だんぼ

 

ダンボールで指を切った午後、すぱっとした切り口からは血らしい血の気配はない。埃っぽかったので手を洗い木でできた救急箱を開く。そしてダブルのティッシュペーパーで受け止めるようにしながら消毒液を垂らした、久し振りの行為をしていると思った。そして違和感があったのは消毒液がちっとも沁みなかったこと。手を洗ったときのほうが多少とはいえまだ痛かった。まったく、感覚は十全のはずなのに、もやがかったような気持ちになる。なんだかなあ。蓋をするように巻いた安い絆創膏をぐるりと。

 

 

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「書く」という行為をしている自意識、構って欲しそうな態度が嫌だと遠回しに言われて以来、文章を書くことが上手くできなくなっている。未だに上手く書けないが、最近ここにちょこまかと書きつけているので波に乗ろうかという気持ちで今日も書いている。指を切っただけなのに。

 

こんなことを打鍵していたら、ガーゼがわずかに血を吸ったのだろう、絆創膏に小さく変色した点があってなんだか気まずくなる。別に血の色を疑ったわけではないよ、などと言い訳したくなる。どうあったって居心地悪い。

 

 

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果たして十全なのか? 認知が歪みまくっていることは結構前に自覚した、歪んだままで構わない。歪んでいるけれど十全なのか? むしろ十しかないはずのものが二十にも三十にも見えている可能性、だからなんだという姿勢、手放せない理性、誰のせい? 効果的に配置できない。

 

 

封筒が何枚あったって構わない、大切なのは切手の枚数で、誰に手紙を送るかだけが問題。それなのに封筒の枚数を増やすことばかりをするような、ちょっとダサいやり方で生きている気はする。書き損じまくったって構わない、どうせ1枚しか選べないのなら最初から1枚だけを手元に置きたい。そして君には書き損じまくりでぐちゃぐちゃと塗りつぶした先にある感情を、ときに見て見ぬふりを含めて、読んで欲しい。

 

 

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1.「今日の約束なんだけど、非常に情緒不安定だけどそれでもいい?」「いいよ(笑)」

2.「突然で申し訳ない、事情はさておき折れた心がここにある。今日一日持つ程度まで立て直せるひとことくれない?」「あいらぶゆー」

 

そういえばNumber Girlのチケットは取れていません。