君の誇りを汚すものから君を守っていたい

日付が変わってしまったが、25日は友人の誕生日だった。生きていれば28歳。2月の頭、自分の誕生日の前に亡くなった、あれは2016年だったから丸3年以上になったのか。

 

君の誕生日だなあと思って、そのあと祝えなかった2016年の誕生日のことを思った。四半世紀をギリギリ生きなかった君。喪失感には、慣れないけど、嘘だ少しずつ慣れてしまった。わたしは生きているので、生きてゆく以上は最適化を図らなくてはならない。

過剰な淋しがり屋で面倒なくらいのときもたくさんあった、でも一方的に話すことは少なかったように思う。わたしが口を開けばまずは聞いてくれたし、似たような倫理観だったのでなんだって話した。「今から君の家に行ってもいい?うん10分後くらい」みたいな連絡を好んでいて、ゆるい空気がお互いにしっくりきていた、と思っている。

 

知り合ってから仲良くし続けた期間は短くはなかったと思うのだが、長くもなかった。密度が濃くて、とにかく高頻度で長時間を一緒にした。1週間という単位で泊まり込むこともたびたびだった。

 

大して何もやっていなかった今日、ふと「 年 月 日」と書かれた欄に日付を書き込みながら、今が2019年であることを実感した。君に来なかった今日という日をボールペンで書いて、急に強い浮遊感に駆られた。

君不在の誕生日の数ばかりが増えてゆく、これから生きれば生きるだけ。おめでとうと祝った回数よりも増えてゆく。

 

「今すぐここで歳をとるのをやめたい」と THE NOVEMBERSの歌詞がよぎって、いやいやわたしは生きることを選択しちゃってるんだよなあ、それが消極的な理由にしたってそうなんだよなあ、と冷静に不穏を却下する。

 

THE NOVEMBERSを初めて聴いたとき(わたしが死んだかもしれない未来がまだ身近だった頃だ)、清潔で美しい感性に打ちのめされた。小林は長生きできないのではないかと心配にさえなった。柔らかい肉が裂けているのを、傷と思わず無垢な顔でさらけ出しているような姿は、剥き身で生きていた手負いの自分には直視するのが難しいくらいに、だけど美しかった。

あれからざっと10年以上の年月は経って、THE NOVEMBERSは誰ひとり欠けることなく前線で音楽をやっている。細く美しい糸を絡ませて作った鋭い線で、空気を切り裂き叫ぶ獣のような強さを見せている。ちょうど今度アルバムも出るしね。

 

わたしも10年でそういう強さ美しさを多少は身につけられていたらいいなと思うけれど、それでもやっぱりふとした瞬間にあの心持ちが立ち上ってくることはあるよ。まるで自己同一性のようだ、あるいは自己統一性なのか?

 

今後の人生、君に軽口を叩いてゲラゲラ笑ったりあのゴミ屋敷のような家で小さくなって眠ったりすることができない、ということを実はまだ良くわかっていないのかもしれない。

最近随分と生活が変わった。何時でも電話にでるよねと明け方誰も起きていない時間によく電話をしたよね、でもわたし、最近その時間眠っているんだ。どう思う?

 

君はわたしをたびたび「美しい」と形容した。心の有り様や生き方を好いてくれた。わたしが傲慢に、はたから見れば滑稽でしかない言葉で自らを鼓舞するとき、君は当然のように「その通りだ」と頷いた。

どうだい、わたしは醜い変質をしていないかい。こんな漠然とした明け透けな問いを投げかけられる相手はそう多くないから自分に問う。正直わからない、わからないけど、「All right いつだって最高にイカしてるよ」、そんな風に即答して、何秒か考えてからしっかり頷く。

 

 

最近わたしの暮らしはこうだ。そんな風に回答を書き連ねてみたら、「MIND CIRCUS / 中谷美紀」が胸の奥のほうから聴こえてきたよ。ハッピーバースデイ。