情念は非定形だけれど現実だよ、否定する術がどこにもないしね。

 

ヤマト運輸」と入力する必要があったのに、液晶には「やまとうにゅ」と並んでいたのでデリートキーを長めに押して戻る。再度打ったらまた「やまとうにゅ」、もう一度打ってもまたうにゅってて、それがトドメでした。寝ててもできるタイピングができないのは終わってる。
できないことを数えたって仕方がない。3年以上かけたところでできないものはできない。

「ありがとうございます◎」
「◎ってなんなの?」
「ありがとうございます(絵文字)といったニュアンスでした、不快でしたら以後控えます。すみませんでした。」

 

 

旧暦の9月9日19日29日は「みくんち」と呼ばれるらしい。三十九日と書く、漢字四文字に4モーラなのが気に入った。みくんち。可愛い響き。旧暦の話はどうせ忘れてしまうので覚書をするなら今日がベスト、と思っていたら今日がその日らしい。風を切れって知念侑李もずっと歌ってる。あなたのトップスピードはどれくらい?

 

 

たまにさらさらの水のように経血が落ちる。浴槽から出たらぼやぼやしたドス赤い小さな塊がいくつか浮いていて、お湯を捨てる前に洗面器で掬って手慰み。不格好な出目金、ちぎれた胎児みたいなかたちをしたのを排水口に流した。さようなら、わたしの仔幼、ドス赤くて悪魔のようだった。

自分で知らずのうちに自傷されるのは堪えるのだと知った。どうせなら自傷しながらオカネでも貰うほうがまだずっとマシだと思う。オカネを汚いと思ったことがない、いつもキレイだ。わたしの手に落ちた時点で美しく使われる。血塗れの疑似体験をして嘘をついた夜、本当のことを言っても誰も救われないことは回転の悪い頭でもすぐわかった。なんて汚い血なんだろう。肌も舌も唇も、血色の感じられる部位の総てが嫌だ。
血のように巡る記憶がいちばん醜い。

 

 

でもこれまでのことが全部あってのわたしでしょう。醜くても呑気に砂漠で笑って花のようになりたい。

花のように生きられたら、空港のなかで生きる子供にチケットを。120秒で駆け抜けよう。

 

 

そんな風にはなれないのに、みんなたちのふりをしようとする。そのことについては謝れない。期待しないで欲しい。受容するふりをして自己陶酔してて貰うのは構わない、飽きた途端に殴るのはやめてほしいって思うだけ。最初は笑っていれば殴られないけど、一度殴られたらどうしてもどこか引き攣り始める。そうなると途端に殴られるようになるんだ。かたく結んで、誰にもほどかれずに済むように。
読まれずに捨てられてゆく手紙ですが、読む価値があるのかと言われれば返す言葉もありません。

このまま痩せていって空気と空気の隙間に挟まってそのままぱたんと畳まれたい。それで大きなホテルにあるようなぐるぐる回るドアのなかで出られなくなっているひとを体現する遊びを建物が朽ちるまで続けるよ。美しくない身体はダンクして、わたしはその鏡をいつも見ている。歪んだ反射光のズレをただ観測し続ける。