文字は僕を殺しにくる


何度だって折れそうな心を何時だって抱き締めて、壊れないように壊れないようにって育んで、慈しんで果てしなく水を注ぐ。そういう自己愛。

書いても書いても追いつかない、抜き去られて積もりに積もる劣等感。捌け口にしたくて書きはじめたのに、書けば書くほど突き放された。


自分の文章を愛している、愛しているのに肯定できない。糞みたいな文章ばっかり書き散らかして、そうやってもう10年くらいになるけど、いいものが、納得いくものが作れない。

形にすれば満たされるかと思って冊子を作った、いわゆる文芸同人誌。高校生の財布にしてはかなり綺麗な冊子を安く売った、全冊売れても赤字。
満たされなかった。自分の文章を肯定できない。そして、肯定されない。


抱き締めても指の隙間から抜け落ちそうな、塩梅を間違えたら締め潰してしまいそうな心だもの。
どうしたら報われるのかずっと考えてきた。きっと、あなたが思うより長く、深く。ああ、これが哀しき自己愛よ、考えてきた。


10年も文章書いてりゃ、そりゃあ多少は上手くなります。だってそれだけは努力してきたんだ。
英単語を覚えるより、公式を理解するより、そんなものは捨てた。学歴なんかいらないと思えた。文章を書きたかった。
だから、あなたより文章が上手くあることは、なけなしの僕のプライドを保つためのステータス。なのに。


いつだって敵わない。叶わない。僕はいつまでも亜流、二流三流。
ぶちのめされてきた。高校の文集を開いてはうちひしがれてきた。わたしの語彙も感性も、実に惨めなものだった。

努力しても超えられない壁は確かにあるよ、一杯いっぱいある。
簡単に言おう。
わたしは宮藤官九郎にも小林賢太郎にもなれない、アヒトイナザワにも桜井青にもなれない。なれないんだよ。


書けば書くだけ募る劣等感、それでも手段としてまだ書くことを選択している。
まるで馬鹿だ。
自分を抱き締めても、腕ごと体ごとガタガタと震えるから意味がない。自己愛なんて情けないもので、そうだこの程度のキャパシティだ。

渇望している、何を?他者を。いつもいつも許しを乞う、確認する。

ハロー、君は、僕を、愛してくれますか?
(できることなら僕より深く)(できないだろうけどね)(求めている)

書かなくちゃ、痩せなくちゃ、お金貯めなくちゃ。これはたぶん、強迫観念にほど近い。何に怯えてるんだ、手離せば楽になれるというのに。


書くことはライフワーク。生活は全部文章に還元するつもりで生きている。痛み、苦しみ、祈り、せめて文字に落としこませてくれ。死ぬのはそのあとだ。



世の中には、作ることでしか晴らされない感情を抱くひとがいるってきいた。
だとしたら僕はそれだ。
でもね、神様が酷なのは、念だけ植えつけて才をこれっぽちもくれなかったこと。


書かなきゃいられないのに、書くと本当に苦しくなるんだよ。
その応酬に疲弊し負けそうになる。

ねえ、ひとつでいいよ。核心的に納得のゆく、圧倒的にあなたに届く、そんな文章を書きたいんだよ。忘れられないようなものを。わたしのことなんか忘れ去ってくれて構わないから。
そんなことができないって絶望的に僕は気付いてる。僕は僕の文章であなたに関与できない。

仕方がないから喋る、笑う、会う。
結局忘れ去られないための手段を問わないのかと気付く。自嘲する。

なんてヒステリクなんだ。