遠ざかる木曜日の子ども

この3月は色々なところへ行ったような気がする。



まず、大阪へ行った。
夜行バスを降りてからまずドンキホーテでダラダラしていた。新宿かよってひとりで笑った。そのあとモーニングが食べたいとふらふら歩いていたら中崎町に出たので、クイーンでオムライスを食べた。あたたかいお店だったし、いい商店街だった。
午後にはずっと行きたかったアカイトリという心斎橋のココア専門店へ。そして雨崎と合流して水タバコ(フレーバーを覚えていないや、リキュールも入れてもらったけれどこちらも思い出せない)をぽこぽこと鳴らした。そして彼女をラブホテルに連れ込む。初対面のときと同じだなって笑った。ちょうど4年前。
3部屋くらい空いていたなか、迷わず404号室を選んだ、「not foundみたいでいいじゃないか」。そして朱さんと電話した。
浴室はやたら浅くて、なのに脚をのばしても余るぐらいにやたらと長くて、ああこの浴室はセックスするために作られているのだなあと思った。


翌日はだらだらとチェックアウトしたあと、たらたらと歩いてはがくれでうどんを食べた。同じビル内にアーミーショップがあったので眺めた。568082、レイモンド、「少し負けてもらえます?」、イタリア軍のセーラー服。ガタゴト揺られて伽奈泥庵へ。素敵な空間だった、大きな月の絵。大きな月の絵。


梅田で雨崎と別れて、望月に会った。初めて彼女と会った場所に行った、梅田スカイビル。日の入りがとても美しかった。
高いビルではありがちな「縁結び」的なものがここにもある。開ける鍵のないハートの形の錠前。4年前に望月と作った。
そのときの写真が載ってるブログ記事見つけた。これだね。
http://d.hatena.ne.jp/blackbrake/20090406/1238947181


当時、強風かなにかで自分たちの手で錠前をかけることができず、警備員の方に預けたことを思い出して、無数の錠前のなか、冗談半分で探してみたら見つかった。無数に、本当にギチギチの錠前のなかで、まさか見つけられるなんて思ってなかったから。


写真ではわからないけれど、錠前の上のU字の部分は錆びきっていて、確かに4年が経ったのだと、経ったのだね。わたしたちは生き延びたね、しっかりと生き延びたね。
「もう誰も死なない」そう思ったら嬉しくて涙が出た。そして望月に見送られながら金沢に向かった。


金沢では兼六園にゆき、21世紀美術館に行き、宇宙軒でご飯を食べたりして一泊。
21世紀美術館、ずっと前から行きたかったから嬉しい。ジェームス・タレルの展示が見たかったんだ。草間彌生の初期の作品なんかもあった。ウクレレも弾いた。お昼ごはんも食べたよ、美味しかった。


翌日は市場と小京都と呼ばれる場所に行って金沢エイトホールへ。路上で踊り食いにチャレンジしたりした。その日の夜行バスで東京に戻った。



また、次の週にはバリへ行った。
強風で飛行機が2・3時間飛ばなかった。シートも倒さずに待機していたので腹筋を痛めた。五十嵐隆が「バリで死にたい」っていうからどんなところだろうと思っていたけれど、チャーターカーのガイドさんがとても陽気な方だったので死にたいとか思う隙もなかった。「日曜日よりの使者」を一緒に熱唱した。
画像も少し上げたいと思ったのだけれど、ほとんど写真を取らなかった上に、携帯がいま手元にないからあげられないや。



ぷらぷらとどこかにいるのはやっぱり楽しい。大阪で2人に会えたこと、21美に行けたこと。慣れない海外。変な月の前半だった。


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さて、もう昼間のほうが長くなり始めるんだよね。
21日、今日は弟の誕生日。彼が成人する日。毎年春分の日は21日に当たることが多いのだけれど、今年は20日だったねえ。



日記らしい日記を、忘れる前にざっくりつけておきたかった。
なんだかんだ、大阪が忘れられない。そうだ、大阪ではピアッサー買ってピアスを開けた。変な位置になってしまったけれど、これはこれで。どうしようもなく大切なとき、忘れたくないと思ったから、初めて自分で開けた。自分にとってとても大切なことな気がするから書きつけておく。
それにしても珍妙な位置に開けてしまって、持て余すな。