透過光としてわたしは糖蜜

 

いなくなることはできない、実際にここにいようといまいと。どうやっても併走してる。ラグランジュ点、わたしはあなたが大好きで、すかした態度でごまかすこともできない。ろりめく唇が上擦って転覆し続ける。言葉よりも肌感覚やひらめきや直感を信じている。あなたのそれも、自分のそれも。そういうものを信じるって根拠もまた肌感覚やひらめきや直感でしかない。さっきから「はだかんかく」と打つと「羽田感覚」って変換されて非常にくこくこしい。

感情や走り出したくなる熱やそれら総て総てがひとつも漏れることなくひとのかたちを作っている。あなたのかたちはわたしのとっておき、その不定形なところだとか、急に苛烈に光って目をつぶしてくるところとか。あなたは発露する迸る。掴めるわけがないんだから掴もうなんて考えることのほうがよっぽど無駄で、わたしはレフ板にでもなろうかな、そうだね、だから色白になりたいしもっと薄い身体になりたい。そうやってたまたま一緒に照らした世界の音を聴いて過ごしたいって思うよ。

 

わたしの身体は薄くあって当然だという意識がある、そうでないと持て余す。少しずつ削いでゆくなかでこれくらいで過ごしていた月日もあって、常にふらついていたし誰もかれもが怖かった。作品はいい、音楽は聴きたいときに流れてくれる、そういうもの以外の全部が怖くて、きっといまだって大きくは変わっていない、わたしの肉体は、精神は、いつだってわたし以外の誰のものでもない。

どこにでもいてここにいない、ここにいてどこにもいない。わたしは雨、水、土。自分を動物に例えるなら水母だと思っていた、海月ではなく水母。雨になって世界を優しく叩いて揺り起こしたい、湿度になって肺に忍び込みたい、おはようみんな、みんなの指先を優しく湿らせるためにわたしがいるんだよ。

 

御社たちに送るたくさんの封筒に水素水で切手を貼った。自分の指を、湿らせて。

 


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そんなことないと思っているけれどやっぱり止まっていたのだと一旦仮に認めるとして、それなら止まった分まで走ってもっと遠く届きたい。光のように素早くて水のように大きくて火のように危うく、ずっともっと遠く走ってとにかく突っ切って、そこの角どっちでもいいですとにかく行ってぶつかっても構わないで。大丈夫、どこを曲がったってわたしの行きたいところに着く見える知っている。怪我をしても腕くらい欠けてても着けばいい、着く頃には着いた気なんてしないくらいに次の場所が見える知っている。

尻尾や正体や文体を掴まれるようなへまはすんなよってこと。光になれ、もっと透徹した光に。テクスチュアなんて持たないで、官能実験の対象になってシャーレに載せられるなんてまっぴらごめんだもの。パラプレートにあげられてもめげないで、薄いカバーグラスなんて蹴り破って。

 


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ROSSOのバニラと筋肉少女帯の生きてあげようかなにおける空を見上げる行為の意味。ああ冬が来た、バニラ聴いたら冬が始まる。

 

自信というほど明瞭な輪郭ではないけれど、目線をすっと上げる浮力がなくならない。遠い目線で像を結ぶ。ずっと嬉しい、なんだか朧気にずっと嬉しいんだよ。嬉しい、嬉しいって言って抱きつきたい。

まあ見てなって、だってここからここはいいえどこまでだってわたくしの陣地。守るわけじゃない、ただわたしは奔走する。わたしも奔走する。光、くぐり抜けて臓腑まで全部光に晒した。明るい蜜で満たした身体を切り落とす、今日食べた追熟がいまいちなラフランスと違ってちゃんと甘いはず。掴んだら柔らかく指が入る肉だからそのまま手で割いて、汚れた手はテーブルクロスで拭う前に一度口に含んでね。床に頭をつけていて、見上げて笑うから肋骨が揺れる、あなたも知っているかたちの12組は今もちゃんと揃えてあって、だから今日も心臓は抜け落ちなかった。