ポケットに気圧線

 

酷く素面で素敵に神経を剥き出しにさせられて電極に繋がれたあとで、その鼻筋に口に眼球のてらりに感動をし、ここに置いた心を思いながらしみじみと過ごして商店街の中心で眠った。うってつけのグラタンととっておきのかき氷を食べてまた眠り、公園で踊ってピザを食みコーラを飲んだ。平たく言うと少しばかり浮かれていて、ただその日を祝い尽くしていた。そうしてとめどない余韻のさなかでの話だった。あんまりに普通に笑いかけて、抱き締めるから。わたしはそこにも心を置いていた、無防備にも置いてしまった。一点に定めることでずっと守ってきたというのに。心という言葉を便利に使ってごめんなさい、本当は違う言葉で表現できる。なんにせ折れてはいけない汚してはいけない、どちらかというと骨に近いのかもしれない。わたくしの、背骨。溶け出してシーツがどろどろに濡れて、溶けた瞬間汚れに見えるのはどうしてなんだろうか。

 

細胞中がざわめいて、待っていましたと叫ぶように祈り続けた。打ちのめされているときに生ずるのは祈りなのだと思う。

 

 

無数の桜、抽象的なのにリアリティーのある大きな桜の絵をみた。かねてより楽しみにしていたダミアン・ハーストの個展。絵葉書を買った。ミュージアムショップではとても可愛いご祝儀袋が売っていて購入を悩んだ。脚を休めるためにお茶を飲んで時間哲学のことを少し知る、壁にかけられたニューロマンサー。表紙が格好いいというだけの理由で本棚に刺さっている一冊。

感性をぐあばりと開いて無防備になって覗き込む。絵を見る。生ずる心の動きだけが自分になった気がして、それが自分のあるべき姿に思えてよい。肉体は二の次だ。

 

二の次の肉体であなたに触れた、いちばんのあなたが触れた。触れたことのある肉体。