲には少しだけ思い入れがあって、というのもバンドスコアを見ながらギターを練習したほとんど唯一の曲だからだ。ギターボーカルやりなよと言われたのでひと夏かけて練習したのだけれど、ついぞ一度も合わせないままだった。初めてギターを買ってすぐの夏の話。
天使はどんなシナリオを書いたんだろうね、わたしはこんな感じのシナリオを書いてるけど、どう? 「あなたは二度と孤独になれない いつか必ず分かる日が来るよ」「わたしはあなたの探し物」、あの頃、卓郎の歌詞をどんな気持ちで聴いていたっけ?

 


あの頃。あの頃といえば、身の回りはちょうど浮いた話をし始めた時期だった。恋と異性と興味を抱いて、久々に会う友人たちは「誰か紹介して」と挨拶のように言い合ったり、合同コンパなるものに行ったと報告をしてみたりしていた。だからわたしも軽い気持ちで返したのだ、「機会があったらわたしも連れて行って」と。理由はシンプル、行ったことがなかったから。

「もし機会があっても君だけは絶対に連れていきたくない」

友人は快活に笑った、「恥ずかしいから嫌だ」。ああ、そうだよね、と納得したのを覚えている。わたしは恥ずかしいにんげんらしい、誰かに紹介するのを躊躇うくらいには。

確かに当時のわたしは酷い有様で、服も髪型も化粧も趣味が悪く技術がなかった。けれど、そもそも当時は胡散臭い佇まいを保っていたいと思っていたから、そうやって言われることも構わなかった。でも、でもさあ。「恥ずかしいから嫌だよ」、一緒にいて恥ずかしいなと思いながらこうやってお茶を飲んでいるの?

こんなひとと付き合っていたら自分までおかしいと思われると言いつつ、それでも、彼女はきっとわたしのことを好きでいたのだと思う。でもそれは一緒にいて会話が楽しいという意味だ。他者の目を交えたときに、わたしは彼女を減点させてしまう存在であると、少なくとも彼女は判断した。致し方ない、わからなくない。でもわたし、そんな友人の顔に泥をかけるようなことはしないように努力するよ、って信頼されていなかったんだな、結局そういうことだ。

 

ずっとそういう気持ちが朧気に残っている、自分は一緒にいるひとの汚点になってしまう場面がひとよりも多いのだと思う。だから、自分を友人なり恋人なりに紹介してくれると素直に嬉しい。

彼女がわたしに向けたのは悪意ではなかったはずで、きっと好意で、でもあの瞬間わたしはそれを受け取れなかった。今に至るまでおそらくそういうことが起こり続けている。「相手の望む好き」を手渡すことについて、手渡されないことについて。いまわたしの手の内のあるものは一体なんだ?

 


つまらない話だな、文章の関節もめちゃくちゃで読みづらい。いい、誰が読むわけでもない。恥を重ねていこうよ、こんな毎日の記念にひとつ冷笑を。