散る桜に埋もれてゆく落ちた椿の花が好き

 

わたしは感情が好きだから強い感情で生活が破綻してもそれはそれで結構面白く生活を眼差してしまう節があるけれど、これは他のひとにとっては全然普通じゃないんだよなあということを考えている。途中でやめればよかったと言われたとき、そんな選択肢があったのかと驚いた。でも生活を回している身からしたら、たかが感情でぶっ壊されるなど面白くもないだろう。たかが感情。でもこれがわたしのいちばん大事なものだ。

意見をいくつか聞いて思ったけれど、結局わたしはわたしでしかなく、自分の知る限りの全貌を知る者はわたししかおらず、その像がぐにぐにに歪んでいるとしても、でもこの脳が壊れて歪んでいるのは今日にはじまったことではないから、畢竟、手前の脳で考えやがれというところだろう。

 


英語で最初に躓いたのはbe動詞だった。どうしてIとyouとitで変化するのか全く理解できず、納得ができない、わからないと泣いて先生に訴えたのを覚えている。先生は「気になるんだったら大学で勉強するとわかるよ」と言った、でもそれでは遅い。勉強をして、英語学に詳しいひとに話を聞いて、わからないなりに納得するまで15年ほど掛かった。

とにかく頭が悪い、一を知って一がわかればいい方で、全然間違った方向に伸びた軸にある百や千に飛躍することさえしばしばだ。「話を聞いていた?」聞いていた、聞いていたのだけれども。

こんなに頭が悪いのに、手前の脳で考えたことしか納得できないというのだから本当に困る。いつか頭が良くなりますように。ううん、別にいいや、わたしはこれでいいや。宜しくやってきた頭がここにあるもの、捨て置けない。
いつか傷が治るなんてどうしてそう思えるの?

 

1年以上ぶりの友人に会う、そして彼女の生んだ生後4ヶ月のひととおともだちになった。足癖がとても悪くてひたすらキックされる。ぶにぶにの手首。「あんたのこの辺りはやわらかくておいしそうだねえ」と声を掛けたら大はしゃぎするから、彼は両親に笑われていた。まだ移動の手段を持たない彼は、変わらない景色をどう思っているんだろう。


桜が咲く頃に会おうよ、と話していた友人に会う。何年か前の桜の時期には着物を着て公園に散歩に行ったけれど今日は雨だったし、ちょうど彼女の誕生日だからケーキをひとり2.5個も食べた。「人類って本当に不思議、みんなひとに興味を持ちすぎ」と話す彼女。彼女の同居人の誕生日をなんとなく聞いて笑った。

 

「この歳になると誰かに何か言われてもそんなに傷ついたりしなくなるけど、恋をしたり仲のいい子だったりとのことだと簡単に深い傷がついて、しかも癒えるのが遅くなってくるじゃない? だからさあ」

雨の公園を通ったらビニール傘にたくさんの桜の花びらが貼りついていて少しはにかんだ。