グランドクロスとか言われたって

 

いちばん最後にいまこの行を書いている。とにかく不調の日だ、何が起きても哀しいらしい。横断歩道で待っているのにいつまでも車が停まってくれないからと泣きそうになったし、ようやく停まったので渡ろうという段になったら次は背中を丸めて小走りで会釈しながら渡っている自分が惨めに思えて泣けてきたし、買い物をしてポイントカードを出したのに使ってもらえずただカードの上にレシートとお釣りが置かれたのをみていよいよ泣いてしまって、ここまでくるとちょっと面白い。いいじゃんもっと見せてよ、という気分になってきたけれど、こうするとあの泣き虫はこちらを向いてくれなくなるからしらける。頭がおかしくなっているから文章もひどく崩れているし。

 

 

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同期の狭間で書いていた文章が消えている。欲張って端末間を移動しようとするからなのだけれど、結局まともな文章なんて書いた記憶がまるでない。winを開いたら日々変わるデスクトップ画面に「銀河の皆さんへアドバイス:自分より大きい隣人には近づきすぎないようにしましょう」と出ている。宇宙の写真。わたしはひとりの矮小な宇宙。誰にも近づきたくないし、誰のことだって愛している。

 


夜通し歩いているときにはそこらじゅうに金木犀の匂いが立ち込めているスポットがあって感動したものだけれど、あれから2週間近くたって、今となっては粗いアスファルトの隙間に挟まる細かいオレンジを踏みつけて歩いている。散り散りのオレンジ、いい匂いのしたオレンジはもうすっかり嗅覚に訴える具合が減っていてなんだかげんなりしてしまう。
気を滅入らせながらアスファルトの粗さを目測していると、武蔵野ワークスというブランドの金木犀の香水はとても再現度が高いと教えてくれる。練り香水もあるのだそうだ。香水類は好きだけれどあまり得意ではなくて、だけどここ数年ぼうやりずっと、ひとつ大事に使える練り香水が欲しい。

 

 


自分が本当に恥ずかしいにんげんであることについて考えている。誰かのことを気遣ったふりをしたり、どうして気遣うのかっていま辛いだろうとか勝手に想像をしていたりするし、挙句の果てに自分のことのように胸を痛めたりする。勝手に共鳴して変な音を立てている金属の音のような不気味さの塊としてにんげんであるという自覚。優しくしたいと思うのはつまり、自分が優しくされたかったとあの日だって泣き叫びたかったからなのだろうか。そうなのだとしたら心底醜いと思う。
好きなひとたちがみんな幸せでいて欲しい。そしてわたしのことなど忘れて欲しい。思い出すのはいつも若山牧水の歌で、「さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺は洞のやうに暗い」 。厚かましい自分が恥ずかしい、想像なんて下品で恥ずかしい、ひとの心なんてわかるわけがない、どうしてそんな図々しく、今日も生きていられるの?

 

淋しさ、とはなんだろうか。どうしてこんな淋しいことを考えてしまうのだろうか。「都は絶対幸せになれるよ」と柔らかい口調で彼は言った。本当に?
自分のことしか所有していないはずなのに、裏を返せば自分のことだけは所有せざるをえないはずなのに、自分というものを所有できている気がしない。濁流のような感情に身体は付き合わされていて泣き始めたら止まらない。他人の気持ちのひとつだってわかるはずがないのに、ではこの文章を書いている「わたし」とは誰のことなのでしょうか。気は確かだ、いつだって気は確かだ。

自分さえいなければなんだって上手く回る気がする。ひとを困らせることも傷つけることもない、いつだって迷惑しかかけられない。
ひとを苛立たせたり困らせたりすることが嫌いで困る。苛立ったり困らせたりすることが一度でもあったなら、その時点で自分は邪魔でしかだろうという向きにしか思考が流れなくなって結局、自分いないほうがよいよね、となってしまう。そのうち勝手に気まずくなって消えてしまう。どうにも極端らしくって、歪んでるのは、わかっているのだけれども。

 


などと考えていると、随分としんどそうじゃないかと彼女は柔らかいノックをして、視線を内から外へと逸らしてくれる。普段は白湯ばかり飲んでいるわたしを見て、今日くらいハーブティーを飲むといいよと引き出しからティーパックを出してきて、ジンジャーとレモングラス。香りのする温かい飲み物で胸が満ちる。

ふと思い立ってホロスコープを見に行ってみたら、ああこれ自分具合悪いわけだよねという雰囲気がバシバシと漂っている、らしい。自分では満足に読めないので専門家たちの意見をさらさらと眺めてみる。活動宮のひとは注意、と書いてあって、活動宮にばかり星を持っている自分はそれは苦しい時期よな、などと、こういうやり方で気を逸らすこともできるから、どうせなら知識は持っておいたほうがよい。低気圧が近いと頭が痛い、くらいの熱量で読むとよさそうだ。そういえば身体の周期的からしたって精神的に苦しくなる時期だし。それにしたって10惑星中7つが活動宮というピーキーな塩梅よ。


ぼろぼろに泣いていたのに、彼女が差し出したお茶を飲んだら思考がすっと静かになる。この女のことはどれだけ見つめてもよいのだ、なぜなら所有していることになっているから。女の泣き顔をうっとりと眺めて、女の言い分を適当に聞き、女の機嫌を取って、いい香りのするハンドクリームを擦り込んでやる。口には甘いものをふたつくらい放り込んでおいて、頭を撫でてやり、抱き締めてやる。いつの日かきちんと屠ってあげるから、そのときは宜しく舌の上でとろけてちょうだいね。
殺意と愛情が市松模様を為しているシーツをベッドに広げて女を転がす。シーツに彼女の体液が総てこぼれて大きな染みになるまでずっと、くるみ込んで離さないから、今夜もずっと、そうやってずっと。