もっとよく私を知っているじゃない

 

聞き慣れた曲を聞いていたら歌詞が突然気にかかった。サビで高らかに歌い上げられる「XXだった」という過去形、過去形ってどういうことだろうと思っていたら曲が終わっていた。歌詞の語り手が今この瞬間に語れる過去を持つことと、自分が今ここに立っているのにも経緯があるということがうまく結べなくて、この瞬間に生じるものに過去形が必要あるのか、まだよくわからない。

 

 

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確信した。わたしの中にも火があって、それが揺れもせずぱちぱちと瞬いている。火をつけたら一気に燃え広がる、燻っていたものさえからりとして燃え移った。見て、この眼を。身体を。それを内包している、いいえされている? どっちでもいいけど精神を。わたしはここにいて、感じる限りがこの世界だ。

他者がいるから自分の輪郭が浮かび上がる、外に溶け出していってしまわないために他者が必要で、どうしたってずっとひとりでゆく以外ない。至極当然の帰結。ボディラインは変えられるけど鏡がなくては見ることもできない。

最初から最後までこの世界は心の限りで視野の限りで思考の限りで、頭を使うのをやめたら即暗転・縮小・お疲れさまでした。next timeのないsee youってなんか噛み合わないね、see youという音の軽やかさと齟齬がある感じがする。でも挨拶は軽薄であるべきだという持論があって、だからハローで始めたいってやっぱり思うよ。

 


この心で生きてゆく限り(心は移ろうものだから?そう仮定できるかどうかが?最大の論点である??なんて指摘はそれなりに筋が通っているだろう、それでもだけど)、絶対に平気なんだって思う。あなたがどこにいても何をしてても何もしていなくても構わなくて、信頼をされたくないと言うなら信頼さえすることなく、だってそんなヤワで野暮じゃないってたぶんわたしがいちばんよく知ってるし?

今日もどこかであるいはそこら中で、世界が冴え渡って水を澄ませている。澄んだ水に口をつけて、あなたはわたしの不純物。溶けてしまわないからずっと見ていられる。この身体に溶け落ちた世界たち、世界が染み出した身体たち、そのままのかたちで残る不純物、性質としては残んの月。

わたしの水は火を消さない。水の中で揺らめく火が、弾ける火花が、肌の内側を酷く焼きながら血を煮やしている。とにかくもっと頭を使おうよ、でも思考しながら走らないと、それは考えてるふりにしかならないと思う。

もっと遠くへ行かなくちゃ。誰もいなくていい、振り切ってでも自分の輪郭を目一杯使って遠くへ遠くへ運ばなくちゃ。わかるふりなんてしたくないし、わかるふりをするわたしにわかられたふりなんて誰にもして欲しくない。わからないままでいい、混沌の中を身体ひとつで掻き分けて代謝する。余すところなく肌の全部を使って、ひりつくここだ。
世界は二人乗りにできていないからひとりで縦横無尽に走り回る。すれ違うときに狭いと思わなかった、だからそのまますれ違ってまた離れてしまうんだけど、狭いところに籠るようなのはどうにも向いていないし、わたしは動き回りたい。そのあとのことはそのときの自分に任せるしかない、その場でやるしかない。全部やりたいやりたいこと全部。その軌跡だけが新宿にへばりつく吐瀉物みたいにきらきらするんだと思う。

わかる、わかるよ。見える、見えるよ。

わたしはもっとよくなれる、どうしてそう思うのかは酷く単純だけれどブレることなく理解し続けている。同時に反転する性質。最初からずっとそうで、不安定な波に揉まれたって0.00001mmたりとも動かず削られず不動に打ち立てられて消えない。誰もわたしのことは手懐けられない、誰かを手懐ける必要もない。牙を突き立てあって鰓蓋を開きあって骨の髄まで使い切る。今夜もミラーボールが回るよ、わたしだけのために回るんだよ。世界中のミラーボールに祝福されて眩しくなってしまって、その中央つまり世界の中央に鎮座して、わたくしは品の悪い猫のように喉を鳴らして眠るぺてんし犬

 

偶然なんだけど探していた言葉を見つけたよたった今

 

 

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インチキ和訳と好きな曲。

 

「ええ、これが愛。12月の終わり、しんとした夜つんとした星。月曜日から日曜日までここにいるの私。だってあなたが脆くって、それで私は弱くって」

 

 

「もしもあなたが落っこちそうになったって、私がきちんと捕まえる」